第2話 俄かは影響も受けやすい




 私立盆倉高校。


 数年前に出来たばかりの新設校であるために設備はそこそこ以上に綺麗で、リノリウムで仕上げられた床は抗菌ニスが塗られたばかりなのか照り返しが強く上履き越しの弾力も妙に心地いい。


 天井も床も、教室との間を隔てる壁も白く、左手に取り付けられた大きな窓から差し込んだ夕日がそれらを暖色に染め上げていた。


 のんびりと歩いていると煌々としたオレンジが目にちらついて多少煩わしくはあるものの、例えばカーテンなどが引かれていたらそれはそれで味気ないと思い直して一路部室を目指す。


 既に一日に割り当てられたカリキュラムは全て終了しており、耳を澄ませば運動部の掛け声や金管楽器の調律音が聞こえてくる時間帯。玄関付近ならまだしも部室棟をこのような時間にうろつく人間はあまり居らず、龍次は長い廊下を一人で歩いていた。


「……或いは俺は、放課後のハーモナイザーなのかもしれないな」


 何と比較して"或いは"なのかは分からないが、残念ながらというべきか現在彼の言葉にツッコミを入れるものはいない。それがまた増長を誘うのか、龍次はニヒルな笑みを浮かべて一度窓の外を見上げるようなアングルで目を眇め、ふ、と目線を切ってまた歩き出した。

 というか、わざわざ立ち止まってキメ台詞を吐いた辺りに彼の自己陶酔度合が窺えた。


 廊下の終点は正面が非常口になっており、突き当り右手に彼の所属する部活"軽音部"の部室がある。


「さて、今日こそ。今日こそバンドを組み立てて練習をっ……! 俺は、主人公になるんだ。いいや、なり得る存在だ……!!」


 何やら自分に言い聞かせながら、龍次は引き戸を開く。


 普段であれば三人とも居るはずだが、一人は流浪の旅人のごとく窓から脱走することも多い。

 他二人とて用事があれば居ないこともあるのだが、さて、今日は。


「あら。龍次が最初に来たのね」

「んぁ? 優子だけか」

「みたいね。他二人はまだ見てないし」


 四人で居るにはそこそこ広い、一見会議室にも見えるその部屋。四方の壁がきっちりと防音仕様になっている以外何の変哲もない一室が、龍次たちにとっての"部室"だった。


 今日はその部屋に一人ぽつねんと、ブレザー制服に身を包んだ少女が立っていた。


 部室のど真ん中。本来ならそこにあるべき会議用のテーブルは全て端に畳んで寄せられて、その代わりになぜか体育用のマットが敷かれていた。


 もう嫌な予感しかしない。


 この女の意味不明な行動は、まず間違いなく余計な事案しか起こさないと、たった数週間の経験だけで龍次は悟っていた。


「……何をする気だ貴様」

「そんな現行犯の強盗取り押さえるみたいな言い方やめてよ」

「だいたい状況は似通ってんだよ」

「あたし強盗呼ばわりされてんの? むしろ逆よ逆」

「……は?」


 警戒心も露わに身構えた龍次に、呆れたように少女は手を払った。


 雀宮すずめのみや優子ゆうこ


 この軽音部(偽)の部長であり、中心人物でもある彼女。

 生徒会にも所属しているらしいと風の噂で龍次は聞いたが、信じていないし信じたくないのが心境であった。


「まあとりあえず上履き脱いで上がりなさい」

「……一人で先に来て何してたんだお前」

「え、葉寅にやらせたに決まってるじゃない。めんどくさいじゃん」

「お前が鬼か」


 言われた通り上履きを脱いで、四畳ほどのマット空間へと足を踏み入れる龍次。

 これをわざわざ隣の棟にある体育倉庫から引っ張り出してきたことに感心するやら呆れるやらしていると、やっぱり他人にやらせていたことが発覚し龍次は哲学者のような顔になった。


