第3話・暗闇椿


「さて、もう十一時だ。一応、簡単に用意した君の部屋を案内するよ」

 そう言って、さりげなく私を抱きかかえ、私の右腕を自分の首に回す。

「あの、歩ける、歩けるわ」

「駄目だ。階段で転ばれちゃ敵わないよ。それに君の綺麗な足を汚したくない。だから、とりあえず靴を買うまでは駄目」

 私は苦笑いしながら彼の首に左腕も回した。

「一応ベッドメイキングだけはしたんだけど」

「ありがと、う……」

 私が案内されたのは黒い扉で、黒い壁紙。ベッドだけが白の部屋だった。エドの首に回してた腕に力が入る。私の呼吸も一瞬止まる。

「素敵な部屋ね」

 私は嘘をついた。だって、私は黒が嫌いなんだもの。だけど彼が用意してくれたお部屋。ベッドは白だし、きっと大丈夫。

「……やっぱり、こんなんじゃ駄目だ。黒と椿カーメリアは似合わない。でもほかの部屋はちょっと空いてなくて」

「やだエド、私、大丈夫よ?どんなお部屋でもベッドでも幸せよ」

 私は無理して笑って見せた。

「あの、そのーえぇっとだな。君が嫌じゃなければ、私の部屋に来ないかい」

「えっ」

「いや、強制じゃないけど、こんな部屋よりなら、私の部屋に寝てくれたほうが私が落ち着くっていうか」

「……いいの?」

「ああ、もちろん」

 私は黒が嫌い。暗いところが嫌い。独りも嫌い。

 私は彼の言葉が嬉しかった。

 そしてくるりと向き直って、お向かいの真っ白な扉。そこが彼の部屋のようだ。開くとやっぱり、壁は赤かった。明るい赤より落ち着いた赤。そしてベッドは白。 ナイトテーブルに乗っている間接照明はオレンジで、ぼやっと枕もとを照らしてる。

 彼は私をベッドのふちに座らせ、それから白いクローゼットから大きい白シャツを一枚出した。

「その姿では眠れないだろうから。私のシャツなんだけど、とりあえず」

 私は自分の着ている服を見る。長袖でくるぶしまであるフリルがたくさんついたワンピース。……おそらく、白。すっかり汚く、茶色になっている。改めて自分の格好を見て、私は急に恥ずかしくなった。

「汚い姿でごめんなさい。こんな服でっ……」

 頭の上から指先までいっきに熱くなる。きっと今の私は真っ赤だろう。それにもまた恥ずかしく感じて、顔を上げられない。

椿つばき椿つばき、こっちを見て」

 彼は両手で私の顔を包み、上を向かせた。

椿カーメリアのように赤くなって、可愛いね」

 彼は言った。私はまた余計に顔が熱くなったけど、彼が手を離さなくて下を向けない。私の目線は迷子。その様子を見て彼は笑った。優しく微笑む彼は、少しだけ、ほんのりと赤い気がした。




「さ、着替えようか」

 彼はワンピースの背中のボタンを外していく。それで気が付いたけど、彼は手が冷たかった。彼はボタンを全部外し終えて、正面に来た。襟元を手に取って脱がせようとしたところで手が止まる。

「えーっと、流石に恥ずかしいな……。後ろから失礼するよ」

 私は小さく笑った。

「親子じゃなくて、夫婦だものね」

「美しい白に自分を抑えられる気がしないよ」

「夫婦なのに?」

「体力のない君に、それはとても紳士的じゃない」

「エドのおかげでだいぶ元気になったわよ」

「It’s not criket.」

 フェアじゃない、と彼は言う。後ろからワンピースを脱がせてもらい、私のひざ下まである彼のシャツを腕に通す。

「ううーん……椿つばき、自分でボタンしめられるかい?シャツはどうしても正面だから」

 どうしよう、と呟く。だけど私は彼が喋ってる間にボタンを全部しめた。くるっと後ろを振り返り、彼の目を見て笑う。

「ね? ボタンしめられるくらいには元気よ」

「一本取られたなあ。少し回復したようでよかったよ」

 彼は私の髪を撫でる。優しくというよりは、くしゃくしゃと。エドはこういう感じでも撫でるのね、と、思いながら。褒められた気分で悪い気はしなかった。

 彼は大きいベッドの左側のシーツをめくった。そして、右側のふちに腰掛けてた私を抱き上げ、すっ、とベッドに私を滑り込ませる。シーツを私にふわりとかけながら

「寒くはないかい」

 と、私の頬を一撫でり。

 大丈夫と言いながら、頬の近くにあった彼の手にすり寄る。

「待ってて。私も着替えて横になる」

 私は空いてる右側に体を向けて少しだけ足をまげて小さくなる。ずっと固い、木そのもののようなベッドで寝ていたから、このふかふかのベッドだけでもう気持ちが踊る。私にかけてくれた綺麗な染み一つない真っ白いシーツ。少しパリッとしていて、手をかけてベッドメイキングいているのが分かる。高いホテルにでも泊まっている様な気分だった。

「どうしたんだい、にやにやしているね?」

 着替え終えた彼が、空いていた右側にもぐりこんで私の少し上がった口角をツンと触った。余計にやにやがとまらなくなって、声を出してクスクスと笑う。彼も、そんな私を見て、ふふ、と笑いながら私の腰を抱いてエドのほうに引き寄せる。彼との距離が近くなって、体温が伝わってくる。

