第8話・宝石箱の中でブランチを
彼が先に出て、扉をおさえててくれている。一歩踏み出すと、あの宝石箱の中。それはもう、表情筋がこれでもかというほど緩んで、にやけているのが分かる。彼は笑って、扉付近で中庭を眺める私を待っている。
彼は私を
私はやっと、数十分ぶりの中庭へ足を踏み入れる。私は嬉しくなって、振り返って扉をおさえていた彼を見る。彼は
「うう~~~~んっ。いいわねえ。絶対ご飯美味しいわ」
歩きながら私は言う。私が運んでいる紅茶の香りと花たちの香りが混ざって、それはそれはとても
私はやっと中庭の一番奥、特等席についた。
「
彼は丸テーブルにトレーを置くように促す。落ち着きがない私を見て、彼は笑いながらも少しおろおろしていた。紅茶が心配なのか、私が心配なのか。多分、どちらもだと思う。私が
「ひとりで歩かせるのも嫌なんだよ。せめて私の手を握っていてくれないと」
ベンチに腰掛けた私を見ながら彼は言う。
「そこまで
見た目のせいかしら、と私は思った。貧乏であまり量は食べていなかったから、私は少しあばらの骨が浮き出るくらいには痩せていた。それとも、私はアルビノで肌も髪も真っ白だから、病人みたいに見えるのかしら。私は自分の髪を触る。
「見た目じゃないさ」
毛先をくるくるさせていた私を見て彼は言う。彼は私の隣に腰掛けて、私の毛先を遊んでた手を
「むしろ君の見た目は長所さ。少なくとも私にとってはね」
「んん……」
私は彼に長所だと言われてから、自分のこの体質を好きになろうとは思った。だけど、今まで散々周りからも
「
彼は私の手をさすりながら言う。
「たとえ君が弱っても全速力で走るほど元気になろうとも、ひとりで歩かせたくないのは変わらないよ」
「え?」
「宝物は汚したくないだろう?それと一緒さ。
彼は少し力を込めてぎゅっと私の手を握った。彼は、下を向いていた。私は空いていた左手を握られた手の上に乗せる。
「私は
今度は私が彼の手をさすった。右側に座っている彼に私は寄りかかる。彼は驚いたようにこちらを見て、
「
彼は呟くように言う。その
「……さて、
彼は、一息ついて、私から体重を離す。ちょっと寂しそうに彼は笑っていた。私はそんな顔をする彼がなんとなく心配で、彼の顔をじっとみる。
「少し冷めてしまったね。美味しいといいのだけれど」
彼は、私にスープを差し出す。この時彼は、私が見つめたことをわざと無視した。私は黙って彼からスープを受け取る。確かに
「……ありがとう」
私は小さく言った。彼は、うん、とだけ言って、スープを飲んだ。私もふーふーして、スープを飲む。鼻からすっと抜けるコンソメと気持ち程度に飾られているパセリの香り。
「美味しいわ!」
私はパッと笑顔になって、彼を見る。彼はさっきより表情が柔らかくなって、微笑んでくれた。
「
目の前で、ナイフとフォークが揃えられるのを眺める。小さなパンケーキが三枚。その上には二枚の生ハムとクリームチーズ。そして横にスクランブルエッグ。お洒落なワンプレートだ。
「
「私、こんなにお洒落なの、食べたことないわっ」
彼が先ほど微笑んでくれてから、私の気も緩んで、目の前のお洒落なものたちに気がとられていく。明らかに声が高くなってしまう。こんなにご飯にはしゃぐなんて、はしたない女と思われるかしら。
「
今度の彼は、本当に嬉しそう。そんな彼を見て、私はもっと嬉しくなった。私は彼につられて笑いながら、コンソメスープをテーブルに置く。そして、彼が並べたばかりのナイフとフォークを手に取った。
「んん、パンケーキふわふわ。クリームチーズ、合うわねえ」
「そうだろう?お姫様のお口に合ってよかったなあ」
「エドって料理上手なのね」
と言いながら、計量は雑だったけどね、と、心の中でこっそり。
「