「ところで龍次、あたしたちに足りないものはチーム名以外にもあるわ。なんだと思う?」

「むしろ何が足りてるつもりなんだお前」


 胸を張り、ディスカッションでもするかのように指を立てて問いかける優子に龍次は即答。

 もはやその瞳は人を見るそれではないことに優子は気づかない。


「うーん、まあやっぱり龍次には難しいかな」

「マットがあって良かったな、救急車は免れそうだぜ……!」

「何拳握りしめてんのよ。答えが分かったなら言いなさい」

「ドラムスティックにしてやろうかこの女」

「そう、それよ!」

「……は?」


 思わず足を掴んでマットに叩きつけそうになったところで、優子はびしっと龍次を指さした。

 呆ける龍次に対し、優子は続ける。


「あたしたちに足りないのはアンチに対する防衛手段よ!!」

「アンチどころか認知されてねえよミンチにされる予定があんのはお前だけだ杏仁民かお前は」

「杏仁民ってなに」

「ごめんなんでもねえ忘れろ」

「杏仁民。そういうお前は。妄言民」

「なにちょっと上手いこと言ったみたいな顔してんの!? たまたま五七五になっただけで欠片も上手くねえからな!?」

「五七五を即座に作れるあたしと、妄言吐くしか能のない龍次」

「優れているのはどっちかしらじゃねえんだよ勝ち誇った笑み辞めろゴルフボールみてえな顔にしたくなるからァ!」

「ゴルフボール……? 白いのよね! いいじゃない!」

「ボコボコに凹んでることを知らねえらしいなこの俄か蛮族は……良いだろう、ナイスショットしたくなるまで整形してやる……!」


 ぼきぼきぼき、と手の関節を打ち鳴らし、暗い笑みを浮かべて龍次は優子に迫る。


 と、その瞬間だった。はっと気づいたように優子は器用に体を回転させると、そのまま右足を振り上げて勢いよく龍次の股間を蹴り飛ばした。


「ひゃこけっ!?」

「……ふう、そうよその調子よ。本で読んだわ、男はそこが超人的弱点だって。確かにアンチはそうやって間合いまで入ってくるわ、やっつけるにはやっぱりこうねっ……」

「本にはァ……ほんっとに、やべえ場所だ……ってぇ、書いてなかったかァ……?」


 掠れ掠れの声振り絞り、しゃがみこんだ龍次は呻くように言う。

 満足げに蹴りの素振りを繰り返す優子を見上げ、龍次は親の仇に向けるような視線で睨む。

 その目は血走っていた。コワイ。


「え、書いてあったかしら」


 ぱたぱたと隅にある鞄の方まで駆けていく優子。

 チャックを開く。本を取り出す。『男の弱点はここだっ!』。さっと青ざめる。ゆっくりと首を振る。本を閉じる。


 そして、蒼白そうな顔で優子は歩みよると、しゃがみこんだ龍次の背にそっと手を当てた。


「あたし……あんたのこと嫌いじゃなかったわ」

「何を読んだ!? どこを読んでそういう結論になった!?」

「死に至ることもある。そう、確率で即死。あんた幸薄そうだし、幸運Eくらいしかなさそうだし……きっともうダメよね」

「さてはお前直前までなんかのゲームやって影響されたな!? 死に至ることもあるは合ってるよ!! なんでそれがイコールで『確率で即死』になるんだよ!!」

「あたしの宝具『煌く彼方の黄金蹴撃ゴールデンスマッシュ』は――」

「やってたゲームは分かったから黙れどちくしょう!! おのれ俄か!! 煌く彼方まで俺の歌を届けてやるからなっ……」

「消滅演出長くない?」

「俺消えんの!? 人じゃなかったの!? サーヴァ○トなの!?」


 いい加減股間の痛みが引いてきた龍次は、念のためぴょんこぴょんこと跳んでもう少し痛みを散らしつつ、あまりといえばあんまりな優子の扱いに憤慨して。


「ったた……あーもうマジで冗談じゃねえ。なんで俺がこんな目に――」


 と、若干涙目になりつつ龍次は目の前の少女を見る。

 何故か大層驚いたように目を瞬かせていた。


「……龍次が、立った」

