第10話 放送クラッシュ

「ボーカルがいねえ」


 龍次が言い放ったその一言に、部室内に残る三人は思考停止したように凍り付いた。


 一瞬とはいえ、時間が止まったかと錯覚するようなその光景。


 ぽかんとした顔を並べてようやく脳内回路が電源に繋がれるまで数秒。


 いち早く意識を取り戻したのは、流石というべきか優子だった。


「え、龍次じゃないの!?」

「馬鹿いえ、俺に歌唱力なんてものはない!」

「けっこう上手かったじゃない」


 おそらくはものは試しと合わせてみた例のセッションのことを思い返しているのだろう優子の唇を尖らせた物言いに、龍次は指を振って否定する。


「けっこう上手い、程度じゃどう考えても通用しねえ」

「そりゃそうかも……」


 なるほど確かにと顎に手を当てる優子。


 何か、何か手段は無いものか。

 そう考えて龍次は特に意味もなく周囲を見渡した。


 おめめきらっきらさせて法螺貝を掲げる少女のことは見て見ぬふり。


「……葉寅」

「勘弁してよ。ボクが人前で歌えるタマだと思う?」

「人前でシンバル鳴らすのは平気な癖に何言ってやがる」

「あれは金と金がうち合わさる音の響きに集中できるから別だよ」

「どういう理屈だ。ワンダーオブ蜃気楼か」

「どっちも幻想じゃないか」

「そこ拾わなくていいからぁ!」

「……ともかく、ボクにボーカルは無理だよ。今のところ、龍次がやった方が」

「俺の歌唱力じゃ、どのみちたかが知れてる。まあ確かに今回だけ臨時でやる分にはどうにかなるかもしれんが、それでも歌が微妙で負けましたなんていうのじゃ目も当てられん。ブラインドから目がちらちら見えるような感じ。ごめんなんでもねえ」

「最後のは無視するとして……うーん、どうしようか」


 おめめきらっきらさせて法螺貝掲げた少女と龍次の距離が縮まってきている気がしたがひとまず無視を続行。


 と、そこで何か妙案を思いついたという風にぽんと手を打って優子が立ち上がった。


 こういう場合の妙案は妙な案という意味の可能性が高すぎて龍次としては何も聞きたくなかったが、他に何か発言したげな空気を出しているのが法螺貝だけと考えれば消去法的に仕方がない。


