第11話 ミーとウクレる

「ボーカルが居ないバンドも一種の新機軸って奴なのよきっと」

「目ぇ見て言えおい。こっち見ろ」


 懲りもせず、毎度の如く、いつものようにこの部室。


 軽音部とは名ばかりのだべり部活と化している文化棟の隅っこで、今日も今日とて十日後に控えた町内バンドグランプリの打ち合わせが開かれていた。


 防音機能のついた大量の穴だらけの壁には、そのハチの巣のような光景を塞がんとばかりに大きく貼られた模造紙。


 目を凝らさなければよく見えないうっすい墨で、『ボーカルを探せ!』と書いてある。


 議題に下からアッパーかますような発言をしたのが、実はこれを書いた張本人であるなどと龍次は思いたくなかったがもはや彼女については色々と諦めるしかない。色々と。


「……じゃあ、まどかがやる」

「法螺貝咥えてどう歌うってんだ座ってろ」

「……むぅ」


 相変わらず猫のように背を丸めて長机に全身をもたれかけるまどかは、面倒臭げにそれだけ言うと顔を机と突き合わせるように引っ込めた。


 まるで議題に対しての積極性が感じられない。


 まどかはまあ、おそらくこれ以上新しく人を増やしたくないという、この環境の居心地の良さに対する危機感などでもあるのだろうが。しかしながら呑気にそんなことを考えている場合でもないのだ。


