第20話 或いは終わりと始まり
『……それで、オレにわざわざ電話してきたってわけか。一言で返すなら、"知るかよ"だ』
部活が終わった後の屋上。
夕暮れの赤に染まる空を見上げれば、斜陽を遮るように飛ぶ数羽のカラスが見受けられる。
そういえば電話口のこの女には昔、「ペンギンは渡り鳥なんだぜ。秋になると南極から北極へ彼らが飛ぶ姿が東の空に見えるぞ」と言って信じ込ませたことがあるなとどうでもいいことを思い出した。
「……そりゃそうだよな。二曲も作れるかなどーしよーなんて、わざわざお前に吐く弱音じゃなかったわ。すまん」
フェンスに背を凭れて、龍次はスマートフォンの向こう側に謝る。
電話口で頭を下げている人を滑稽だという者もいるが、思いのほか電話越しの感情というのは伝わるものだ。
今回もその例に漏れなかったらしく、耳元に盛大なため息のノイズが聞こえてきた。
『……そう落ち込むんじゃねえよ。オレにそうやって近況の連絡をしてくれたことは、素直に嬉しく思ってんだ。変な意味じゃねえからな? オレだって心配はしてるんだ』
「心配させること自体、なんつーか庇護下にある感じがして申し訳ねーんだが」
『元から龍次はオレにとっちゃ後輩みてえなもんだよ。ガキっぽいしな。……話戻すけどよ、二曲作るのしんどいのか?』
「元から、シェイドの作曲手伝ってたし作詞もやってたからノウハウはある。それにやりたいイメージも出来てる。……けど、それがどうにも通用しなくてな」
『法螺貝だもんな』
「知ってんのかよ」
ふ、と笑みをこぼす。
こうなったら、もう余すところなく龍次が置かれている現状は全て把握されていると思っていいだろう。法螺貝、アコーディオン、シンバル。それが今の龍次の仲間で、そして電話口の少女に立ち向かおうとしているメンバー。
『……一つ言えるとすりゃ、あれだな。オレたちとあいつらはまるで違う。お前がシェイドのままの曲作りをしているうちはまずオレたちが負けることはねーだろうよ。……そうでなくとも曲の質で負ける気はしねーんだが……協会は結構イロモノ好きだからなんとも言えねーな。前回も準決勝までバイオリンとクラリネット混ぜたバンドが残ってたろ』
「……あったなそんなんも」
思い返せば確かに、そんな記憶もあった。
龍次にとっても、勿論電話の相手――沙奈にとっても初舞台となるU18のバンドグランプリ。
緊張のせいで朧げにしか記憶が残っていなかった準決勝のことを、沙奈はしっかりと覚えていたようだ。
言われてみればと想起すれば、バイオリンとクラリネットを織り込むことでしっとりとした音色も維持しつつ壮大に曲を表現することが出来ていた、良いバンドだったことを思い出す。
「……なるほどな。あんな感じに、俺たちのカラーを考えればいいのか。……ありがとう、沙奈」
納得した。
それに何かがすとんと胸の内におちた気もする。
感謝の意を込めて龍次が言った言葉に、しかしかえってきたのはまたしても嘆息だった。
『……あーあ。アドバイスなんざするつもりなかったのになぁ』
「ここまで言ってから!?」
『あたりめーだろボケ。なんでオレが、抜けたてめーのサポートなんざしなきゃならねーんだ。どう考えたって不当だ不当!』
「それでも答えちゃう沙奈ちゃんのお人よしー」
『ぶっ殺すぞてめー!?』
久々にからかえる相手に、つい龍次は笑う。
彼の気配を感じ取ってか、沙奈は呆れたようにあのな、と一言おくと。
『これはてめーに何もしてやれねーのが歯痒いからってのもあるんだ。そこんとこ忘れんなよ』
「あ? 勝手に抜けた相手に歯痒いも何もないだろ。アクアリフレッシュかよ」
『アクアリフレッシュ……?』
「いやほらアクアフ○ッシュを再び的な意味で? 分かれ?」
『分かるかよそんなもん。……龍次』
「どしたぁ?」
そろそろ完全下校時刻も近くなってきた。
校内の照明にぽつぽつと灯りがつきはじめたのを眼下に収めながら、龍次はフ抜けた声で沙奈に返す。
『……何度も言うと、あれだけど、さ』
歯切れの悪い声。彼女には似合わない躊躇いを含んだ声であるし、こんなしおらしい彼女を知る人物はそうそう居ないだろうというくらいには珍しい声色。
しかしそんな声を、龍次は聞きなれていて。
彼女が言葉をつづけるよりも先に、遮るように口火を切った。
「戻る気はさらさらねーよ」
『……悪ぃ』
