第6話・宝石箱の椿

 私はしばらく花のグラデーションを眺めていた。その中で、知らない花を頭の中にインプットしていた。帰りはたくさん寄り道をして、彼に色々な花の名前を教えてもらおうと思った。ゆくゆくは、私も一緒にガーデニングしたりして。そう思うと心がおどる。

「グラデーションなってるの、とってもいいわね」

「おっ、気が付いたかい。流石さすがだ。ちょっとこだわっていてね、ベンチのあるここなんかはもう、真っ白さ」

 そう言われて私は足元を見ると、シロツメクサと白いヴィオラでいっぱいだった。ちょこっとだけのぞくクローバーの緑がより一層白を引き立て、美しかった。

「いいわね、とってもいいっ」

 私はウキウキしていたのを隠せず、ベンチの上で少し体が飛び跳ねる。彼はそんな私を見て、頭をポンポンとした。

「はは、落ち着いて落ち着いて。気に入ってくれて何よりだよ」

「うう~~~~ん、素敵っ」

 私は微妙に地面につきそうでつかない足をパタパタさせる。落ち着けと言われても落ち着かない。だってそうでしょう。宝石を見せられて心躍らない女の子なんていないでしょう?女の子は配色にだって弱い。色々な色があって、それがグラデーションだなんて。中庭ここには女の子の好きなものがいっぱい詰まっている。

「うん、よし。決めた」

 彼は立ち上がる。

「なあに?」

「今日の朝食のメニューだよ。あとそれに合うお茶をね。今日は中庭ここで食べようか」

 と言って、丸テーブルをゆびさす。

「ここで!? いいの? とっても素敵!」

 私は嬉しくて飛び跳ねるように立ち上がった。が、その勢いでちょっとクラッと。足がもつれた。

椿つばき!!」

 私は足がもつれただけで転ぶような感じではなかったけど、彼は咄嗟とっさに腕を差し出して、転ぶのとテーブルに頭を打つのを防止してくれた。

「はあ~……ハラハラさせないでくれよ」

 彼は苦笑いして、立ち上がった私をまた抱き上げる。

「足くじいてないかい?痛めたところは?」

「大丈夫……って、ひとりで歩けるわよ」

 彼はよく私を抱き上げる。私の足はエドワードかってくらいに、彼は私を抱きかかえて移動する。

「また転びそうになったら私の寿命が縮むよ……。それに、歩かせると寄り道するだろう」

「帰りは寄り道していいって言ったじゃない」

「朝ごはん食べたその帰りに……」

 私は、見るからに不満そうな顔をして見せた。わざと頬を膨らませたりなんかして。ふてくされ顔で彼をじっと見つめる。

「……オーケイ、仕方がないね。ゆっくり見るといい。でも、歩くのもゆっくりだ。それから、私の腕をちゃんとつかむこと。いいかい?」

「オーケイ、エド。ありがとう」

 彼の頬にキスをして、おろしてもらう。彼は今度は手じゃなくて、腕を差し出してくる。私は彼の左腕に私の右腕をからめながら、なんだか新郎新婦みたいね、と彼に言った。そしたら彼はちょっと固まって、そしてすぐに、くしゃっと照れたように笑った。

「それじゃあ、新婦に気に入ってもらえるようなブーケを近いうちに作っておくよ」

「えへへ」

 自分で言ったことだけど、こっちもつられて照れて笑う。きっと彼のことだから、本当にブーケを用意してくれるのかも、と思って、彼の左腕にぎゅっと抱き着いた。彼は、嬉しそうに私の頭を一回だけ撫でた。

「ほら、椿つばき。どの花から見ていくのかい」

 そう言われて私ははっとする。

「えっと、はしから見ていきたいわ。隅々すみずみまで見たいの!」

「こりゃ時間がかかりそうだ……」

 彼は眉が下がって、呆れたように笑った。

 私は扉付近にあった、大きな庭用サンダルをぺたぺた鳴らしながら歩く。私は彼に言われたとおりに腕をしっかりと掴んで。ゆっくりと。

 私は椿カーメリアの根元から見ていくことにした。すると、香水のようないい香りがしてきた。

「なんか、いい匂いするわね」

「ああ、沈丁花ジンチョウゲかな。香りのよい三香木さんこうぼくの一つだよ」

「こうぼく?」

沈丁花ジンチョウゲ梔子クチナシ金木犀キンモクセイ。二つは聞いたことあるんじゃないかな」

 確かに、梔子クチナシ金木犀キンモクセイは知っていた。沈丁花ジンチョウゲと呼ばれたその花は、白いものと薄いピンクのものがあって、枝先に小さい花が集まって咲いていて、可愛らしかった。