「私ね、エドに拾われて幸せよ」

「ほう」

「ふかふかの暖かいベッドがあって、そして隣に人がいて、体温が伝わって暖かいの。これ以上の幸せってないじゃない?」

「……私もそう思うよ。椿つばきに出会えてよかった」

 私の頭を少し上げて、長く真っ白な髪をベッドのふちのほうへ流した。それから私の左頬を親指でさする。その手に私の手を重ね、二人してにやにやして、しばらくそうしていた。

 

「ねえエド、貴方、黒が嫌いって言ってなかったかしら」

 私は先ほどの黒の部屋を思い出して、彼に問う。すると彼は明らかに困ったような顔をした。

「ああ……前に付き合っていた女性が、黒が好きだったんだ」

 ふうん、なるほどね。と、くらいにしか私は思ってなかったけど、彼はとても言いにくそうだった。困った顔の彼に、少しだけ意地悪してやろうと思った。

「黒が似合うなんて素敵な女性ね。別れたから嫌いになったの、黒」

「確かに素敵な女性だと思ったけど、やっぱり私に合わなかったようだ。その女性は夜中に逃げ出してしまったんだよ。ちなみに、私はもともと黒は嫌いだ」

「へえ、じゃあ相手に合わせるタイプなのね、エドって」

「そうかな」

「きっとそうよ」

 私を拾ってから、ずっと私のことばかり気にかけて、優しくしてくれる。私の嫌なことは一切しないんだもの。もう少し話を聞きたかったけど彼は困り眉が治らないし、ため息をついたから、私はその話題を切り上げた。

「明日はどうするの?」

 私の頬を撫でる手が止まる。

「そうだなぁ、まず一番に椿カーメリアを見に行こうか。朝露に濡れた花はより一層美しい。きっと気に入るよ。あの庭は私の宝物なんだ。」

「いいわね、素敵」

「あと家の勝手も説明しなきゃな。あの黒い部屋も白く塗り替えよう」

「え、私、毎日エドの隣で寝ていたいわ……」

 あの部屋を白くしたら、私は一人部屋を与えられて、この他人ひとの温もりを感じられないのだろうか、と思った。

「一人になれる時間がほしくなるかもしれないし……それに、黒って嫌なんだ。君が来たし、いい機会だから、この家から黒をなくそう。君がいいなら寝るときは一緒に寝よう。私もそうしたいな」

 私は、ほっと安心して、うなずいた。

「私、壁を白く塗るの手伝うわ。拾ってくれたお礼に何かしないと。私、黒はさっきも言ったけど嫌いな色なの。だからごめんね、さっきあの部屋見たときにすごく苦手だと思ったわ」

「黒が嫌いと言っていた君にあの部屋を通した私が悪かった……」

 優しく笑って、止まっていた手が動き出して、また私の頬を撫でる。私は、彼の頬に手を伸ばし、彼の真似をして親指で彼の頬を撫でた。

「私、なんで黒が嫌いかってね。ほら、私アルビノだから、明るいところに、外にあまり出してもらえなかったの。紫外線もそうだけど、娘が怪奇の目で見られるのがママは嫌だったみたい。それに、ママは暗くなると仕事でいなくなるから、独りになっちゃう夜も嫌い。あ、ちなみにママは私のこと、ちゃんと可愛がってくれてたわ」

 見せかけかもわからないけど。と、心の中で呟いた。ママは私にご飯も食べさせてくれたし、パパがいなくなったことを決して私に責めたりしなかった。

「裏路地に住んでいたから、昼でもいつも暗かったの。私、暗闇も嫌いだったし、私が行けない明るい光はうらやましくて嫌いだった。光に当たれないこの白い肌も嫌で、白も黒も嫌いだったわ」

 彼は変わらず私の頬を撫でながら、たまにうなずき、真剣に話を聞いていてくれている。

「でもね、黒は相変わらず苦手意識が脱ぐえないけど、白は好きになろうと思うの」

 一瞬だけ撫でる手が止まった。

「エドが、白が好きって言うから。アルビノの私を特別と言ってくれたから」

 私はエドの頬をから首に手を回して、軽く抱きついた。彼も少し間が空いてから、私をぎゅっとしてくれた。

「話してくれてありがとう、椿つばき。今日は、もう遅いし、このまま寝ようか。話し疲れただろう……」

 小声で彼は言う。

「あら、ばれた?」

 喋りすぎて息が少しだけ上がったのを彼は分かっていた。 

 それからシーツを顔辺りまでかぶせてくれて、腕枕してくれた。そして百九十センチ以上ある彼が小さくやせ細った私を包み込んだ。私はすっぽりと彼に隠されてしまったようだった。

「おやすみ、私の小さな椿カーメリア

 彼は私の額にキスをする。

「おやすみ、エドワード」

 私も額にキスをしたかったけど、すっぽり抱えられているのと、彼の身長がありすぎて届かなかった。だから、鎖骨あたりにキスをした。

 

 彼の鼓動が少し早く、大きくなったのを感じた。

 彼の体温をじんわりと感じ、彼の鼓動を聞きながら、私は深い眠りについた。

 

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