彼は私の持つナイフとフォークを見ながら言う。私もいったん手が止まり、そうかしら、と、それだけ言って私はまた手が動く。もう、美味しくて美味しくて。スクランブルエッグはぷるっぷるで、少し塩味がきいていた。パンケーキにちょうど良く合うように味付けされていた。生ハムは、私が噛む力が弱いのか、少しだけ苦労した。噛みきれない私を見て、彼は笑う。そして食べやすいように小さく切ってくれた。生ハムとチーズはもちろん合うし、パンケーキにも合う。いい
「んーっ、美味しいわっ」
私は途中途中顔を上げては、彼に味付けがいいとかパンケーキに合うとか、こんなに美味しいの初めてとか、
思ったことを全部話しながら、やっと、一息ついた。私はなんと、全部食べ切った。一緒のペースで食べてくれた彼は、たいそう驚いていた。……私も驚いたけれど。でも、こんなに美味しかったら自然と食べきれるものなのだろう。
「全部食べたね」
「美味しくって」
私はナイフとフォークをお皿の上に綺麗に六時の方向に置いた。
「量は控えめにしたつもりだけど、全部食べると思わなかった……あとから具合悪くならなきゃいいけどなあ。少しでも異変を感じたらすぐに教えてくれよ」
「ええ」
私も昨日の今日でこの量を食べ切ったことは少し心配だったし、彼に余計な心配をかけないようにすぐに報告することを誓った。でも、美味しい料理を食べての不調なら後悔なんてないけれど。
「
「あっ」
「ご飯に夢中なようだったから、中断するのも悪いと思ってもうだいぶ冷たいな。私は
確かに、私はご飯に夢中で忘れていた。私が運んだトレーなのに。
「淹れ直しはもったいないわよ」
「でももう香りがなあ。椿にはいつも一番いいものを経験してもらいたいし」
「駄目です。さっき淹れたばかりでしょう?もったいないわ。忘れてたのは私だし、私はそのお茶がいいなあ」
わざと上目遣いで彼を見る。彼は、でも、と何か色々言いたげだったが、なによ、と言って
「エド? 私のためだけなら私がいいって言ってるんだから、いいじゃない」
「……私の
彼はやっと折れて、参ったと言った。
「意外と私、気が強いかもしれないわよ」
「それはそれでとてもいいね。レディな
彼は私の頬にキスをしながら、すっかり冷たくなったティーカップとソーサーを渡す。その
「あら、いい匂いじゃない」
全然香りは飛んでいなかった。きっと、淹れ方がよいのだろう。フルーティーで、それからちょっと甘いような、ピンクローズのティーカップにぴったりの香り。
「うん、ちょっと酸っぱい」
「ハイビスカスがね、少し酸っぱいんだ。苦手かな?」
「ううん、好き」
多分、彼が入れたお茶や彼の作ったご飯は全部好きになると思った。ハイビスカスのすっぱみで、ごくごくとは飲めない感じだったけれど、ちょっとずつ飲んで無駄話をするには最適だと思った。
「はあ、いい空」
私は上を見て呟く。それから数口ハーブティーを飲んで、カップをテーブルに置いた。彼も私と同じようにカップを置いて、空を見る。
「いい一日の始まりだね」
「……そうね、少しゆっくりだけれどね」
時間は十二時近いか上回っただろうか。多分、それくらい。
私は彼に寄りかかって、明るく青い空とゆっくり流れる雲を眺める。私が昨日彼に拾われたように、子供を捨てるような
「エド、拾ってくれて本当にありがとうね。私、死ぬまで何回でも貴方にたくさんの感謝の気持ちを伝えることに決めたわ。この恩は、色々な形で返していきたい」
「私にとって、君に出会えたことが奇跡だよ。
私たちは顔を見合わせて笑い合った。永遠とループするね、と。
彼が”一日の始まりだ”というから、冷めたブレンドティーとともに、少し遅れて素敵な一日が、今、始まったみたいだ。
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