第9話 アン顧問

『ボエエエエエエエエエエ!!』


 今日も今日とて意気揚々と鳴り響く法螺貝の音色。

 シンバルを撫でまわす変態(制服的な意味でも)と、しゃこしゃこ言いながら硯を摺っている少女。いつも通り三者三様な部室を見渡して、龍次は小さく嘆息した。


 手元には、徹夜で考えてきた譜面。


 こんな芸当が出来るあたり、龍次はアーティストとしてそれなり以上に技量があるのだがそれはそれ。少なくとも法螺貝の音色を楽譜に落とすなぞ初めてのことであったし、シンバルに到っては本当に組み込むのに苦労した。


 ビジュアル面では最悪なV系アコーディオンはまだ紙の上では大人しくて助かった。


「……で、練習は捗ってるかー」


 龍次は入り口での硬直から解き放たれると、しかしそれでも"練習"と口にした。


 まともに音楽として合わせられてから、まどかに話を聞けてから、もしかしたらいけるかもしれないと思えたし、何よりも彼女らも彼女らなりに真面目にやっていることが分かったから。


 故に。


 法螺貝と、シンバルと、硯と。それぞれがそれぞれに没頭している姿に満足して――


「待て待て待て待て! 優子さん貴女何してんの!?」

「静かにして。聞こえるでしょ、新しい音の産声が」

「法螺貝とシンバルだけでもおなかいっぱいなのにお前までレベル2に到らないでくれる!? もはやそれ楽器ですらねえんだけど!」

「冗談よ。これはただの準備」

「……なんのだ」


 胡乱げな視線で優子を見据える龍次。

 彼は部室の真ん中に固められた長机に楽譜を投げると、正座して筆を掴む優子の前にパイプ椅子を取り出して腰かけた。


「……なに、また尻すぼみな議題でも書くのか」

「失礼ね。あたしだってもっとこうエレガントな文章を綴れるんだから」

「字面が壊滅的に頭悪いんだけど」

「それは些細なことよ!」


 胸を張って、彼女はひざ元に広がる模造紙に筆を叩きつける。


 描かれていく文字を目で追う龍次だったが、その視線が徐々に険しくなっていった。


『残り二週間!! いかにして廃部を逃れるか、なんとか優勝出来なくても逃げ道を探そう!』


「想像の斜め上に弱気だなお前!! 啖呵切ったんだろが顧問によ!!」

「ゆ、優勝出来ればいいなとは思うんだけど! 思うんだけど!」


 取り繕うように指先同士を突き合わせながら、優子はきわめて深刻そうに眉を寄せて。


 どこか覚悟を決めたように、言い放った。


「昨日、シャワーを浴びたのよ」


 法螺貝の音色が背後で虚しく鳴り響く。

 一瞬の間をおいて、侮蔑を込めたような視線で龍次は優子を見やった。


「……いや毎日浴びろよ」

「そうじゃないから!! 物事は順序立てて喋るのが重要なの!」

「じゃあシャワー浴びてどうしたんだよ」

「そのあと、パジャマに着替えて気持ちよくベッドに入ったんだけどね」

「あとはまあ、寝るだけだな」

「そう、なんだけど」

「何かあったのか?」


 妙に溜める優子。

 訝し気に思った龍次は軽い調子ながらも真顔で問いかけるが、優子は暗い表情のまま。


「それがね」

「おう」


 ここまで来たら、少し聞いてやろう。

 そう思って、龍次は続きを促した。


 何かしらのハプニングがあって徹夜するハメになったのかもしれないし、もしかしたら応募したグランプリの運営から何等かの良くない情報でも入ったのかもしれない。


 どこかの筋から法螺貝辺りが露見して、そんな楽器は使うなというお達しだったりしたら目も当てられない。彼女から法螺貝を取り上げたら、また新たな法螺貝をどこからともなく取り出してもおかしくない。いや流石におかしいが、それでもまどかは生半可なことでは大好きなあの楽器を手放したりはしないだろう。


「その、電話が来て」

「あー、まさか」


 そんな予想をしていた龍次だったから、"電話"と聞いてやはりグランプリの方から何かしらの制約でもされたのかと目を細める。


 が、当然ながらというべきか、そんなに重くまともな話などではなかった。


「……出雲先生からで」

「顧問?」

「うん。なんか、ムカつくのよ」

「……ん?」


 一瞬、理解が追いつかなくなるのと同時。

 滔々と語り始めた優子とは裏腹に、龍次の表情は脱力していく。


「何だよ、むかつくって」

「明らかに煽られて腹立っちゃった」

「待て。あのひとはそれなりに良い人だったと記憶している。余計なお前の曲解がまたしても無駄な軋轢を生んだ予感しかしない俺がいる。なんだ、煽られたって何を言われたんだ」

