第9話 ヤモリ その3

町の生存者はもう、ふたりしか残っていないんじゃないかというほど閑散としていた。

停められている自動車はまるで廃車のように見えるし、自転車も何年か放っておかれているようなありさまだった。家々は門をかたく閉ざし暖かみもなく空き家そのものだった。


こうなってしまう前になにか手を打つ時間はあったはずだ。でも人々はそうはしなかった。確かに迫っていたのに、異変を対岸の火事だと安穏としていた罰。気づいてからでは遅すぎる。

もう、スメラギ町はおしまいだ。


減少事件が始まってたったの数か月でこうもかわってしまうのか、と辰俊は驚きを隠せなかった。

築くのは大変だが失うのは簡単、信頼と町の崩壊は似ているな、と思った。


塩里にこんな想いをさせてしまったことに、辰俊は後悔していた。

自分たちのクラスの者が、誰よりも早く異変の重大さに気づいていたはずだ。いや、そうじゃない。オレだ。

オレは圧徳の変化を目の当たりにし、そして、塩里はオレに助けを求めていたのだ。あのときもっと神経質になり、減少事件に眼を向ければよかったのだ。

その結果、圧徳は失踪し、塩里を苦しめているのだ。


絶望にさいなまれ、辰俊は歩をとめた。

しかしそのことに塩里は気づかず、声をかけた。


「警察や政府はなにをやっているんだろうね」


辰俊は慌てて歩き出す。そうだ、くよくよしている場合ではない。塩里にとって頼れるのはオレしかいないんだ。


「報道機関は、本当にヤバいことは見なかったことにする、と聞いたことがある。得体の知れない何かに廃業に追い込まれたくないから映像を流さないんだ。つまり、一連の事件は、そういうことなんだよ」


「廃業とか……もうそんな次元の話じゃないと思うんだけど……でも今のって、霊現象のことだよね?」


「可能性のひとつだ」


「霊現象ねえ、想像もしなかった」


「塩里」ここで辰俊はまたとまった。彼女が振り返るのを待つ。

「どうしたの?」

「隣町に避難しようか。そこでなら安心して、落ちついて、情報を得られるかもしれない」


塩里は悲しそうな笑顔を浮かべながら首を横に振った。

「ありがとう。でも、どうしてもお母さんを見つけたいの。ごめんね」


本気で言ったつもりはなかった。自分も母親を残して逃げ出したりはできない。ただ、塩里がそうしたければ叶えてあげたい、なんとか救ってやりたい、そう考えたのだ。

「冗談だよ。行くぞ」


目的地は巨大ショッピング・モールの化粧品販売店。そこで塩里の母親、舞菜は働いているのだ。いくつかある化粧品売り場の中でも繁盛しているほうだった。親切丁寧な接客が評判で、自分にあったものを買うことが出来る、と辰俊は海代が熱っぽく語るのを覚えている。


ショッピング・モールに到着したのは塩里の家を出て30分ほど経過したころだった。自動ドアをくぐり中へ入る。

そこで、ふたりの表情はいっそう厳しくなった。

連日ひとでごったがえしているショッピング・モールが、まるで開店前のように静寂に包まれていた。しかも今は昼前、混雑もピークを迎える時間帯なのに。


足を速める塩里。辰俊は周囲に注意を払いつつ離されないようついて行く。

さまざまなテナントショップが並び、ポツポツと従業員の姿が見える。しかしそれは仕事をしているというより、習慣でそこへ行き、それから途方に暮れているといった感じだった。客は来ない。でも仕事には出なければならない。ところが来たからといって何もすることがない。なんでこんなところにいるんだろう。すべての店員がそういう困惑の色を浮かべていた。


それらが視界の片隅に映っていたのだろう、塩里のスピードがさらに増した。

彼女の不安はわかる。だけど冷静な判断と引き換えに焦るというのは危険だ。なにがあるか、潜んでいるか、わからないからだ。


「塩里、落ちつけ。もしも舞菜さんが仕事場に来ているのなら逃げたりしない。だからそんなに急がなくてもいいよ」


それでも速度を落とさない塩里。離されまいと辰俊も急ぐ。

舞菜が働くお店に着いた。思わず絶句するふたり。なぜなら、従業員が誰もいないのだから。


「おいおい、不用心だな。ご自由にお持ちください、てか」

「お母さん、いるの?」

「無駄だよ、当てが外れた。他に行きそうなーー」


普段はクラシックやらヒーリング音楽が館内に流れているのだが、シンとしている。もちろんアナウンスもない。だから辰俊には気づくことが出来た。自分の呼吸音、塩里が発するさまざまな音、それとは別に、異様な……奇妙な……本来あるべきではない場所から響く音に。

辰俊は顔を上げた。


がさがさかささかさかささ……


塩里に知らせることは不可能だった。辰俊自身、眼にしている光景を整理できなかった。


4〜5メートルほど離れている高い天井に貼りついているモノ。


人間だ、20代くらいの細身の女性。綺麗に化粧をして濃いブルーのスーツを見事に着こなしている、が、四つん這いなのだ。しかも天井に。

あれが何なのか、辰俊にはわからない。

だから頭上を仰ぎながら、ただうめくしかなかった。


早く自分の異変に気づいてくれて、幻覚ではないと塩里の確認を得たかった。もしくはその逆でもいい。

自分は狂ってなんかいない、と安心したかった。


四つん這いの女性の眼が、辰俊を捉えた。両目を大きく見開き、まばたきをせずに見つめている。


凍りついた。絶望を前にしたとき、動けなくなる、という噂は真実だった。


「どうしたの?」


塩里が心配そうに囁いた。

その瞬間、天井を這う女は、かさかさと器用に手足を動かして、一瞬のうちに排気口の中へと消えて行った。


視線を追い、塩里も見上げる。

「ねえ、どうしたの?」

何もない天井を蒼ざめながら見つめている辰俊に不審感を抱くのも無理はない。


「……いや、なんでもない。変なモノを見たような気がして」


これ以上、不安要素を増やしてはならない、だから説明はしなくていい、というのは正当な理由ではあるが、自分をごまかしてもいた。


気のせいなのか、それとも……。

しかしあれは……あんなのは人間じゃない。

人間の姿がを借りた……。

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