第3話 法螺貝と人とときどきア・タ・シ
昨日は酷い目にあった。
そう一人ごちて、龍次はいまだに痛む肩をくるくると回して調子を整えながら、いつも通り部室の扉に手をかけた。
葉寅を抱えて行われた逃走劇は、実に一時間以上に渡り。
結果として多くの人目に触れてしまい龍次としてはとても恥ずかしかったのだが、だいたいの反応が「また軽音部か」というようなものであったことにほろりと涙した。
「こんな注目は求めてないやい」
それなりに大切にしていたプライドをまたしてもへし折られて、それなりに落ち込んで、それなりに持ち直して。そんな気持ちで迎えた放課後、龍次は部室に入るや否や耳をつんざくような音に遭遇した。
『ボエエエエエエエエエエエエ!!』
「普段の三倍うるせえ!! 出陣か!? 盆倉学徒動員ってか馬鹿野郎!!」
キィィイイン、とスピーカー特有の響き渡る音の波。
見ればテーブルの上で一人ご機嫌に法螺貝を吹き鳴らす少女の姿。なぜか法螺貝にコードが刺さっており、その行きつく先は――
「なんで!? なんで法螺貝にスピーカー接続出来てんの!?」
『ボォエェェエェェエエエエェエエエエエエ!!』
「まるで聞こえてねえじゃねえか届け俺の思い遥かなる明日の空へ!! fly in the sky!!」
『ボエェェエエエエエエナンデソラトブノボオオオエエエエエエエエ!!』
「まるまる聞こえてんじゃねえか法螺貝で喋んな!! ホラ・ガピエンスか!!」
「ホラ・ガピエンスってなに」
「うっせえうっせえ! そこで現世に帰ってくるんじゃねえよ!」
「ホラ・ガピエンスってなに」
「好奇心旺盛な輝く瞳やめてごめんなさい、塩の柱になってしまう」
『ふぅ』とスピーカー越しに響く、ちょっぴり艶めかしい少女の吐息。
いつも通り、いやいつもの数割増しで満足げに微笑むと、少女――
そんなどうでもいいことを考えつつ、龍次はまどかの握っている法螺貝に目を向けた。
吹き出し口に集音マイクが搭載されていた。
「迷惑極まりないな!! 騒音公害だ!」
「騒音公貝」
「いや別にそういう意味で言ってねえから! やめて毎回俺が変なこと言ったみたいにすんの!」
法螺貝を吹き終えた彼女は、いつもの眠そうな瞳に戻って。
目が輝くのは興味の沸くことがあった時だけと、非常にわかりやすい自由人。
ついでに制服の袖口でこしこしと顔を擦るさまは子猫を連想させた。
「龍次」
「なんだ」
「うるさい」
「よぉぉおっし、ブーメラン大会なら他を当たれ。プッツン来ちゃったぞお兄さん」
「お兄さんって歳でもない」
「お兄さんって歳だよ!! 十六だよ!!」
「まだまだ尻の青い小僧」
「あ、そっちね。……口悪いな!? 俺が言えたことじゃないけど!」
ウソ、冗談。とちろりと舌を出すと、大きく伸びをしてまどかはパイプ椅子に腰かけた。
ぎーこぎーこと揺り椅子のように後ろ脚だけでバランスを取りつつ、だるそうに目を細める。
「龍次」
「なんだ」
「疲れてる?」
「主に三人の部員のせいでな……昨日もあれだったが今日も出だしから不条理のハリケーンっぷりが疲労に拍車をかけてる」
「疲労に拍車をかけまして?」
「えっ」
「かけまして?」
「ひ、疲労に拍車をかけまして、社会と解きます」
「その心はー?」
「どちらも歯車がつらいでしょ――」
「みんな遅いね」
「最後まで言わせてもくれないの!?」
即興の頑張りを讃えるくらいはしてくれよ! と叫ぶ龍次だが、冷めた瞳で「それじゃ社会と拍車かけてるじゃん」と言われてはぐうの音も出ない。そもそも疲労"に"拍車をかけたところで謎解きにはならないのだが。
ちなみに拍車をかけるの拍車とは、カウボーイブーツのかかとについているあれのことである。歯車がついているものが多い。
「後輩が横暴すぎる」
「龍次は何言っても付き合ってくれるから好きだよ」
「お前あれか、そのナリで悪女か」
「友達として」
「絶対に許さねえこの後輩」
ちろりと舌を出した彼女に、振り上げた拳を叩きつけることも出来ず力なくだらんと下げる。
ある意味優子以上に相手が悪かった。最悪あっちのニワカが形を持ったような女であればアイアンクローくらいなら許される。その辺、この華奢で小柄な後輩への対抗手段がなかなか浮かばないのは、ある種龍次の悩みの種であった。
「っつうかよぉ」
どっかりとパイプ椅子に腰かけて、龍次は悪態をつく。
「法螺貝の何がいいのお前」
「……音の豊かさ、豪快さ。人の胸に響くような歌声」
「胸に響く(物理)なんだが」
「それが、いい」
特に感慨を表情に浮かべるでもなく、ぽつりぽつりと彼女は語る。
「吹けば吹くほど、まどかは胸の中からいろんなものを吐き出せて。みんなの胸には、まどかの想いが鈍く響いて。まどかの嫌なことも好きなことも全部同じように波紋になってみんなに届く。プラスでもマイナスでも、感情の高鳴りを思い切りぶつけても、誰も不幸にならない」
「……意外と、色々理由があったんだな」
「あまり、言うことでもない」
こすこすと瞼をこすると、大きく欠伸して。まどかはほんのりと微笑んで、テーブルに突っ伏すと顔だけをこちらに向ける。
「……見直した?」
「いや、まあ。音楽にかける思いみてえなのがあったってんならまあ、なんつーの? 俺も頭ごなしに法螺貝否定できねえというか……」
