第14話 ヤモリ2 その3

辰俊は頭上にある棚から皿を取り出そうとしたまま硬直した。そして、ガチャガチャと食器が暴れ出す。

異様な状況に気づいた塩里は辰俊のもとに駆け寄った。

背後からそっと、辰俊の肩に手をまわす。

「大丈夫だから……大丈夫、きっと見つかるから……」

辰俊は彼女のあたたかい手に自分の手を重ねた。

「ごめん。状況はいっしょなのに、オレだけ、こんな……」

「ううん、ワタシも甘えたから。こうやって立っていられるのも、辰俊くんのおかげ。ワタシのほうこそごめんね。ご飯なんて食べている場合じゃなかったのに」


辰俊は塩里のぬくもりにいつまでも浸かっていたかった。しかしそれは許されない。やるべきことは多く残されている。悲しみに甘えている暇はない。


辰俊は深呼吸をして顔を上げた。

もう、塩里に心配はかけない、しっかりしろ、と自分に喝を入れる。

その刹那、さらなる異変に気づいた。

「どこへ行ったんだ、太三!」


先ほどまで座っていた巨漢が音もなく消えていた。


「おい、太三?」

傷の舐め合いの時間はそれほど長くはなかったはず、それに、あの大男が移動したのなら間違いなく気づく。パニックにおちいりながらもそれくらいの意識は保っていた。いやむしろ、神経は研ぎ澄まされていた。

椅子がズレる音、衣服のすれる音、床が軋む音、空気の流れ、それらに気づかない訳がない。もしかしてこれは……。


塩里の表情を見て辰俊は確信した。

始まったのだ。

目の前で起こったのだ。

人間が次々と消えて行く。

連鎖は、とまらない。


「太三、どこに行ったんだ!」

消えてなんかいない、と一縷(いちる)の望みを捨てきれず、辰俊は叫んだ。


外へ出たのか? 窓は開いている。だがテーブルから庭までの距離は数メートル、音もなく出ることは不可能。太三は屋内にいる。リビングの角にバスルームへの扉がある。扉が開閉する音はなかった。一応なかを確認するが、空っぽだった。そのときーー


ごぞずずず……というなにかを引きずる音が響いてきた。

息を殺し、出処を知るために次の音を待ったが、無音がつづいた。

しびれを切らした塩里がくちを開く。

「上……じゃないかな……」

恐怖のせいか小声だった。

「そうじゃないかと、オレも考えてた」


辰俊は塩里の手を取った。

階段をのぼりながら2階の構造を思い出す。寝室がふた部屋、トイレ、物置部屋、そしてベランダ。どこかに太三がいるはずだ。

考えていても仕方がない。ひとつひとつ当たろう。そうすれば必ず見つかる。


2階へ着いた瞬間だった。突然、塩里が悲鳴を上げた。

何事かと彼女を見ると、震える指で上空を指していた。

ショッピングモールでの記憶が蘇る。

女性の視線が深い闇へと誘っている。

幻想が現実へと混ざり込む。溶け合い、融合し、色をつける。

辰俊は荒い息を落ちつかせた。一度、塩里の顔を見る。

それから、振り返った。


太三は廊下にいた。しかしそれは、床にではない。天井に張り付いていたのだ。


一連の出来事がいっきにオカルト染みてきた。それはすなわち、手の施しようがない、ということ。人知を超えた現象に一介の高校生がとうこう出来るものではない。唯一残された手段は、逃げるだけ。


絶望が辰俊を支配した。足元がぐらぐらと揺れる。

あのヤモリのような化け物が母さんを食らったのだろうか。カエルのようにベロリと丸呑みにしたのだろうか。それなら痛くはなかったかな。ワニのようにバクバクと食らったのだろうか。それなら可哀想だな。


天井を這う太三の眼がふたりを捉えた。

落ちつきなく小刻みに震えていた太三の身体がピタリと止まる。それはまるで、獲物を狙う猫科の動物を連想させた。


「た、太三くん……あぶ、危ないから、下りてきて、よ」

冷静さを取り繕おうとする塩里。


そうだ、塩里を守ってやれるのは、オレしかいない。逃げることしか残されていないのなら、逃げればいい。逃げるという手段があるのなら幸運だ。とにかく、塩里の安全だけを考えろ。辰俊に落ちつきが戻ってきた。


目の前に謎を解くチャンスが転がっているじゃないか。少なくとも、壁を這う人間の謎はここで解決してやる。


「太三、自分が誰かわかるか?」

太三のくちがモゴモゴと動く。しかし言葉は出てこない。

「自分の意思でそうしてるのか? それとも何かの意思が働いているのか?」

彼の視線が塩里へと流れる。ビクッと怯える塩里。辰俊は握る手にちからを込めて安心させる。


「み!」

「み? なんだよ」

「みんミ、ミミミミミ」

「落ちつけよ、太三!」


「見るナ!」


太三は反転し、がさささささとすごい勢いで奥へ向かい、窓を開けて外へ飛び出した。

落下せず、外壁をのぼる。

辰俊はすぐに追いかけて窓から顔を出して見上げる。

しかしすでに、太三の姿は跡形もなく消えていた。

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