第7話 あれ、これもしかして
「そうだ、海に行こう」
「現実逃避はそこまでにしておこう、龍次」
生気の籠っていない瞳で龍次がのたまうのを、葉寅が留めた。留められたかどうかは定かではないが、少なくともすぐに海へと向かわない彼の様子を見るかぎり"今"は大丈夫だろうか。
その海が樹海でないことを祈りつつ、葉寅は周囲を見渡す。
「とはいっても、まあ……これはしょうがないか」
本人はシンバルを愛しているとはいえ、葉寅自身はそれなりに常識人だ。
故に、かどうかは分からないがこの部室内の現状に対しては確かに少々思うところがあるのだった。というのも――
『ボエェエエェェエエエエエ!!』
『オゥ!! イェイ!! WOW!! WOW! WOW!!』
今日も今日とて元気よく法螺貝を吹き鳴らすまどかのことは、龍次もさすがにそろそろ諦めはついている。だが、その隣でヘッドバンギングしながらアコーディオンを弾き鳴らす女は絶対に何かが間違っている。
その楽器でやる仕草ではない。
「……なんであいつアコーディオンなの」
「V系に憧れたはいいけど弾ける楽器が鍵盤楽器しかなくて、鍵盤ハーモニカじゃかっこつかないからアコーディオンにしたとかなんとか」
「じゃあなに、あいつにとってアコーディオンは鍵盤がついてて抱えられるギター扱いなの」
「そういうことじゃないかな」
「ギター練習しろよ!! そんな超絶技巧でアコーディオンの蛇腹開くようなマネが出来るならギターに手をつける時間もあったろうが!!」
「指切って萎えたんだって」
「あのニワカマジでいい加減にしろよ!!」
思わず自身の持っていた楽譜をテーブルに叩きつけて龍次は吼える。しかしその罵声よりも法螺貝とアコーディオンの方が遥かに大きな音量を出しているせいか、全く聞こえた様子はなく。
「……これ、何をする会だっけ」
「会言うな。ちゃんと練習しとけっつったらこうなったんだ、もうダメだ……おしまいだ……レジェンズオブエンドだ……」
「逆じゃないの」
「うるせえうるせえうるせえ! 終末の伝説的な感じのアレだよ!」
気力を失った龍次のそんな叫び声。
若干声が枯れかけている辺り、相当な苦労があったに違いないと葉寅は他人事のように眉を寄せた。
「つらかったね」
「お前もシンバル両手に装備して言うことじゃねえから。ねえ」
「これは練習だよ」
「お前シンバルなんてがっしゃーんってやるとばいーんって波紋が広がるだけじゃねえか!」
「使いどころときちんとした合わせ方、そして余韻を広げるための技術は結構なもんだよ」
「頼むから軽音部で誇らないでもらえませんかねえ!?」
龍次の周囲には、シンバルとアコーディオンと、あと法螺貝。
とても"軽音部"と書かれた部室の中に広がっていてはいけない阿鼻叫喚の図なのだが。
当の本人たちは何も気にした様子はなく、思い思いに音楽を奏でていた。
……音の旋律だけはサマになっているのが、非常に腹立たしかった。
と、アコーディオンの演奏がもう満足したのか優子が声を上げる。
法螺貝がやかましいので、それなりに大声だ。
「龍次!!」
「なんだよ……」
「あんたもいい加減ギターなんてニワカ楽器は止めてもっとセンシティブな楽器に替えなさいよいい加減」
「センシティブって言葉を本当に知ってるのかどうかも怪しいニワカがなんか言ってるよ……」
がっくりと肩を落としつつ、されどツッコミは忘れない。
「センシティブっていうのはね、こう、あれよ。センスがある感じのことよ」
「なんでそんなふわっと説明したの」
「そうとしか書いてなかったからよ」
「どこに」
「聞きたい?」
さも貴様は知らないだろう、と言いたげな嘲笑を帯びた表情で龍次を見据えて。
「知恵袋」
「やっぱりニワカかよ!! もうちょっと調べる手段を模索しろよ!!」
「検索で一番上に来るんだから一番正しいに決まってるじゃない!」
「そのニワカ全力のネット知識からどうにかする必要がありそうだなお前って奴はぁ!」
いつものように額をぶつけあっていがみあう龍次と優子。
仕方ないなあと苦笑いするのは葉寅の仕事。
法螺貝を吹き続けるまどか。
「絵面で安定しすぎてるけどいい加減まどかさんも法螺貝するのやめてくれます!?」
「法螺貝が動詞になってる……」
葉寅の呆れたような声も気にせず、龍次はハーメルンの笛吹宜しくボエエボエエと吹き鳴らす少女を見やる。当の本人は相変わらず瞳を閉じた心地よさそうな感じで延々法螺貝しているのだが、ようやく始められた練習にも拘わらずこの有り様だ。
「……練習しろって言ったのは、龍次」
「いやまあそうなんだけど」
「そしてまどかだけはいつもきちんと練習してる」
「あれを練習だと言うのならまあそうなんだろうな」
「練習」
「あ、はい」
ジト目で言われてしまえば龍次も黙るしかない。