「法螺貝で、いい?」
「いやよくはねえけど、でもな……」
難しい。と龍次は腕を組んだ。
そんな理由があったのであれば、ひたすら法螺貝を吹くのにも否やは言えない。
だが、だからといって軽音部で高みを目指す野望も、龍次は捨てきれないわけで。
「ありがと」
「……お、おう」
にへらとめったに見せない緩い笑みをみせつけられてしまっては、龍次も何も言えなかった。
なんだか少し絆が芽生えたような気がして、少し心が温まる。
「まどかの好感度が上がった」
「え、何お前好感度システム搭載してんの?」
「……整理しておかないと分からなくなるから」
「データ的に処理しなくても、もっとこうハートから訴えかける情動の画竜点睛みたいなのが――ごめんなさいなんでもないです」
「まどかの好感度が下がった」
「これで!?」
「龍次が意味不明度を上げるとまどかの好感度が下がる」
「意味不明度」
「まどかの中で龍次の顔がだんだんと不明瞭になっていく」
「こっわ!! ぐにゃあああってなるってこと!? 世界が俺で渦巻くフィーバーナイト!?」
「それはとても気持ち悪い」
「圧倒的ボロクソ! もはやボロクソじゃないまであるな!?」
「ボロクソだよ」
「ボロクソかよ!!」
パーンとテーブルをひっぱたいて、勝手に一人で手を痛めてうずくまる龍次。
「龍次」
「なんだよぉ……」
「トイレは向こう」
「吐くわけじゃねえよ!!!」
勢いよく立ち上がる。
吐かれるのではないかとでも思ったのか凄まじく不愉快そうに表情を歪めるまどか。
龍次はめちゃめちゃ傷ついた。女の子に汚物のように見られるのは割と効く。
「や、吐かないから!」
「指突っ込んでも?」
「吐かせたいの!?」
「龍次好きな人いる?」
「や、居ないけど――指を口に突っ込もうとするんじゃあない!!」
「吐く」
「吐かせたいんじゃねえか!!」
って。
「そっちの吐くじゃねえだろ!!」
「……え、今それにつっこむの? 面白いと思った?」
「何故お前を面白くさせなきゃいけないんですかね!? まどかをプロデュースなの!?」
「する? ちなみに現状面白くないのは龍次だけど」
「割と乗り気かよ……!」
「女の子っぽくなりたい」
「女の子ォ……?」
今の今までさんざんに言い負かされて気落ちしていたせいか若干目を合わせていなかったまどかに、改めて視線をやれば。
普段から気まぐれで無表情な彼女が、若干ではあるが朱のかかった頬を携えてこちらを見ていた。
通常時が通常時であるが故にギャップが酷く、一瞬虚を突かれて言葉を失う龍次だが。
「え、なんなの。好感度システムといい誰も居ない場所でそんな可愛らしい言葉吐いちゃう感じといい、俺割と好感度は高い感じなの?」
「残念ながら――」
「上げて落とす!! お前やっぱり悪女の類だろオラァ!!」
うがー!! と頭を抱えて叫ぶ龍次を、馬鹿にしたような笑みと共に見下げるまどか。
と、そんなところにドカーンと、いや、バターンと、何れにせよけたたましい音を立てて扉が開く。
「おっはようお二人さん!! なんか知らないけど今日は早いのね! あたしはちょっと忙しかったわ! 最近インディアンバンドっていうのを聴いて勉強しているのよ!」
「インディーズな!!!!!!」
「そう? そうだったかしら! よくわかんないけど些細なことよ! お茶の子を散らす勢いだわ!」
「些細でたまるかこのアホ俄か!! 蜘蛛の子とお茶の子さいさいが混じってんだよ!! 切り拓かれた文明の統治者がヒュドラになるぞ!!」
「ごめん意味が分からないわ」
一瞬で騒がしくなった軽音部の部室。
ぎゃーぎゃーと言い合う優子と龍次の背後で、まどかはちろりと舌を出した。
「――結構高い」
「どうしたのまどか! なんか言った!?」
「なんでもない。優子もうるさい」
「よぉぉおおっし戦争よ! 覚悟しなさい!!」
その瞬間、優子の背中から枕が現れる。
「どっから出した!?」
「枕投げ大会って面白いと思わない? ……と、そうじゃなかった」
ぽいーっと枕を捨てた。
この女、やりたい放題である。
きょとんとする龍次とまどかに対し、彼女は楽しげに口元を歪めると。
じゃーん、と先ほどと同じように背中から一枚のチラシを取り出した。
まどかと龍次は食い入るようにその紙を見つめて。
「……第三回町内」
「バンド、グランプリぃ……?」
「そうよ!!」
あのなあ、と龍次は腰に手を当てて、説教をかましてやろうとその口を開く。
「俺たちがエントリーしたところでそもそも曲どころか楽器だって揃ってないんだ、どうしようも――」
「もうエントリーしてきたわ!」
「――は?」
一瞬。
龍次は思考をフリーズさせて。
そんな彼に、優子は再び言い放つのだった。
「もうこれへのエントリーはしてきたわ!! 頑張るわよ! あんたたち!」
拝啓、お母さん。
ぼくは今、生まれてきて一番の危機に立たされています。
脳内で母親あてに書いた手紙が誰に届くはずもなく。
盆倉高校軽音部史上最大と言われた怒涛の一年が、始まろうとしていた。
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