第5話・朝露椿

  昨日は小物屋さんコーナーの奥に行くと、暖炉とソファーがあることまでしか知らなかったけど、さらに奥があるようだ。彼に手を引かれながら、キッチンの場所と食器棚、ティーカップのコレクションを飾ってある全面ガラス張りのショーケースがあるのを確認した。

 滑らかな曲線に装飾が施された取っ手。美しくて私はコレクションの前で足が止まる。いけない、と思ってまた一歩踏み出して歩こうと思って前を見ると、彼の腰が目の前にあって、ぶつかりそうになる。

「気になる?」

 彼は私が一瞬いっしゅん足を止めたのにちゃんと気が付いてくたようだ。

「ええ、少し」

 ちらりとコレクションを横目に見ると、ティーカップの前に小さなラベルが置いてあった。私は顔だけ近づけてラベルを読む。一つずつ違った単語が置かれていた。その中には、『Floret』のラベルもあった。私は、あ、と小さな声が漏れる。 「ああ、ブランドごとに分けているんだ。そのほうが見栄えするかと思ってね。こうしてみると、ブランドごとに特徴があるのが分かるだろう?」

 薔薇柄の『Rose Garden』、淡い水色の『cielo』、小さな花柄の『Floret』。他にも色々なブランドがあるようだ。

 私が食いつくように見ていると、彼が私の肩に手を置いた。

「後でたくさん見せてあげる。朝ごはんの時は、気に入ったカップに紅茶を淹れよう。だから少し我慢して、椿つばき

 そう言いながらショーケースの奥のほうに、私の手を少しだけ引っ張る。

「あら、そうよね。ごめんなさい。先に椿カーメリアを見に行きましょう」

 つい、見とれてしまった。私はあのティーカップは使っていいものなのかと、驚きながら、彼に促されるままに前を歩く。彼は彼で、早く中庭に行きたいようで、うずうずしてるのが握っている手からわかる。だって、少しだけ腕を振らせて歩いているんだもの。


 バスルームを横目に、お店の在庫だと思われる段ボールがたくさん積み重なっているお部屋を経由して、やっと中庭への扉を開ける。

「さあ、自慢の中庭に到着だ」

 私の前で軽くステップを踏んで、腰を曲げる。

「お気に召すとよいのですけれど」

 私を、ちらっと見る。私ははしゃいでる彼が面白くて、クスクス笑う。彼にならって、私も腰を曲げる。

「私をお連れくださいませ、旦那様」

 ダンスパーティーみたいで、面白くって、二人で笑いあった。

 



 『ガチャ』




「わっ……」

「どう?」

 扉を開けたらまず目に飛び込んできたのは、カラフルな小花たち。白いタイルがかれていて、その周りに背の低い小花たちがめられ、絨毯のようだった。そして、さわやかつ甘い香り。

「素敵! とっても素敵!」

 私は扉の付近に座り込んで、小花たちをのぞく。私が知っているのもあった。シロツメクサ、タンポポ、ドクダミ……。

「ねえ、エド、これは?」

「ああ、ヴィオラだね。パンジーのようで可愛いだろう?」

 三センチほどの花。まさにパンジーを小さくしたみたいで、青・紫・白、ミックスまで色々あった。よく見ると小花の絨毯の七割ほどがヴィオラで、この子がいろどりえてくれているようだった。

「可愛いだろう?」

  彼は、私がなかなか立ち上がらないものだから、中腰だったがついに一緒に座り込んだ。彼の顔がすぐ近く。

「とても。でも素朴なシロツメクサもやっぱりいいわよね。あら?エド、あっちのシロツメクサは紫ね?」

「ああ、あれはカトレアクローバーだね。少しカトレアに似て見えないかい?」

「えぇえ? そうかしら……でもとっても可愛いのは確かね!」

 私は満面の笑みで彼を見る。

「ずるいなあ。そんな顔されたらずっとここに座っていたくなる」

「ふふ」

 彼は笑いながら立ち上がって、両手を伸ばしてつかんで、と、私を促す。私は彼の両手に手を置いた。すると彼は、ぎゅっ、と握って、私を少し引っ張って立ち上がらせる。そのまま、私の右腕を首に回し、すっぽりと彼にお姫様抱っこされてしまった。

椿つばきは寄り道が多そうだからねえ。椿カーメリアは一番奥なんだよ。帰りはゆっくり寄り道しながらでいいからさ」

「私一人で歩くわよ」

「駄目。またしゃがみ込むだろう」

 彼はわざと大げさに首をぷいっと横に向ける。宝物を早く自慢したい子供のようだ。私は、はいはい、と笑いながら言った。

 彼に抱きかかえられたままタイルに沿って、椿カーメリアへと向かう。私はその間ずっときょろきょろして、可愛い花や見たことない花など、気になる花をたくさん発見した。ああ、これは抱っこされて正解だったかもしれない。

「ほら、椿つばき椿つばき、ほら!」

 きょろきょろしていた私に、声をかける。はっとして、前を見ると、そこには予想を上回るほどの立派な椿カーメリアがあった。立派な椿カーメリアが二本。赤い椿カーメリアと白い椿カーメリアだ。私は、その大きさと美しさに息をのむ。

「素敵だろう? ほら、花びらが濡れている」

「本当……」

 朝露あさつゆに濡れた椿カーメリアが、やけに色っぽく輝いている。

 「綺麗だわ。感動して、なんていうか、ええ……感動する」

 うまく言葉が出てこない。それくらいには美しかった。とくに、赤椿レッドカーメリアなんて、赤がただでさえ魅惑的みわくてきなのに、それが朝露あさつゆに濡れたとなると、圧巻あっかんだった。

 一方で白椿ホワイトカーメリアは、大きな木と花びらでいながらも汚れのない白がどこか謙虚けんきょで、それでいて自分が美しいことを知っているかのように堂々と咲いていた。落ちている花びらも含めて、美しく可憐だと思った。

 紅白で並んでいると、お互いがお互いを引き立てあっているようで、コントラストが余計に美しい。

 私はしばらく言葉を失って、美しさを引き立てあう椿カーメリアから目を離せないでいた。私を抱いている彼は、そんな私の反応を見て満足そうだった。

 彼は私を抱きかかえたまま、椿カーメリアの前から動かないでいてくれた。私はそれに甘えて、しばらく椿カーメリアを眺めていた。彼もとても嬉しそうに椿カーメリアを見ていた。


「はあ、凄かったわ。やっと落ち着いた」

 私は彼のシャツをひぱって、おろしてと、合図をする。

「お気に召されたようでなによりだ。私も嬉しい」

 彼はそう言いながら椿カーメリアを通りすがり、敷き詰められたタイルの奥まで進んだ。そこには丸テーブルとベンチが置いてあった。彼は私をそのベンチに座らせる。

「……特等席だ」

 彼はニヤッと笑って私の隣に座る。

 手前には先ほどの椿カーメリア。小花の絨毯は小さな宝石がちりばめられているみたいだった。椿カーメリア側が淡い色で、扉のほうは紫や青色が配色はいしょくされている。このベンチから見ると、計算されたグラデーションが眺められて、完成された庭を外から見ているというような感じだった。でも、外じゃなくて実は私たちはその中にいて……。現実味がないほど嬉しくて、心臓がきゅっとなって。

 綺羅綺羅の宝石をちりばめたような彼の宝物は、私の宝物にもなった。

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