 最悪付け焼刃のボーカルレッスンをして当日に備えるか、と苦慮するも、簡単にそれが上手く行くのであれば最初からやっている。


 龍次の声には、一番欲しい"張り"がないのだ。合唱ならともかく、バンドの中で声を張り上げるには明らかに声量とその勢いが足りていない。


「はい、ってわけで」


 ぽんと手を叩いて、諦め半分に龍次はこの場を仕切る。

 ぐるりと見わたせば今にも寝息を立て始めそうなまどかと、存在感を消してあやとりを始めた葉寅と、そしてなぜか目を輝かせた優子。


「ボーカルが足りないのはしばらく前からの難題ですが。何か対策がある人!」


「はい! 先生はあい! あたしあたし!」


「はい物凄い指したくないけど仕方ないから優子」


「はあい! ボーカルの話とは全く関係ないんですけど――」


「帰れ」


「なんでよ!」


「なんで議題に真っ向から喧嘩売ってくスタイルなの!? お前が書いたんでしょこの張り紙!」


「え、これなんか書いてあんの?」


「お前のうっすい墨のせいで見えにくいだけですぅ! ボーカルを探せって書いてありますぅ!」


「ああそれ模造紙の裏にボーカルって書いてあるわよはいおしまい」


「ウォ○リーを探せじゃねえんだぞおい!! お仕舞いじゃねえんだよ!! 悠久ボーカル紀行と洒落こんでる訳じゃねえんだぞ!!」


「ごめんちょっと意味が分からない」


「奇遇だな俺もだよ!!」


 バン、とテーブルを叩いて抗議する龍次だが、優子は耳の穴に小指を突っ込むと軽く捻ってそれを吹いた。呆れた女子力である。


 ちなみにそれを聞いて龍次がおそるおそる模造紙の裏を右下隅からこっそり裏返すと、確かに書いてあった。


『ボヵール』


「……あの」

「なによ」


 もの言いたげな目線を優子に寄越す龍次だが、彼女は一向に気にしない。


「いやあのね、もっとこう書くときは書く場所のバランスを考えようねと」

「ちょっと小さくして調整したじゃない」

「だから小さくしたりせず均等な文字のサイズを上手く書けるようになりな――ってよく見たらこれボーカルじゃなくてボカールだ!?」

「一人で何言ってんの龍次ばっかじゃないの」

「文字が小さいことにばっか気を取られたけどそもそもボーカルの文字にすらなってねえポンザコここに極まってるよ優子ちゃん!」


 頭を抱えてしゃがみこむ龍次の上に、ぱさりとかかるはがれた模造紙。

 幼少期のお漏らしっこがよく目にしたシーツお化けのような有り様になった彼の前で、優子はポンザコ呼ばわりされてもへこたれず。


「はあい先生! はあい!」


「特に指名も募集もしてないけど他に候補いねえから貴様」


「はい! ボーカルとは何も関係ないんですけど――」


「そんなに話したいことなの!? ねえ!?」


「このバンド何かもの足りなくないですか?」


「話変わってねえよチクショウ!」


 机に膝キック入れて痛みでぴょんぴょん片足ジャンプしながら龍次は叫ぶ。


「何か足りなくないですかじゃねえよさっきっからその話してんじゃん!」


「そう、猪口才なギターなんていう楽器が――」


「この期に及んでまだそんなことを言ってらっしゃるの貴女!?」


「そんな貴方にこのウクレレ! 今ならなんと」


「なんで俺が! 今! ウクレレの押し売りをされなきゃならないの!!」


「ほらこうじゃんじゃがじゃーんって」


「やりたい放題だなあ徹頭徹尾鉄五郎!!」


「ウクレレの師匠?」


「違うよ!?」


「鉄五郎さんウクレる人?」


「知らねえよなんだそのCMが無理くり流行らせようとごり押ししてくる造語みてえな言葉!」


「さあきみも一緒にウクレろうぜ!」


「サムズアップ寒いから! ウクレレから離れてくれ頼むから!」


「あたしたちが選ぶんじゃない。ウクレレが離してくれないの」


「うっるせえよじゃあ俺は最初から選考外だわほっといてくれ他所当たれ!」


「HEY ONISAN! ミーと一緒にウクレろぉぜ?」


「大通りで絡んでくる居酒屋のキャッチかお前は! 何がヘイお兄さんだアホたれが!」


「おにーさんおっぱいどーぉ?」


「宜しくない店のキャッチになって出直してくんな! ウクレレ要素とうとう消えたわ!」


「ミーと一緒にウクレろうぜ、ボカールの彼方まで」


「お前さてはボーカルでミスったの引きずってるな!?」


「ボカールはボカールでぇす。ミーの名前はボカールでぇす」


「ウ・ク・レ・レ・は!! どこ行った!!」


「ボカールの彼方できみを待ってる」


「離れてくれないとかなんとか言ってなかった!? もういいよ!!」


「どうも、ありがとうございましたー」


「漫才師になったつもりねえんだけどなぁ!?」


 はぁ、はぁ、と息を荒げながら龍次は両手を膝についた。

 なんだかご満悦の優子と、寝ぼけ眼で拍手を送るまどか。何も嬉しくない。


「……優子と龍次。地元じゃ負けない?」

「そういう危ないネタを突っ込んでこない」


 こてんと首を傾げるまどかを制しつつ、致し方なく顎に手を当てた。


 横目で隣の少女を確認すれば、まだボケ足りないとばかりに目をきらきらさせて手を挙げる準備をしているし、葉寅はどこ行ったのか分からないし、まどかは完全にやる気がボカールの彼方だ。


「……いや、割とマジでボーカルの打開策を考えさせてくれよ頼むから」


「はい先生! はあい! はあい!」


「ぜってー来ると思った。いやほんと勘弁だってもう……はい優子」


「はあい!」


 今回も今回とて元気よく。


 半ば以上疲労困憊の色を見せる龍次に対し、何も懲りず相変わらず屈託のないニワカの微笑み。ニワカの微笑みってなんだろう。ぐるぐる回る思考にもしかしたらもうだいぶ頭もやられているのかもしれないと内心諦観に縛り付けられたように肩を落として龍次は彼女を指した。