「これから季節が過ぎると、六月に梔子クチナシがさいて、それが終わると次は金木犀キンモクセイ。だから、ほぼ一年中いい香りが漂うことになるね」

「全部あるの?」

「もちろん」

「じゃあ一年中いい香りが楽しめるのね。素敵だわ!」

 私は沈丁花ジンチョウゲをツンとつついて、いい香りをありがとうと、小さくお礼を言った。

 そのちょっと隣を見ると、私も知ってる花、水仙・スノードロップ・マーガレットがあった。それらの花たちの根元には、白い小さな花が咲いている。

「ねえエド、これは?」

「ああ、可愛いだろう。プリムラだ。春一番に咲くという意味があってね、私のお気に入りの一つだ。」

「いいわね、季節の配達人って感じ」

椿つばきもなかなかお洒落なことを言うね。そのフレーズ、気に入った」

 彼は何でも知っていた。花の名はもちろんのこと、その花言葉まで説明してくれる。私は意味を知ったうえでその花の容姿と照らし合わせるのが楽しくて、あっちこっちと彼を振り回した。ベンチ下の白から、扉付近の紫まで、だいたいの花は見終みおえたかな、と思って顔を上げたら、木があった。私はきょろきょろと、さっき見たところをもう一度見渡すと、ところどころに木が生えていた。

 私は、見上げてそこにあった一番近い木を触る。大きくて私の背丈じゃちょっとよく見えなかったけど、小さな白い花が咲いているのが分かった。

「あ」

「ん? あ、これかい? これはね」

「私、この木は知ってるわ」

 彼の言葉をさえぎった。そして彼の顔を見上げる。

「これは梅ね」

「正解だ」

 どこかで見覚えがあった。なぜか、とても親近感がわく気がした。素朴で控えめな花をつける木だ。うすらピンクが可愛い。それから私は向こう側に生えてる木も、遠目に何の木か分かった。

「エド、あっちは桜でしょう?」

「ああ、そうだよ。桜。何種類か植えてるんだけど、見ごろはもうちょっと先だね」

「そう……」

「よくわかったね?」

「ええ、なんでだろう。なんか見覚えあるのよね」

「……不思議だね」

 彼が少し、はっとした様子で桜の木を見上げたのは、私は見逃さなかった。だけど、私は私で思い出せる気もして、彼には何も聞かなかった。

 ただ、早く桜が見たいわね、と。それだけ彼に言った。すると彼は、私の頭を髪の先のほうまでかけてゆっくり撫でた。彼の顔は、優しかった。

 

 桜を遠目に見る私の手を、彼が少し強く握ってクイクイっと、動かす。私はその手に気が付いて、彼を見る。

「とりあえずは満足したかい?」

「あ……そうね、一通り見たわ。でももうちょっと見たいかも」

 ここを離れるのがもったいなくて、私がううーんとうなっていると彼がクスリと笑った。 

「君の家なんだから、君が見たい時に見に来ればいい。私に声をかけてくれれば私も一緒に来よう。それに今日のご飯ここだから、もう一回は来るよ?」

 「そうだったわね」 

 朝ごはんは中庭ここと言われていたのを思い出して、嬉しくなる。だけどそれ以上に、私の家、と言われたのが嬉しかった。この宝石箱のような素敵なお庭。今までなら絶対に縁がなかった。だけど、私の物でもあると言われた気がした。

「エド、聞いて」

「なんだい?」

「私、凄くここが素敵だって思ってる。感動するほどね。でも、拾われる前はそんなに花に興味がなかったはずなのよ。不思議ね」

 細道で咲いてる花や、たまに出かけたときに見かけた花壇かだんの花。私はそれらを見ても特に何も思わなかったし、むしろ咲いているのがうるさいと感じるほどだった。

「……きっと、気持ちに余裕ができたのね」

 彼は、黙って私の頭を撫でている。

「また一つ、好きなものが増えたわ。エド、貴方に拾われてよかった。大好きよ」

 私は彼に寄りかかる。彼のシャツをぎゅっと握りしめ、軽く彼に抱きついた。彼は私から抱き着いたことに少し驚いたようだったけど、すぐに私を優しく抱きしめ返してくれた。

 体感では結構長い時間、こうしていたと思う。彼は、私の満足いくまで抱きしめていてくれた。私は途中、ため息のような、安堵あんどとも言うような、何とも言えない感じで息を吐いては彼を抱きしめていた。

 やっと私は満足して顔を上げると、彼は優しく微笑んでくれた。そして、今度は彼のほうから、ぎゅっと一瞬だけ抱きしめられた。


「そろそろご飯の準備をしようか。さっき椿つばきが気にしていたティーカップ、気に入るものがあるといいのだけれど」

 彼は私の右手を取りながら、優しく語り掛ける。私はちょっとだけ口角を上げて、うなずいた。もっとも、あのコレクションの中に私が気に入らないものなんてないと思った。

 彼はまた、私をお姫様抱っこして中庭のタイルを歩く。自分で歩けると思ったけど、彼の暖かさを感じていたくて、そのまま身を預けた。

 一旦いったん、宝石箱とはお別れ。またすぐ来るわ、と、心の中で言った。それでもやっぱり、なんだか中庭を離れるのはしくて、扉を閉めたとき、彼のうなじのあたりに顔をうずめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る