第3話
「あら~
店のドアを開けた瞬間、野太いの声に出迎えられた。筋肉隆々の身体に蛍光イエローのピチピチタンクトップ、角刈りのレスラーじゃなくて、マスター(ママ)だ。
「年始は忙しいんだって。」
俺はまだ埋まっていなかったカウンターに座った。
「はいはい。お疲れの冬至君にあけおめって事で一杯サービスしてあげる。」
「サンキュ。んで、その子は?」
カウンターには見慣れないボーイが入っていた。20歳そこそこだろうか。顔は悪くないが、擦れてない、純朴というか、いかにもデビューしたてですといった感じだ。
「拾っちゃった。」
「はぁ?捨て犬・捨て猫じゃあるまいし、ママってホントお人好しだな。」
「いらっしゃいませ。
和樹が頭を下げる。
「良かったな。ママはバケモノみたいなナリだけど、いい人だから。」
「ちょっと、バケモノとは何よ、失礼ね。和樹もそこは否定しないさいよね。」
他の客達からも笑い声が聞こえる。
「アンタ達もあんまり笑ってるとボるわよ。つーか掘るわよっ。」
ママの言葉に客達は勘弁して~だの、助けて~だのとの更に囃し立てる。この店の予定調和だ。
ふと和樹の袖元を見ると、リストカットの跡。パフォーマンスではない深い傷。俺の視線に気付いて和樹は少しばつの悪そうな顔をした。自殺した高校生の葬儀を担当していたせいか、何となく、和樹を放っておけなかった。
「説教クソジジイの独り言だと思って聞けよ。」
「はい。」
敢えて和樹と目を合わせずに続ける。
「人間いつかは死んじまうから喰いっぱぐれねぇと思って、俺は葬儀屋に入ったんだ。正直、死んだ人間より生きてる人間の方が何倍も醜くて、怖いって事も知った。」
俺の説教に気付いて、ママはカウンターから後ろのボックス席へと行った。
「頭では分かっていたはずなのに、働き出してから、生きたくても、生きられなかった人がいるって事も実感したんだ。残された家族を見ててさ。全然知らない他人だけど、その光景はあんまり気持ちの良いもんじゃない。」
和樹は黙って俺の話を聞いていた。
「俺は女とも付き合えるから、ゲイだって悩んだり、いじめられるっていう気持ちはさ。正直分かんねぇけど。死んで困るのは、周りの人間で、お前じゃない。」
「はい。」
「和樹君は親はいる?」
「親にカムアウトしろって事ですか?」
「いや。血の繋がった親だからって何でも分かり合えるなんて言わないよ。」
親という単語に過剰に反応したように見えた和樹の顔が安堵したように見えた。
「
和樹は首を横に振った。
「子供が親より先に死ぬ事を言うんだ。親にカムアウトしなくたって、親より先にさえ死ななければ、別に何したって良いって、俺は思ってる。あ~ただし、警察とか人に迷惑は掛けんじゃねーぞ。って何泣いてんだよ。独り言だって言っただろうが。」
「っくん、でも。」
「和樹、奥に行ってなさい。」
俺が和樹を泣かせた事実に面を食らっていると、ママがカウンターに戻って来た。先ほどからこちらをうかがっていたらしい。和樹は素直に裏の厨房へと消えて行く。
「なんか、ありがとうねぇ~」
「いや。泣かせただけだよ。泣くとは思わんかった。悪い。」
「アタシじゃ、あの子の気持ちも分かるから、言い辛くって。冬至君みたいなのに言ってもらう方が効果あるのよ。あら、いらっしゃい。珍しい人ばかり来るわねぇ、今日は。」
入口を振り返ると、あの時の彼が居た。彼がこの手の店に来る事に驚くより、あの時より顔色が良い事にほっとした。
「俺、そろそろ帰るわ。」
財布を取り出そうとすると、彼が、俺の手に触れる。白く冷たそうな手は意外にも暖かった。
「今夜は一人なんです。一杯だけ、付き合ってもらえませんか?」
「俺の事、覚えてますか?」
「覚えていないと言ったら?」
「思い出さない方が良いですよ。」
彼は手に力を入れた。
「悲しみに蓋をするのはまずいのでしょう?」
「なら、一杯だけ。」
「良かった。」
彼が俺の隣に座る。
「映ちゃん、冬至君と知り合いなの?美形同士が隣り合ってると絵になるわねぇ。意味深発言も気になるしぃ。」
「私の恩人です。」
「あら?そうなの?恩人だからって冬至君はバイの遊び人だから気を付けなきゃダメよ。さっきも一人泣かせてたから~」
「私もかなりの遊び人なので、ちょうど良いですね。」
「嫌ねぇ、もう。ごゆっくり。」
ママは俺と彼に水割りを作ると、手をひらひらさせてボックス席へと行った。
「……」
「……」
沈黙が続く。俺は別に人見知りってわけでもないし、ナンパしたり、されたりもする。なぜ彼は俺を誘ったのか。チラチラとフリーの客が彼を見ているのが分かった。入口に居た彼を見た時は抱く事など考えていなかったが、彼が別の男と過ごすのは許せない。
「俺と居ると、正直、嫌な事を思い出すんじゃないかと思うんです。」
「独りで居るには寒すぎる季節ですよね。決まった相手は作らない事にしているんです。遊びで構わない。身体だけの相手でも、今夜はあなたが良い。」
彼の心の裡に潜む翳りを、その理由を僅かではあるが、俺は知っている。大切な人を失って、この人は悲しいままなのだと痛感した。俺の言葉がこの人を悲しみに縛ったのだろうか。
「でも、さっきの誰かみたいに、泣かされるのちょっと。優しく抱いてくれます?」
「説教クソジジイを発動しただけですよ。」
「説教?」
彼が首を傾ける。あの時よりも伸びた髪は肩にかかる程度に長く、アシンメトリーにしているようだ。短い右側の耳には華奢なピアスが光っている。
「新入りのボーイがリストカットしてたみたいでね。」
「優しいんですね。」
「別に。ただの自己満足ですよ。」
「ボーイ君、羨ましいな。誰かに気にかけてもらえるってすごく嬉しいもの。」
俺はカウンターの下で彼の手を握った。
「本当に良いんですか?」
「誘ったのは私の方です。」
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