 すると彼女は先ほどまでと同じように楽しそうに、いつものようにおちゃらけながら。


「散々遊んで楽しかったです!」

「小学生の帰りの会じゃねえんだぞ!」

「だからあたしがボーカルやります!」

「……ぇあ?」


 思わず龍次は変な声を上げた。


 優子を見れば、相変わらず人を舐めくさったようなへらへらした笑顔。

 まどかはなんだか"知ってた"とでも言いたげにぱちぱちと手を叩くのみ。


「え、や、え?」


 どうにも事態が飲み込めていないのは龍次だけのようで。


「……え、お前やれんの?」

「まあ少なくともあんたより上手いんじゃない?」

「……なんで、この前は断っ――あれ、もしかして俺お前にだけは頼んでない?」


 言いかけて、ふと気づいた。まどかは法螺貝で却下。

 葉寅には拒否されたが。言われてみれば、優子には頼んでいない。


「失礼しちゃうわ。あたしが歌うつもりは確かになかったけど……ボーカル居ないーとかメンバー足せーとか。あたしのことガン無視だし。まあでも面白かったし、なんか気持ちよく遊べたからいいわ。さあ、あたしにボーカルを――」


 任せなさい。

 とまでは言えなかった。


 気づけば背後に回っていた龍次の両こぶしが、彼女の両こめかみにセットされ。


「いだだだだだだだああ!? ちょ、女の子にやっていいことなのこれ!? ねえ!? 痛い!!」

「おおおおまあああえええはあああああ!! あれか!? 必死だったのは俺だけってか!? なに、遊びしてたの!? からかって!?」

「いだいいだいいいいい!!」


 はなしてえええと若干の涙声すら混じる優子。と、割と強引な所謂"梅干し"攻撃に膨れ上がった腕の筋肉を、つんつんと突く一人の少女(見た目は)。


「まあまあ、そのくらいにしておいてあげてくれ。優子だって、まあ悪気はあったかもしれないけれど」

「どっから湧いて出たお前」

「さっきからずっと居たよ。ボーカルにされそうだったから気配消してたけど」

「お前もお前で良い根性してるよなあ」


 葉寅はこともなげに肩を竦めると、ひょうひょうとした空気を崩さずに梅干しされている優子に目をやって。


「なんだかんだ、不安もあったんだよ。龍次はほら、ギター上手いし"ジュニアバンドグランプリ優勝"っていうちゃんとした目的もあるし。だからまあ、ボクらこんな弱小バンドだしさ。不安というか、焦燥というか。龍次に見捨てられるんじゃないかなー、なんて。言うのも恥ずかしいけどさ」

「なんじゃそら」


 一気に龍次は腕の筋肉を弛緩させた。同時に、若干宙に浮いていた優子の足が地に落ちる。


「いったあ……てへへ、まあ、なんかごめんね」

「いやごめんって言ったってな」


 言葉を失ったというのが正直なところだった。

 ボキャブラリーズロストという言葉が脳裏をかすめたがここで言うことでもないなと思って飲み下すと。

 見れば、葉寅は相変わらず微笑みの仮面でもつけたかのようににこやかで、優子は若干痛みに顔をしかめてはいるものの、どちらもなんだか照れくささのようなものが見え隠れしていて。


 葉寅の言うことが正しいのだとすれば、要するに龍次はどうにも彼女らを知らず知らず不安がらせていたようで。


「いや、まあ」


 とコミュニケーション能力に乏しい切り出しと共に後頭部に手をやると、そのまま虚空を睨んで呟いた。


「どっか行ったりするつもりはねえよ。ここ、楽しいし」


 なんとも、こそばゆくはあったが。


 それを言った瞬間、腹部に軽い衝撃。


「と?」

「……龍次。よし」

「よしってお前なんだそりゃ」


 まどかが抱き着いた時の感触にももう慣れた。


 とはいったものの、彼女らの要らん心配のせいで無駄を取らされたこともまた事実。


 ふう、と肺の空気を全て絞り切ってから、新たに全てを入れ替えるような感覚で龍次は言った。


「よし!! いいからもう時間ねえし練習だ! 廃部にするつもりだけはねえからな!!」


 馬鹿しかいないけれど、それでも楽しい時間だから龍次も尽力する。

 それが伝わるようにと、慣れた動作で龍次はギターを取り出した。



「HEY ONISAN! ミーと一緒にウクレろぉぜ?」

「それはもういいんだってんだ!!」

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