第16話 なんとかなったね


『間もなく、結果発表のお時間となります。皆さまホールにお戻りください』


 会館のエントランスでホットドッグをかじっていた龍次の耳に入ってきたのは、待ちわびた場内アナウンスだった。


 もっちゃもっちゃとジューシーな肉と芳醇な小麦粉の食感を楽しみつつ、固唾とともに嚥下する。


「いよいよか。俺たちの奏でた曲に外付け回路が搭載されるのは」


「相変わらず意味の分からないこと言ってるのね、あんた」


 ホットドッグを平らげて声のする方を見れば、いつの間にやらやってきた優子が隣に立っていた。両腰に手を当てて嘆息する姿は、何も知らない人間が見れば真面目な女生徒が不真面目な男子生徒を嗜める構図に見えるだろう。


 否、今回ばかりはあながち間違っているともいえないのだが。


「いやほらあれだよ、俺たちの形無き空想建築に彩りを添えるのはやはり賞賛の声というか、ほら、分かるだろ?」


「外付け回路なんて無粋なもの飾り立ててどうするってのよ。あと形無き空想建築ってなに」


「お前と俺の間にベルリンがある」


「壁どころじゃない距離ね」


「うるせえうるせえうるせえ!」


 なにを言っても冷たく返されると分かって、公衆の面前にもかかわらず頭を抱えて首を振る龍次。それすら優子に冷めた目で見られている辺り、なにを言っても、というよりなにをやっても、という雰囲気すら感じられた。


「すねたわりゅうじ」


「混ぜるな危険!」


 船河龍次十六歳、メンタルはいろんな意味でぼろぼろであった。


 と、優子は耳の裏を人差し指で掻きながら、龍次から目線を逸らし周囲を見やる。


「……あんたは、平常運転みたいで良かったわ」


「一応、この手の大会には慣れてるしな。演奏し終えた後の高揚感を引きずってると、余計に不安を煽られることもある。さくっと平常運転に切り替えるのが一番だ」


「そういう切り替えが出来るのが、そもそも大したものだと思うけれど」


「なんだ優子、緊張でもしてんのか?」


「万が一にも負けたら廃部、なんて言われていて早々落ち着けるものでもないわ」


「万が一、なんて頭に付けるあたり、手応えはあったようで何よりだ」


「言葉尻を捉えないで」


「むしろ冠頭だったような気がするんですが」


「尻から貫頭とかとんでもないわねあんた」


「おかしいだろ明らかに俺のが揚げ足取られてるじゃん!」


「さらに足フェチとか」


「分かってて言ってるだろお前!!」


「職員さんすみません! うちのギターが尻から頭に貫かれて」


「串刺し公ならぬギター刺し公みたいになってる!」


「ポールだけに?」


「何も上手くねえからな!? そんなしたり顔したってなんにも上手くねえからな!?」


 ツッコミ続けろ船河龍次。そんな声が聞こえたり聞こえなかったりするエントランス。

 

 ぞろぞろと会場に戻っていく観客たちを眺めて、龍次はため息ついでに問いかけた。


「……まあいいや。俺らもそろそろ戻ろう」


「そうね。元々、龍次を呼びに来たわけだし」


 言うや否や踵を返す彼女の後ろをついていく。

 殆どの観客がホールに戻っていく後ろを、ただてくてくと歩く。

 優子が振り返らず、まるで独り言のように呟いた。


「……廃部、ならないといいね」


「なるわきゃねーよ。信じろ」


 なんの疑いもなく、龍次は笑った。













 12ものバンドが集ったこの大会も、残るは結果発表を残すのみ。

 午後三時という健康的な時間なのは、この会館を借りられる時間が陽の出ている間だから。

 

 未だ明るい客席はざわついており、果たしてどのバンドが優勝するのかとそんな話でそこかしこが盛り上がっている最中だった。


 "中高生バンド"という存在そのものが非常に盛り上がりを見せている昨今、その手の大会というのは大きなイベントとなり得る。

 それがこのような小さな町内大会であってもだ。


 隣国である韓国でアイドルブームが巻き起こっているように、現状日本では空前の若手バンドによる爆発的な人気で沸きあがっている。


 テレビ取材などはざらだ。人気大学生バンドのメンバーなど、あたりまえのようにバラエティ番組に出演しているような時代。誰しもがその技術や楽曲や知名度に憧れ、それをコンテストやグランプリという形で叶えるスポンサーの手。


