第8話 休息(まどか)

 まさかの法螺貝とアコーディオンとシンバルを相手にセッションを終えた帰り道。


 龍次は一人、顎に手を当てて諸々模索の為に思考を巡らせつつ河川敷を歩いていた。


「……問題はシンバルの出番があまりにも少ないことか。いやそれもまだ何とかなる可能性なら幾らでもある。何気にアコーディオンがアドリブにも関わらず合わせてきたこととか、法螺貝があんなに旋律を奏でることが出来たなんて全くの予想外だ。これは、やはりワンチャンが……」


 ワンチャン、ワンチャン、とまるでうわ言のように呟きながら。

 夕日が差しててらてらと光る大きな川を横目に、隣を主婦のママチャリが通り過ぎていく。


 水切りをして遊ぶ小学生や、河川敷の広いグラウンドでサッカーをする中学生。高校生の龍次はギターケースを背負って彼らよりも高いところからその風景を眺めて。


「夕焼けのミルフィーユが成長した気分だぜ」

「……つまりどういうこと」

「いやほらあれだよ、小学生の頃は川の中で遊んで中学生になると外でルール守った遊びして、高校生にもなるとこう音楽を嗜む生活になるというか? その重ねていく感じが成長した奴だよ分かって?」

「……さっぱり」

「そうか……なんで居るの?」


 がっくりと肩を落としつつ、しかしもう驚かない。

 いつの間にか隣を、コーン付きのアイス片手に歩いていた少女のことなどでは。


「帰り、寄り道。そしたら龍次の虚しい背中が見えた」

「虚しいとまで言いやがりますかこの後輩」

「ケースを背負う姿が丘を目指す神の子のようで」

「やめろやめろそういうの! 十字架じゃねえからこれ!」


 そう、と興味なさげに半眼で彼女は呟く。

 コーンの上に乗ったまるっこいアイスはまだ溶けておらず、彼女はちろちろとそれを舐めながら器用に話を続けていた。


「……龍次」

「どした」

「ゆーしょーとか、出来ると思う?」

「さぁな。正直な話、出場する他のバンドにもよるが……それでも、意外と行けなくはないんじゃないかと思ってるぜ。なんせ、法螺貝が想像の斜め上にちゃんと音楽してくれたからな」

「……ん」


 これは現状、龍次の本音であった。

 本来なら無茶無謀、いくらなんでもふざけているとしか思えないような構成で、元々龍次もそう思っていたにも関わらず。一度何の気なしに合わせてみれば、ちゃんと"音楽"になっていた。