確かに彼女が
だって軽音部の普段の部活動というのは、本来楽器を練習するためにあるのだか――
「いや法螺貝!! あやうく流されそうになったけどやっぱり法螺貝練習したって仕方ねえだろ!」
「……龍次、めんどい」
「めんどい!? この期に及んで!?」
町内バンドグランプリまであと二十日もない今日。
龍次たちの軽音部生活は、危機感も含めて何も変わっていなかった。
強いて言うなれば、ほんの少々"練習"という言葉が出るようになったことと、あとは楽器の音が増えたこと。
ただし、専らが法螺貝とアコーディオン、そして金盤がぶつかり合う音である。
「こう、あれだよ。絶対おかしいと常々思ってたけどよ、改めて楽器弄るようになると猶更だわ。シンバルとアコーディオンと法螺貝でどう旋律を奏でるつもりなんだよ題名の無いアンサンブルサーカスじゃねえんだぞ」
「題名の無いアンサンブルサーカスってなに」
「伝わってよ俺のニュアンス!! 意味不明でもさあ!!」
「ニュアンスって言葉は知ってるわ。あれよ、"言いたいことは分かるだろ"ってことね」
「別に今ニュアンスの話をしたいんじゃねえんだけど!? 言葉に込められた言外の意味的なあれだよ! 中外二枚看板!!」
「……込めてるから中。言外だから外。両方備えてて強い?」
「お前ら俺の言葉分析して遊んでる暇あったら他の楽器考えてくれませんかねえ!?」
「……他の楽器ってなに」
「ええ……? 例えばほら、キーボードとか、ドラムとか――」
「きーぼーど……? どらむ……?」
「まさかお前その質問の意図はそもそも法螺貝以外の楽器って存在するのかみたいなそういうタイプ!?」
「……馬鹿にしてる?」
「じゃあその反応はなんなんだよ!」
「まどかがきーぼーどとかどらむとか弾いてるのが想像できないだけ」
「どのみち致命傷だなあ!!」
仕方なしとばかりに、龍次はケースから自らのギターを取り出した。
「とにかく、軽音部である以上はせめてギターのメロディラインについて来られるものじゃなきゃ意味ねえ!!」
ポール・リード・スミスのCustom24。彼の大好きなギタリストが扱うものと同じモデルを、必死に小遣いを貯めて購入したものだった。ちなみに、そのために三年ほどほぼ断食状態だったくらいである。
徐にアンプにコードを繋ぐと、ラミネイトされたその綺麗なギターを優しくなでてから、軽く音を確認して。
「~~~……」
元居たバンド"シェイド"でよく弾いていた曲を弾き始めた。
あたりまえのように、上手い。
ゆっくりと、しかし正確な指運。歯切れの良いストロークに、安定したリズム。
芯のある音が響きわたり、軽めながらも聞き心地の良いピッキング。
「……上手くは、あるのよねえ」
「普段の龍次からは確かに考えられないけどネ」
素直に感心する優子と、ちろりと舌を出してからかうように、しかし温かい目で見守る葉寅。
それと。
「……」
ぽへっと。パイプ椅子に腰かけてギターを弾く龍次の前に座り込み、のんびりとそのメロディに耳を傾けるまどか。
「夢を乗せてくれるのか。また、俺に見せてくれるのか。今度は、そう――」
ボーカルが、好きなゲームのキャラクターの台詞から取った歌詞。
龍次の心にも響いたそれを、声を震わせて紡いでいく。
「……ふむ」
ギターが心地よい流れを作る中で、優子が何か頷くと。アコーディオンを取ってきて、そのまま弾き始めた。
「俺たちの、夢を。また、あの空へ~」
ぴくり、と龍次が反応した。
しかし不思議とアコーディオンの音は邪魔にならず。
二人の音が、重なっていく。
「……む」
と、龍次の前から不機嫌そうな声。
先ほどまで聞き入っていた彼女が握りしめていた法螺貝を咥える。龍次の顔が苦虫を数匹かみつぶしたようなものに変わったが、しかし。
ぼえぇええええ、という法螺貝特有のその音波は何故かギターの旋律に同調して、合わさって噛みあって流れていく。
アコーディオンと若干重なっているような感じはしたが、それでも三つの音が渦を描いてまっすぐ空へ上っていくように連なって。
「WOW、YEAH~……」
最後の歌詞を歌い終えた瞬間。
響き渡る、波紋のようなシンバルの音。
同時に消えるギターとアコーディオンと法螺貝の紡いだ音楽。
しかし、消滅というよりもそれは昇華。最後の余韻を含んだ、シンバルの美しい締め。
「……え?」
龍次が、呆けた声を上げた。
形になっていた。
法螺貝と、アコーディオンと、シンバルが。
何故この曲に即興で合わせられたのかは知らないが、しかし。
「……あれ?」
龍次は思った。
次の、町内グランプリ。
これ、もしかしてワンチャンあるんじゃね?
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