「謝ることじゃねえし、別に気にしてねえけど。それでも戻るのだけはだめだ。お前らもまた新しいグループとして動いてるんだろ? なら、今更の話だぜ」
『……うん。変なこと聞いて悪かった』
「いや、多分これは俺が悪い。もう抜けたグループの元仲間に、こうして頻繁に連絡しちゃってるわけだしな。それも取り留めもねえことをよ。……そりゃ、変に期待もさせちまう」
『え、あ、いや、ちがう。そんなことは』
「あるだろ? すまんかった。戻るつもりはないし、余計に気をもませるのも本意じゃない。だから――」
電話口の向こうから聞こえる、息を呑む音。
それに構わず、龍次は振り切るように言葉をつづける。
「――やっぱり、電話するのは止めにするわ」
『なん、で。違うんだ龍次! オレは、別にそんなつもりじゃないよ!? 戻ってきてほしいとか、そういうのじゃなくて、いやそりゃ戻ってくるならそれは、でも、そんなこと関係なしに――』
「沙奈」
『……龍次ぃ』
「お前も頑張れ。俺も必死こいて戦うんだからよ。……さんきゅな」
『あ、ちょっと、龍――』
彼女の声を最後まで聞くことなく、龍次は通話ボタンを切った。
これで嫌われるなら嫌われるで構わない。というかそもそも、バンドを抜けた段階で嫌われて然るべきだったのだから、ここまでの恩は舞台の上で返すのが道理だろう。
そう自分に言い聞かせて、ほうと空にため息を吐く。
日が伸びてきたせいもあって、数か月前のように白く視えたりはしないけれど。
なんだか無性に寒かった。
「不器用なのかなー、やっぱ」
「不器用なんじゃなくて、最低なだけじゃない?」
「あん?」
ぽろりと零れ落ちた本音。一人だけであったはずの屋上。
まさか応えが返ってくるとは思わず、龍次は声の方をゆっくりと振り向けば。
腕組みをして仁王立ちした我が部の部長殿が、至近距離で龍次をにらみつけていた。
「おうわっとぅ!?」
「おうわっとぅ」
「いやこれ別に意識して言ったボキャブラリーじゃねえから! 驚きの表現だから!」
白い眼を向ける優子に、スマホをポケットにしまい込みながら龍次は弁解する。
だが、そんな龍次の言葉など特に耳に入らないようで、優子はジト目のまま全く関係ないことを口にした。
「……で、今のは例の愛しの沙奈ちゃん?」
「愛しのってお前な。……え、なに、聞いてたの?」
「聞いてたというか、まあ、そうね。屋上来てみたら電話中っぽかったから待ってたのはほんと」
「聞いてたんじゃねえか」
おいおい。バツが悪そうに頭を掻く龍次を、優子は無感情に問いただす。
「あたしが言うのもなんだけど、ちょっと酷くない? 今の」
「酷いっつったって、あのままずるずる行く方が申し訳ねえだろ。向こうは復帰を望んでて、俺はそれに応じるつもりがない。なのに、変に相談の連絡とかまでしちまった俺が悪い」
「……だから切ったってこと?」
「あーうんまあそうなるかなー……。沙奈の心も電話線もぷっつん的な感じにはなるだろうけど、そこは俺が全面的に悪いわけだからあいつも怒ってもう連絡とかしてこないだろうし。辛気臭い感じになるよか、龍次とかいうアホ居たなー的な苛立ちの記憶程度に収まるだろうというあれ?」
「それでいいんだ、龍次は」
「そりゃ俺だって胸の奥にある一抹の寂しさ的なものはあるよ? そりゃもうハープ奏でられるくらいにぐさぐさ幾つも刺さっててぽろろんって感じ。涙だね」
お道化てくねくねと踊りつつ、龍次は優子を見つめていた。
彼女はといえば、しばらく黙った後で。特に龍次の妄言を繰り返すこともなく、背を向ける。
「……ま、いいわ。明日からも部活、頑張りましょう」
「おー、いい曲作らねえとな! いい加減、色々と時間も惜しい」
へらへらと、龍次は笑う。
優子はそのまま歩みを進め、屋上からの出口の前に立ってから一度振り向いた。
「……龍次」
「うん?」
「……ううん。ちゃんといい曲作りましょう。あの子たちに申し訳ないし」
「むしろあいつらのせいで難航してるまであったがな!! ……でもま、考えることも出来たからちょうどいいや。頑張ろうぜ」
そいじゃ、と手を挙げた龍次に一つ軽く頷いて、優子は階下へと降りていった。
その背を見つめて、龍次は額に手を当てる。
「……あーあ。かっこわり」
その言葉は今度こそ、独り言として夜のとばりに掻き消えた。
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