 ならば意外性も合わせてそれなりにバンドとしての形になるのではないか。


 端からみれば、バカげた話。けれど、何かを掴みかけているようなそんな気がしていた。


「……法螺貝は、良いものなのです」

「なんで突然の敬語」

「龍次も今日、身に染みて分かったはず、反省して」

「ん? んん? あれ、おかしくない? 俺これ反省する流れなの? 何かのダムでも崩壊しない限り明らかにそんな流れは起きないと龍次くん思うんだけど」

「法螺貝、良かった。ね?」

「あ、はい」

「なら法螺貝をもっと広めなければならない。ね?」

「……ま、まあもう少し聞いてやろう」

「龍次も、法螺貝する」

「いやそれだけは絶対おかしい」

「……む」


 ご不満のようで眉を寄せ、あからさまに不機嫌な表情になるまどか。

 一瞬何か悩むように自らの食べていたチョコミントのアイスを睨んで。


「……分かった、これ少しあげるから」

「それで手懐けられると本当に思ったの!? まだ春先でちょっと寒いかなーくらいのテンションにアイスぶち込んで本当に俺もレッツホラガピエンスすると思ったの!?」

「れっつ」

「さあ、みたいなノリで法螺貝を差し出すんじゃあない! どこから出した!?」

「いつもいつでも吹けるようにポケットに」

「ほんとだパンッパンだ! ものの見事にポケット膨れ上がってる!」


 今回は諦めたのか、まどかは徐にポケットに法螺貝を戻すと。


「……いつか必ず」

「なんの決意でしょうかそれ、ねえ」

「龍次の脳を法螺貝一色にする」

「怖すぎるんだけど! 法螺貝しか言えなくなっちゃうというか言語中枢も法螺貝になるからもう口からボエエエエエしか出てこない吼え讃えよ蓄龍次みたいになるけど!?」

「ほえたたえよちくりゅうじ」

「いやほら蓄音機的な何かだよ、いいんだよそこは」

「蓄音機の法螺貝っぽいとこ、まどかも好き」

「さてはお前あの形状ならなんでもいいんだな!?」

「そんなこと……ない、よ?」

「なんでちょっと間があるんだよ……」


 がっくりと肩を落としつつ歩く龍次の隣を、相変わらずてこてこと歩幅を合わせてまどかは歩く。たまにぴょこんとスキップしてみたり、くるんと回ってみたり。


 特に悩みがない時なら、見ていて癒される光景だ。


 と、しばらく進んだ先で彼女はぴ、と指をさす。方角は河川敷。段ボールでも敷けば滑れそうな、芝の広がる斜面。グラウンドとこの道の高低差を繋ぐ坂。


「……あの辺」

「何が、ってああ。もう二か月くらい前か」


 彼女が立ち止まった位置で、龍次ものんびりとしていた歩みを止めた。

 龍次が呟いた通り、今から少し前のこと。


 転入する学校の下見に来た龍次が、その帰り際に気取って河川敷でギターをかき鳴らしていた時に、隣に居る少女とは出会った。


 たまたま、一人でぼんやりしているまどかが居て。

 特に気にせず通り過ぎようとした龍次が、なんとなく彼女の小さな背中が気になって、ただ近くで弾き語りの真似事をしただけのこと。


 あの時間違えてアコースティックギターのケースを持ってきていなかったら、もしかしたらこの出会いはなかったかもしれない。


 別に彼女に聞かせようとしたわけでもなく、河川敷で女の子の近くでギター弾く俺かっこいい的な何かでしかなかったのだが、それをまどかはなんだか気に入ってくれたらしく。


 その時のまどかの心境など、別に知る由もないけれど。


『……ギターって、指、痛い』


 はがれた爪でも見るような痛々しいものを見る目で吐いた彼女の台詞が、ファーストコンタクト。


『そんなことねえよ毎日でも弾けるぜ。かき鳴らす心の旋律に痛みは要らない』


 ちょっと後半何言ってるのかよく分からなかったまどかだが、それでも目を細めて。


『そう……毎日?』


 それだけ言って、あとは近くでぼけっとしていたまどか。


 日が暮れて、いつの間にかまどかは帰っていて。

 龍次は翌日になって彼女の言葉を思い出し、何の気なしにもう一度電車に乗ってこの河川敷を訪れると、あたりまえのようにまどかはまた同じ場所に居た。


 とりあえずもう一度、今度は別の曲を弾いて、帰って。

 その翌日も、また次の日も。


 お互いの名前を知ったのは、一週間後。


「……思えば変な縁だったなあ」

「毎日弾けるとか龍次が豪語するのが悪い」

「ギタリストがギターを毎日弾くと発言するのは果たして豪語なんて大層な言葉が該当するようなものなのかねえ!?」


 いつの間にか二人、再度歩き出して。


「……龍次」

「どしたい」

「……部活、続ける」

「そうだなあ、楽しいもんなあ。こうしてずるずる続いてる縁も」

「……ん」


 満足気に頷くまどかは、もしかしたらこれをわざわざ伝えに来たのかもしれない。


 そう思うと、つい龍次は口元を綻ばせて。


「まあ、なんつーの? 何とかなるかもしれねえなあと思ってるから」

「……もし」

「あん?」

「……もし、が二個ある」


 ぺろりと、そろそろ溶け出してしまったアイスを掬うように拾うようになめとりながら、まどかは相変わらずの無表情で。


「……一個目」

「おう」

「……大変だったら、まどかも、少し頑張る。旋律に痛みは要らない」

「うん? まあ、おう。よく分からんがそれなりでいいぞ」

「頑張るとか、優子とかには見せたくないけど」

「なんか込み入った事情でもあるのか」

「んーん。……二個目」

「おう、なんだ」

「もし……ダメだったら」


 もうそろそろ河川沿いの道から逸れる。そんなところで、彼女はもう一度あの場所を指さして言った。


「……また、ここ」

「あー……ダメにするつもりはねえから安心しろ。いや、安心させてもしゃあねえが。頑張ろうぜ」

「……ん」


 こくりとまどかは頷いて。


 少し頬を緩めながら、徐に法螺貝を取り出した。



『ボエエエエエエ……』

「お、なんだ、今日はゆったり法螺貝だな」

「……ん、なんかそんな気分」


 相変わらず、特に感情を湛えていない瞳で、彼女は龍次をまっすぐ見据えて。


「がんばる。龍次も」

「おう」


 本格的に時間がない。

 まどかがどう頑張るかは分からないが、それでも龍次は少なくとも存続をかけて戦う気力は充填出来ていた。



 明日以降、どうなるかはまだ分からないけれど。

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