第3話 予兆 その3
その日の授業はけっきょく行われず、全校生徒に寄り道せず帰宅するよう言い渡された。文句を言う者はいなかった。
帰宅した辰俊は自分の部屋に入っても、しばらくなにもする気が起きなかった。
ベッドの上へ仰向けに倒れ込む。ボウッと、白い天井を見つめているようで見ていなかった。
いろいろと頭の中を整理しようと試みたが、冷静な思考は絶望的だったのであきらめた。
彼の脳裏に浮かぶのは2階から飛び降りたときの塩里の姿。それが何度も何度も繰り返される。いったい、彼女の身になにが起こっているのか。いくら考えても答えは出てこない。前例がないから当たり前だ。
聞いたことがない。大多数のひとがいっせいに軽くなるなんて。
そうだ、と辰俊は勢いよく起き上がった。勉強机に無造作に置かれていた携帯電話を取り、登録されている名前を探す。か行……さ行……見つかった。塩里。
『ただいま電話に出られないかーー』
かけ直す。
『ただいま電話に出られないかーー』
不安感がつのる。しかし、彼女の引っ越し先を知らない。辰俊はそれでもあきらめきれず、知り合いの家をまわり彼女の所在を突き止めようと思い、普段着に着替え、すぐに廊下へ出た。そのときだった。ドアが開く。
「あら、出かけるの?」母親の海代(かいよ)が帰宅したところだった。
「仕事は?」普段より早い帰宅に辰俊は不審感をもった。
「臨時休業で帰されたのよ」
「観光ホテルだろ。そんなのってある? 世間の信用を失うぞ」
「宿泊客はいないし従業員も半数以上が休んでるんだもん。仕方ないんじゃない」
「だもんって。歳を考えろよ気持ち悪いな」
「まだ40になったばかりだよ」そう言ってぺろりと舌を出す。「母さんを年寄り扱いしないでよ」
「じゅうぶんババアだよ」
悪態をつきながら辰俊はリビングへ移動し、お茶の用意をした。着替えを済ませて戻ってきた母親に、飲めよと促す。
「ありがと。でも、出かけるんじゃなかったの?」
テーブルに腰を下ろしながら海代が聞く。
「いいよもう、今日はやめた。それより母さんは体重減ってる?」
「ああ、あれねえ……」
言葉をにごす海代に、辰俊は呼吸を忘れたまま次にくちが開くのを待った。しばらくの沈黙。それからおもむろに海代はテレビのリモコンを取り電源を入れた。
報道ニュースが流れる。交通事故、不審死、火事、詐欺事件、各種イベント。チャンネルを数秒おきに変える。それからテレビを消して海代が言う。
「これほどの異常事態だというのに、ぜんぜんニュースでもやんないんだよね。つまりこの現象って、一部の地域だけってことかな〜」
「なんで話題を変えるんだよ!」辰俊が声を荒げる。「多い少ないなんてどうでもいいんだよ。オレが知りたいのは母さんにも減少が起こっているかどうかだ。で、減ってるの? それとも減ってないの?」
☆
太っただあ? なんだそりゃ! ベッドに倒れ込み、心の叫びが増大する。怒りと呆れが交錯するが、辰俊は笑顔だった。
なんだか疲れた、と弛緩(しかん)した瞬間、辰俊は眠りの中に落ちて行った。
辰俊が寝入ったあと、海代はベッドに腰を下ろしていた。片手には写真が握られている。陽に焼けた少年が満面の笑みを浮かべている。数々の記憶がよみがえる。一度その写真に笑顔を送り、海代はそっと眼を閉じた。
「ごめんね。辰俊……本当に、ごめん」
海代は全身を震わせながら、繰り返し繰り返し、謝った。
☆
暴れる目覚まし時計を黙らせてからしばらくして、「おい。辰俊、起きろ!」と叫ぶ声が窓から響いた。辰俊はまくらを頭にかぶせた。しかし今度は、窓がドンドンドン!
うるせえなあもっと寝かせてくれよとぼやきながら窓から顔を出すと、太三が額に大粒の汗を浮かべながら、肩で息をしていた。
「お前には柔道の練習があるかもしれないけれど、こっちはなにもない。休みの日くらいゆっくり寝かせてくれよ」
「聞いてくれ!」辰俊の言葉が届いていないかのように太三は狼狽している。
「アットくんが、消えたんだ」
消えた、というセリフに、何故だかわからないが辰俊は上空を振り仰いでいた。
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