 嫌々、本当に嫌々優子に声をかける。


「……何か、思いついたのか?」

「聞いて驚きなさい、新たな発見よ!」

「もう嫌な予感しかしねえ」

「冷静に考えなさい、龍次。この部活には、何人居る?」

「俺、優子、葉寅、まどか。四人だろ」


 指おり龍次が答えると、優子は徐に首を振った。

 分かってないわねとでも言いたげなその小馬鹿にした視線にイラッとしつつ、考える。


 だが結局考えたところで答えが出るはずもない。

 幽霊部員が居た覚えもなければ、気付いたらもう一人居たというような展開もない。

 念のために部室をもう一度確認したが、自分の他には四人しかいなかった。


「……んっ!?」


 気づいたら、見たこともない男が一人。

 壁に背をもたれて、足を組んで佇んでいる。


「やあ、龍次くん」

「だれ!?」

「三郎です」

「三郎!? え!?」


 慌てて優子を振り返る。助っ人でも呼んだのかと。


「え、誰この人」


 まんまるおめめで驚いていた。


「お前が呼んだんじゃねえのかよ!」

「知らないから!」


 龍次と優子の口論を、髪を掻き上げ「ふっ」と微笑みながら眺める三郎くん。

 埒があかないとばかりに龍次は三郎を見やる。


「あー、おい三郎くん。きみ、軽音部員なの?」

「いや?」

「出てけよ!!」


 三郎くんを外に追い出して、一息。


 なんだったんだいったい。


「とんだ珍客が入ったが、あれだ。優子、部員は間違いなく四人だぞ」

「そ、そうね。けど、この部室に用があるのはあたしたちの他にもう一人いるでしょ!」

「……え、誰だよ」

「顧問よ!! あれを壇上に立たせて歌わせればいいんだから!」

「部活動に教師が絡んでいいわけねえだろ!」

「見てくれも中身も残念だけどまあボーカルが居ないよりはマシよ!」

「ビジュアルの問題以前に、って評価ボロクソだな!?」

「二十も後半に差し掛かってミニスカメイド服着て学校来るような痛い女だからね!」

「服装の自由は許容するが学校にそれで来るとかまだ無駄に濃いキャラ控えてんのかよこの学校!」

「教頭に身ぐるみはがされてるけどね。毎日」

「一回で懲りろ!」


 本格的にこの盆倉高校に転校してきたことを激しく後悔している龍次をおいて、優子は却下された案にため息。


 落ち込むような要素はなかっただろうがとツッコミを入れたいところではあったが、それはひとまず飲み下して、ボーカルをどうにかする案の思考に頭を戻す。


「ちゃんと歌える奴を募集するか。あと二週間もねえんだが、逆に言えばそれだけの時間はある。セッション回数さえ重ねられれば形になる猶予はあるんだ。とにかく、他の音楽関係の部活を洗って臨時でも出て貰えるか頼んだり……」

