第19話 猫、お前、脛かじり



 その日もいつものように、放課後には部活があった。


 防音の効いた部室、相変わらず鳴り響く法螺貝の反響音。

 そこにシンバルの波紋にも似た盛大な高音と、チューニング中のギターの弦がはじかれる音が合わされば、なんのことはない。この盆倉高校軽音部にとってはスタンダードな形が完成だ。


『ボエェエエエェェエエエエエ!!』


 吹き乱れる法螺貝の音に耳を傾けていると、今日も勢いよく扉が開く。


「今日も元気に部活の時間よ!!」


 飛び込んでくる気合の一声。

 いつものように法螺貝を吹いていたまどかと、シンバル相手にデレデレしていた葉寅の視線が彼女に集まって、優子は満足そうに頷いた。


「揃ってるわね! 龍次、その面倒臭そうな目は何よ」


「そのままだろ、今日こそまともに楽曲の練習するんだろうな」


「えっあぁぁあぅううん?」


「濁し方へたくそ過ぎかよ」


 パイプ椅子に腰かけてチューニングしていた龍次は、諦めたように嘆息すると「それで?」と優子に目をやる。その瞳は殆ど期待というものを映してはおらず、半ば死んだ魚のような眼だった。


 こんこんと指先でパイプ椅子のヘリを叩きながら、龍次は続ける。


「あのな。廃部を免れた辺りは俺も大変うれしいんだけどよ。俺としてはここからなんだわむしろ問題は」


「……なによ」


「U18のバンドグランプリ!! 優勝したいの!!」


「ん」


「あん?」


 ばんばんと椅子の背もたれを叩いて抗議する龍次に、優子はめんどくさそうに一枚のチラシを取り出した。


「そう言うのは分かってたから持ってきたわ、エントリーシート」


「優子さん前から好きでした」


「手のひら返し酷すぎない!?」


 思わず優子がツッコミに回るのもおいて、龍次は優子からチラシをひったくるとすぐさま読み込み始める。

 その大見出しには確かに"大会参加のしおり"と銘打たれており、去年シェイドが優勝したあの大会の案内書であることが伺えた。


 と、つんつんと龍次の肩を叩く指先。


「ん、どうしたまどか」


「……」


 無言で己を指さすまどか。


「……」


「……まどかは?」


「え、なにがっいやああああおう!!?」


 思い切り脛を蹴り飛ばされた龍次が跳ねる。


「あー、ほら、まどか拗ねないの。龍次は九割妄言なんだから気にしない」


「……今のも?」


「今のも妄言。大丈夫」


 なんのこっちゃと思う龍次だったが、彼は今脛を抑えて跳ねるのに忙しい。

 ぴょんこぴょんこ跳ねて別の感覚で気を紛らわさなくては、とてもではないがやっていられなかった。


「……ったた……で!!」


 仕切り直すように龍次は言う。

 脛をさすりながら。


「俺は優勝したいの。そのためにキミら必要なの。練習したいの。つか新しい曲作んなきゃいけないの。もう二か月しかないの。どれだけヤバいか分かってます?」


「二か月で曲かー……確かにヤバいねー」


「甘いんじゃあああああ!!」


「ひぅ!?」


 呑気そうに後頭部で手を組む葉寅に、龍次が顔を数センチまで迫って吼える。


「そんなノリと勢いで済ませられる次元じゃもうなくなってるんだよ!! 分かります!? いいか、ここからはきっちりやらんと予選落ちだ! そんなんで実績残すとか言ってらんねえぞ!?」


「わ、分かった! 分かったから近いって!!」


 心なしか顔を赤くして龍次から目を逸らす葉寅。

 たじろいでか、若干足も後退している。


 そんなことはおかまいなしに龍次が食い入るように覗き込むものだからさらに葉寅は一歩引く。

 と、龍次の背につんつんと指先が刺さる。


「あん?」


「……わー、やばい」


 まどかが物凄い棒読みで何か言っていた。


「……そうだな。うんうん」


 彼女の肩をポンとたたいた龍次の脛を彼女のつま先が襲う。


「なんでえええいやああああああおおおうう!!?」


 ぴょんぴょん跳ねる龍次を見ながら、優子はあきれ顔で嘆息した。


「わっかんない奴ね、あんたも」


「俺じゃ! なくて! あの猫だろ! 猫娘! 気まぐれキャッツシンドローム!」


 痛みにひいひい言いつつも言い返すところは言い返す。

 なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ。おかしいだろ。そう考えつつもまどかには何となく強く言うことが出来ない龍次のあはれ。


 まどかは唇を尖らせてそっぽを向いたままだ。

 どうやら、最初に優子に言ったくだらない発言のせいで完全に拗らせているらしい。


「っで!! とにかく!! 聞いた情報だと今回の大会は前大会よりも参加バンドが多いらしい。シェイドの奴らは決勝まで免除らしいが、俺たちはそうはいかねえ」


「誰から聞いたの、それ?」


 脛をさする龍次に、優子は純粋な疑問をぶつけた。

 龍次は特に何の感慨も浮かべず、ああ、と指を立てる。


「古巣の仲間だよ。シェイドの」


「……抜けてきたわりには、意外と仲がいいのね」


「あー、まあ、それなりにな。なんだかんだ連絡は取ってる」


「ふーん」


 そこで、優子は何かに気付いたのか口角を上げた。

 嫌な上げ方だった。龍次にとってはとても嫌な上げ方だった。

 この顔は、何かやらかす顔である。


「そういえばシェイドって男女比率トントンだったわよね」


「ん? ああ、そうだな。どうかした?」


「いや、だれと今でも仲良いのかなーって」


「一応、全員連絡出来るぜ? 勘違いしてるかもしれねえけど、別にそんな険悪になってねえしな」


「そ? じゃあ聞きたいんだけどぉ」


 唇に人差し指をあてて、優子は笑う。

 ちらりと横目に猫娘。


「な、なんだよ」


「誰からいろんな情報教えて貰ったの?」


「沙、沙奈だよ。ボーカルの」


「へー、ほーん。そー?」


「な、なにが言いたい……」


「好きにしていいわ、まどか」


「へ……?」


 すわ何事かと思った矢先、二度にわたる脛蹴り容疑の玄野まどか(15)がずいっと顔を出した。


 さらに何かされるのではないかと思った龍次はゆっくり脛を守るように膝を折りながら、


「どうした? なんか感情が無いぞ?」


「……龍次」


「なんだよ」


「沙奈ってどんな人?」


「どんなって……そうだな。一人称がオレでな、普段はほんとにただのガキなんだが、ことボーカルに関しちゃ天才だ。なんであんな口調とがさつな感じからあんな天使みてえな歌声が出てくんのかさっぱり分からんが、それでもシェイドの顔で、すげえ人気の奴だったよ。あいつ、無邪気に笑うと可愛くてなー、鼻にアイスクリームつけたりしやがっていぎゃあああああああああああああああああああ!?」


「……あーあ、バカね龍次」



 盛大な悲鳴が、部室に響き渡った。


 防音なので、外にはあまり漏れなかった。











 ふと、優子は思った。

 ……本当に彼は、影薄だなんだで脱退したのか、と。

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