「だって『大丈夫か? 今ならベスト4でも廃部にしないでおいてやるぞ? そのくらいは守ってやれる』とかいうんだもの。余計なお世話よ! ってぶっちぎってやったわ!」

「明らかに心配してくれてんじゃねえか!! ベスト4の条件で来たのを勝手に優勝にハードルあげした挙句また突っぱねるとか何してくれちゃってんの!?」

「でも電話切ってからなんだか不安になってきちゃって昨日は眠れなかったの」

「自業自得の極致!!」

「おのれ顧問……レアリティ一番低い癖に調子に乗りおってからに」

「そのコモンじゃねえんだよ! コモンじゃねえ先生のがレアリティ高いってかアン顧問だけに!」

「……ごめんちょっと意味分からない」

「なんでだよ!! 俺今間違ってなかったろうが!!」


 地団駄を踏む龍次だが、優子は頬に手を当てながら嘆息するのみ。

 どう考えても百パーセント濃縮還元で優子が悪いはずなのに、何故だろう釈然としない。


「人は誰しも釈然を探す旅人なのかもしれないな」

「さらに意味が分からない」

「もうわかんなくていいから顧問に謝ってきてくれねえかなあ!!」

「なんでよ! そもそも廃部にしなきゃ良い話じゃない!」

「功績のない部を存続させる意味なんざあまりねえだろうよ学校側にしたってな……」

「ぐぬぬ」


 遠い眼をした龍次に対し、拳を握った優子であったが。

 自らが書き下ろした文章に目を落として、改めて息を吐く。


「まあ、だから逃げ道を見つけようって話なのよ」

「何が"だから"なんだよ良いから謝罪してこいよ……」

「ふん、『そうか……そこまで覚悟の上なら私もとやかくは言わない。頑張れよ』って黒幕みたいな言いぐさで電話切られたからもうあとはないわね!」

「明らかに誤解されたうえで滅茶滅茶過大評価受けてることに気付けよ! 俺あんまり絡んでないけど出雲顧問めちゃめちゃいい人じゃねえか!!」

「それは詭弁よ!」

「詭弁って辞書で引いてこい!!」


 龍次は部屋の隅にある本棚を指さして叫ぶ。

 もっとも優子は一瞥するなり「あそこには楽譜とかしかないわ」と軽く一蹴していたが。そういう問題ではないというところにはお気づきにならないらしく。


「……とにかく、熱い議論を交わすわ。万が一の時の保険はあるに越したことはないもの!」

「俺ぁもうお前の熱い誤解で大やけどだよ。というかそんな暇あったら練習しろ練習」

「ぼえー」

「お前法螺貝じゃねえだろ!」


 拗ねたような表情で法螺貝の口真似をする優子だった。



『ボエエエエエエエエエ!』


 部室内に相も変わらず響く法螺貝ボイスに、龍次は立ち上がる。

 ついでに優子がくだらない議題を書いた模造紙を回収し、そのうえで自分が自宅から持ってきた楽譜を握ると周囲を見渡して。


「んじゃちょっとお前ら集合」

「……どうしたの」

「あたしが部長のはずなのにぃ」


 呼びかけ程度に軽く声を上げると、てこてこと寄ってくるまどか。

 最初からその場に居た優子は、書き上げた議題模造紙がなくなってしまったからかしょげた様子でパイプ椅子を揺り椅子代わりにぎぃこぎぃこと揺らしている。

 一人足りない。


「あん? 葉寅は?」

「……あっちで、シンバルと戯れてる」


 まどかが指さした方角では、シンバルに頬ずりして「うぇーへーへー」と気色悪い声を出す女子制服の同級生の姿があった。

 嘆息交じりにまどかを見て、龍次は言う。


「耳元法螺貝の計」

「……あい」


 やる気なさげに手を挙げて、まどかは葉寅のもとに近寄って。



『ボエエエエエェェエエエエェエェエエエエエ!!』

「みぎゃあああああああ!!」


 雷に驚く猫のように全身を震わせて我に返った葉寅を一瞥して、龍次は頷くと。


「では、これから二週間をどう活用してバンドグランプリに挑むかの会議を始める」

「ねえボクの扱い! ねえボクの扱い!」

「知らん。寝ぼけてたらアラーム必須だろ」

「寝起きと一緒にしないでよ!」


 おーぼーだ! と目を丸くして抗議するも、龍次はどこ吹く風。

 とにもかくにも、今回の町内バンドグランプリは是が非でも優勝せねばならないのだから仕方がない。


「一応、何とかなるように楽譜を持ってきた。これを使って各々がちゃんとマスターすれば曲は何とかなるだろう! だが!」


 配られた紙を眺めて、なるほどと頷いていた少女たち。

 が、龍次の否定に顔を上げる。


 彼は拳を握りしめながら、指を一つ立てて言い放った。


「俺らは大事なことを忘れていた。それを、この二週間のうちにどうにかしなければならない」

「……大事?」

「そう、大事。なんだと思う……いや、聞いてもろくな答えが返ってこないだろうから俺から言う。いいか……」



 すう、と息を吸って。


 龍次は言った。法螺貝でもシンバルでもアコーディオンでもなく、このバンドに残された最後にして最大の欠陥を。




「……ボーカルがいねえ」


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