「なるほど、宣伝ね!」

「宣伝っつーか。もはや嘆願みたいな空気になりつつあるけどなこの場合。何れにしても、どう告知するか……」


 龍次が思案げに腕を組むと、とんと背中を叩く手。

 振り返れば嫌な笑みを浮かべた優子。


「任せなさい。生徒会にかかればイチコロよ」

「ちょっと待てなにする気だ」



 冷や汗を垂らす龍次をおいて部室を出ていく優子を、ただ見送ることしかできず。


 ふと、隣を見れば。


 法螺貝握りしめた女の子が拗ねていた。

 いや、どう足掻いてもボーカルは無理だろう。





 †






 翌日。気がついたら放送室に居た。


「なんで!?」

「宣伝をするならこれが一番に決まってるじゃない!」

「お昼に、突然、放送なんてかかったらみんなビビるでしょうが!」


 優子と二人、昼休み。

 呼び出されてほいほい着いていったが最後、狭い密室で二人きり。


 しかしながらテンションの高まる状況かと言われればもちろん答えは否なわけで、きりきり痛む頭をこめかみから揉みこみつつ、脳内で事態の把握に奔走するしかなかった。 


「お昼の放送でボーカルを募集するの! それが一番の道だわ!」

「バンバンボードを叩くんじゃない。というかよく確保できたな」

「生徒会なもので」

「生徒会ってそんな職権乱用できるようなもんじゃないでしょうが。ないよね?」

「その辺は貴方の心に聞きなさい」

「答えてくれるわけないだろなんでいいこと言ったみたいな顔してんの!?」


 龍次のツッコミも無視されて、優子はあれやこれやとスイッチを弄る。

 軽いミキサー程度なら龍次も弄れるが、流石に放送室の機器に触る勇気は出ず彼女を見守ることしか出来ない。


「そんなわけで、放送始めるわ」

「どういう訳だよ。本当にちゃんと宣伝出来るんだろうな」

「なによ、馬鹿にしてるの? これでも生徒会役員なんだから、出来て当然じゃない」

「日ごろの行いを振り返ってみろよ、お前が築いてきた荒野は果たして道と呼べるような代物だったか?」

「あたしが切り拓かなくてもいいの。あたしの道は、誰かが作る」

「いや既に道と呼べるような場所をそもそも突っ走ってないだろうが。あと何気に他力本願やめろ」

「そう、舗装道路を工事現場の人たちが作るようにね」

「もしかしていいこと言った気になってる? キメ顔でこっち見ないでくれない?」

「今のあたしたちは誰かに頼らなきゃいけない立場よ! 切り拓いてるなんて言えるの?」

「あっれー、どんどん情けなくなっていくなー」


 こんな調子で放送させようものならろくなことにならない。

 やはり生徒会役員の肩書は飾りでしかなさそうだ。


「……いいか、ここはあれだ。もうちょっと明るい職場です的な空気を出していこう」


「むしろブラック臭がすると思うのだけど。どうやるのよ」


「そうだな。楽しそうな感じで……」


「当軽音部は廃部の危機ですが、そんな危機感を微塵も感じさせない明るい部活です!」


「馬鹿丸出しじゃねえか!! 今は、そういうの、隠せ!」


「隠したら騙してるみたいでよりブラック臭が」


「ブラック臭とか気にしてる場合じゃないんだ! とにかくボーカルを募集してるにぎやかな連中だとだけな!」


「にぎやか……? 確かに法螺貝のせいで騒がしい感じはするけれど」


「せいでとかいうな、もっとポジティブにいけ」


「法螺貝のおかげで賑やかな部活?」


「そうだその調子だ。なんか色々拙い感じに片足ツッコミかけてる気がするが」


「法螺貝のおかげで賑やかで、他のことを感じさせない明るい部活です!」


「待った、他のことってなんだ」


「廃部の危機隠すんでしょ?」


「いやそうだけど、なんか危ないクスリみたいになってないか?」


「じゃあどうするのよ」


「他のことを感じさせないっていうのニュアンス的にこう変えていこう」


「法螺貝のおかげで気持ちよくなれる部活です!」


「より酷くなってるから! 法螺貝がおくすりの隠語みたいになってる!」


「隠ぺいにはより強いものが必要だって」


「何から学んだのそれ。危ない方向に行くのはとにかくストップだ。ボーカル募集! 歌に自信がある人どうぞ! みたいな触れ込みがあるといいかもしれない」


「なるほど。ボーカル募集! 歌に自信がある皆さま、一度軽音部に足を運んでみませんか。法螺貝のおかげで賑やかな部活です!」


「ここまでくると法螺貝をわざわざ入れる理由ねえな。賑やかな部活ですだけでいいんじゃないか?」


「ボーカル募集! 賑やかな部活です!」


「そこまで省くとボーカルだらけみたいな空気にならないか」


「ボーカルだらけ! 皆が居れば怖くない! 一度軽音部に足を運んでみませんか」


「どうしてウソを吐いた」


「日本人は集団が好きなんだって」


「そういう要らん知識を混ぜ込もうとするんじゃあない。ある種素直に、さじ加減が重要だ」


「ボーカル募集! 歌に自信がある皆さま、賑やかな部活に足を運んでみませんか」


「お、いいんじゃないか」


「でしょう!?」


 ふふん、と胸を張る優子に、龍次も頷く。


 これだけの宣伝を撒けば、一人二人は着てくれるんじゃないだろうか。

 期待を胸に、龍次は放送のスイッチへと手を伸ばす。


「んじゃ、行くぞー」

「分かったわ、任せなさい!」


 鷹揚に頷いた彼女を確認して、龍次はスイッチを入れる。


 お昼の放送に似つかわしい軽い電子音楽のあと、声が通るようになり。


『ボーカル募集! 歌に自信がある皆さま、賑やかな部活に足を運んでみませんか! お待ちしております!』


 優子が宣伝の一文を満足気に言い放ち、龍次も頷いた。


 その直後、勝手に放送室を使った事実がバレてしまい学校側から怒られることになるのだが、もしこれでボーカル候補が何人か現れてくれるならと、それも甘んじて受ける龍次だった。


 ……何故か、叱られた場に優子が居ないことにだけは苦言を呈したかったが。






 †




「ちょっと、いいかい?」


 放課後の部室。


 優子と龍次の二人は、わざわざ机を取り出して新入部員候補を待っていた。

 まだかなまだかなと心を躍らせながら、パイプ椅子に二人仲良く鎮座して。


 もしこれでボーカル候補が現れるなら今日スケープゴートにされたことは許してやらんでもないくらいの気持ちでいた龍次に、ふと隣から話しかける声。


「どうした葉寅」


 今日は女子制服に身を包んでいる葉寅が、困ったような顔をして頬を掻いていた。

 なんて話したらいいやらと少しためらい気味なその様子に首を傾げる龍次だが、葉寅は意を決したように。


「やっぱり、今日の放送はきみたち二人だったんだね」

「そりゃそうだ。昼休みの宣伝ってのはちょっと不安だったが、なんとか優子もやり遂げてくれたしな。怒られちまったから多分二度目は出来ねえけど」

「あー、うん、そっかー」


 なぜか、目を逸らす葉寅。

 もしや候補者でも現れたのかと半ば以上にポジティブな龍次。


「なによ葉寅、歯切れが悪いわね」

「ああいや、悪いと言えば悪いかもね。……もう、二度目はないんだろう?」

「ちょっと厳しいけど、どうかしたの? もう一度あの華麗な演説をするべき?」

「あの残念な演説はもうしない方がいいと思うよ。……あと、机片付けよ?」

「新入部員、来るかもしれないんだから待ちなさいよ」


 いそいそとテーブルを片付けようとするのを引き留める優子だったが、当の葉寅は無念そうに首を振って。


「無理だよ」

「……葉寅がそんなに諦観視するなんて珍しいじゃねえか」

「いや、誰でもそうだよ。今日は元気な法螺貝が鳴いてないだろう?」

「まどかを鳥みたいに言うのはやめてやれ」


 とはいえ、まどかが居ないのも確かなことだった。蝶でも追いかけているものだと思っていたが、どうやらそれは違うらしく。


 葉寅が次に放った一言は、当然といえば当然で。


「……だって」

「だって?」



「部活名も活動場所も言ってなかったじゃないか」



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