 バブルともいえるような一世風靡。


 それが現在、日本で起きている事情だった。


「そっか。龍次、きみは――」


 会場の片隅。

 最後方にほど近い一角に座っていた少女が、どこか嬉しそうに微笑んでいる。


 サングラス越しの瞳は輝き、視線は会場最前列へと向いていて。

 その先では、一人の男子学生が周囲の仲間にやり込められているのか頭を抱えてぎゃーぎゃーと何か言っているようだ。


 その辺り、まるで変わらない。


 少女は破顔すると彼らのさらに先に目をやった。

 壇上には今、だれもいない。


 しかしほどなくして現れるだろう。封筒を小脇に抱えたスーツ姿の男か女か。


 何れにせよ、この場に集った奏者たちからナンバー1を決める責任者には変わりない。


 徐々に暗くなってきたホールの天井を睨んで、少女は立ち上がる。

 結果など、聞くまでもない。

 キャップを深くかぶり直し、会場を一人出ていく。


 その際、休憩が終わったところで席を立った奇妙な行動からか、それともキャップにサングラスという出で立ちからか幾人かの観客に目で追われたが、正体は流石にバレていないだろう。


 大仰な観音開きの扉に手をかけて、最後に彼女は振り向いた。


「……私、嬉しいよ。元気な姿が見られて、良かった」


 そう呟いた彼女の真意は分からないし、だれも耳に入れることは出来なかった。

 少女はそして、何事もなかったかのように会場をあとにした。


『それでは、最後のプログラム、結果発表に移りたいと思います!!』


 重々しく閉まった扉の音をかき消すように、場内放送が鳴り響く。


 一度の休憩で冷めた熱を盛り返すような拍手が、ホールの空気を膨張させていくと同時。

 客席とは相対的に明るくなった壇上に、二人のスーツ姿の男女が現れた。


 合わせたように綺麗に頭を下げる二人に、この場に居る全ての人間の視線が注がれる。


 小脇に抱えた、モバイルPCほどの大きさの封筒の中には間違いなく、審査によって選ばれたそれぞれの順位が、優勝グループの名前が入っているに違いない。


 全十二組の中で、どのバンドがこの場を制したか。


 それが今、はっきりと決まるのだ。


 そして、一部の人間にとっては。この結果で、部の存続が決定する。


「……龍次」


 つい、と。

 宙ぶらりんだった右腕のすそを誰かに引かれて、龍次は脇に目をやった。

 隣の席で膝を抱えて座っている彼女の目は、舞台に向けられている。


 照射されている灯りが瞳に映ってきらきらと輝いているように見えるものの、彼女の心中は瞳と同じような明るいものではないだろう。


 そうでなければ、袖を引いた指先が震えているなんてことはないはずだ。


 優勝出来なければ廃部。

 おちゃらけたどうしようもないこの部活が、まどかにとっての"居場所"。

 故にこそ、廃部うしなうなどとは考えたくもないのだろう。


「……心配すんな」


 だからこそ、龍次はきわめて軽い声で囁いた。

 

 楽曲もパフォーマンスも完璧だった。キワモノの楽器もこの大会では良い方向に転がったと考えていい。


 なら、心配は要らない。


 龍次はそう信じることが出来る。

 かつて"シェイド"で優勝をもぎ取った時と、同じくらい充足感あふれる演奏だったのだから。


「……うん」


 頷いたまどかの指先から力が抜けた。


 それに気づいたのと同時、壇上で動きが見える。


『では、第十二回盆倉町町内バンドグランプリ、結果発表を行います』


 スタンドマイクの前に立った男性がそう言った瞬間、ホールの空気が変わる。


 程よい緊迫感、と思ったのは龍次だけで、まどかは隣で氷柱のように固まっていた。


 隣の女性が封筒から一枚の厚紙を取り出す。

 観客に見える裏面には何が書いてあるのか分からないが、男性はそれを受け取ると。


 ゆっくりと、そして朗々とその"結果"を読み上げた。


『第十二回優勝は――』


 す、と息を吸い込む音がマイクに入る。


 一瞬のタメに、敏感な観衆たちの沈黙が突き刺さった。


 視界の端に映る優子は、食い入るように壇上を見据えている。


 喝采はまだない。


 しかし、龍次だけは口元を緩めて、目を閉じた。



『十二番! さいきょうのばんど(仮)!!』




 廃部は、免れた。



 


 


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