「いやあのね、死なないからね? アルプスみたいな言い方やめて? なんでなり切っちゃってんのこの俄か。ロールプレイ楽しい?」

「ロールプレイに関しては普段のあんたの酔い痴れ具合よりははるかにマシだけれど」

「ぐほぅ……」


 胸を抑える龍次。


「龍次! やっぱりあんた――」

「その下りはもう良い!!」

「なによ、素っ気ないの」

「むしろお前をゴルフボールにしてないだけ有り難いと思えこの野郎」


 ゆっくりと、ため息。

 眼前の女のポンコツ具合に思うところはあったが、それに振り回されてなおこの軽音部に在籍している理由もあるわけで。このくらいは仕方ないかと、龍次は一人諦める。言いたいことは、言わせて貰っているのだし。


「まあでも、いいわ。付き合ってくれてありがと。防衛手段に関しては、まずまず問題がないことは分かったわ。すかさず宝具が打てるくらいの反射神経はあるのだし」

「宝具って言うな。お前の蹴りはもっとこう粗雑でどうしようもない奴だ。――ん? あたしの?」

「ええ、もうすぐ来るわ」


 なにが、と龍次が言うより先に、廊下の方が一気に慌ただしくなる。

 どどどどどどと群れをなす重い足音のような、そんな。


 何事かとそちらへ意識をやると同時、飛び込んできたのは我らが部員の一人、古月ふるつき葉寅はとらその人だった。今日は優子と同じ女子制服。ついでにいえば息絶え絶え。


「はっ……はっ。死ぬっ……!」

「あ、え? なに、どういう状況?」


 困惑する龍次に、そのまま葉寅は抱き着く。


「助けてっ」

「いやお前なんだそのヒロインみてえなムーヴ、は……」


 胸元に飛び込んできたことは、とりあえず、良い。

 それなりに鍛えているだけあって、性別不詳ながら矮躯である彼(彼女?)を受け止めるくらいは造作もなかった。だからこそ、意識を向けるべきは葉寅本人ではなく――


「さっき体育倉庫からパクってきたこのマットなのだけれど――」

「言うな……言うんじゃねえ優子てめえ……」


 彼の背後で、朗々と説明口調で話し出す優子。

 しかし振り返るような隙など無い。


「葉寅に持ってきて貰う時に、軽く言ってやったのよ」

「言うな、それ以上言うな……」

「『かかってきなゴリゴリマッチョ、うちの唯一の男子部員に勝てると思うならなっ』」


 彼女が言い放ったと同時、部室の扉の前に犇めいていた柔道部員たちが血走った眼で龍次めがけて殺到した。ちなみにこの学校はそれなりにスポーツも盛んで、特待生やスポーツ推薦を許可しており――


「我が部の練習時間を奪ったその罪、絶対に許さぬからなァアアアア!!」

「おっすおっす、ぶっ潰す!!」

「おい坊主、寝技キメるのは最高に気持ちイイぞ……!」

「三百回はマットに叩きつけてやるからなァ……! 軽音部のドラムスティックみたいにしてやる……!」

「その台詞もう俺言った後だからァ!!」


 まずいと悟ったその瞬間、抱き着かれて煩わしい葉寅の足をすくい上げ、龍次は窓の方に逃走を図った。


「わ、ちょ、龍次っ!?」

「うるせえ黙ってろこの戦犯がァ!」

「教唆犯は優子だよぅ!」

「実行犯がお前だって言ってるようなもんだろが!!」


 雪崩れ込んでくる柔道部は、現在部室の地面がマットになっていることを悟ってか本当にダイブを敢行した。

 かろうじて体を捻って回避して、龍次は窓をこじ開け跳躍する。


「優子ォ!!」

「なによ、闘いなさい!」

「ふざっけんな――」


 一口息を吸い込んで、お決まりの台詞と共に逃走する。


「――解散だこんちくしょおおおおお!!」




 柔道部はマット回収班と龍次処理班に分かれ追撃し、龍次が一日必死こいて素敵な逃走劇をするハメになったのは、また別の話。

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