第2話・TSUBAKI
「好きなんだ……」
彼は苦しそうに私を見る。そして、もう一度私を抱き寄せた。
私は、彼がそうしたいようだったから、しばらく身を預けた。
暖炉の炎を眺める。不規則に揺れるほのかなオレンジに、私は
「「あ」」
私が目を開けたらそこには彼の顔が。目が覚めた私ににっこりと笑いかける。
どうやらあのまま寝てしまったようだ。彼に膝枕されて、彼は私の頬をなでている。彼の目は、赤かった。彼に拾われたのは三時。外はもう真っ暗だ。
「あな……エド。あの」
私は頬を撫でていた手に触る。
「……私がこうしていたいんだ。嫌かい?」
「嫌じゃないわ、だけど」
彼の手は大きく温かい。私は別に嫌な気にはならない。だが、私はあることをしいないことに気付いたのだ。
「あの、私の、名前……」
彼は、いかにも「ああ!」といったような顔をして頬を撫でる手が一瞬止まる。
「あまりに君に夢中で忘れていたよ。でも一番大事だね。私に教えてくれるかい?あ、待って、当てたい……」
そう言って彼は頭を抱えだした。
「絶対当てられないわよ」
「エミリー? いや、もっとこう…アリスとかエヴァ? サラかな」
笑いながらまた私の頬を撫でる。彼なりの冗談だろう。私もつられて笑った。
「ふふ、全部外れよ。私、
「TSUBAKI?」
「パパ、日本人なの。TSUBAKIはCamellia。英語でカーメリアね。日本人って素敵な名前の付け方をするのよね。他にも
もっとも、私のパパはもういない。でも、花の名前を人の名前にしてしまうって、とても素敵な発想だと思ったのは、本当。
「素晴らしい名前だ!」
彼は少し声を大きく上げて、嬉しそうに言う。
「私の店も、
ああ、そういえば。と、私は拾われるときにもらった名刺をポケットから取り出した。
「
「ああ。一番好きな花だ。中庭に植えてあるんだ。今は三月だから、
彼はぶつぶつと呟きながらも楽しそうだ。曜日感覚も季節も狂っている私は、彼が三月だと言うから、そっちのほうが気になりつつも、そうね、と返事をした。
「私も
そう言って私は彼の頬に手を伸ばした。
すると彼は寝っ転がっていた私を起こし座らせ、抱きしめ、そして、髪から肩へ流れるように私を撫でながら小さく、そうだねと呟いた。
私を抱きしめたまま彼は言う。
「私はEdwerd・Smith。エドだ。三十六歳独身。好きな色は赤と白……かな。君は?」
「私は
「じゃあこれからはスミスを名乗るといい。黒はね、私も嫌いだよ。年は……まだ十五、十六くらいかな。それにしてはたいそう大人っぽい言葉を使うけれど」
「ママがね、いいところにお嫁に行くための大事なことだって言ってたの。エドは三十六歳?もっと若いかと思ったわ。私がスミスを名乗るなんて親子みたいね」
「……違うさ、夫婦だよ。私も君も独りじゃなくなった。お祝いに真っ白い綺麗なドレスを仕立ててもらおう。真っ赤なドレスも似合うだろうね」
彼は真剣な口調でそう言った。
「私が?夫婦なの?年齢もそうだし、だって、私、私」
続けようとしたところで、彼が私の唇に『しーっ』と指をあてた。
「
「でも、私、普通じゃないわ」
「私にとって、特別なんだ」
「……そう」
私は彼を抱きしめ返し、また、彼と同じように髪から肩へと流れるように彼を撫でる。心が落ち着く。とたんに、色々な感情がこみ上げてくる。
他人と違う私のこれが嫌だった。
暗い所で生活を強いられるこれが嫌だった。
これのせいで好きな服を着れないのが嫌だった。
パパとママをお別れさせたこれが嫌だった
苗字を名乗れない自分が嫌だった。
他の子供とは違う、丁寧な言葉遣いを強いられるのも嫌だった。
ずっと独りなのが、嫌だった。
「私、初めて嬉しいと思ってる。現在進行形で。私ずっと嫌だった。でもママが綺麗な言葉を教えてくれたおかげで私は拾われた。素敵なドレスあつらえてくれるって言ってるし、苗字がなかったことでエドと仮にでも夫婦になれるなんて。独りじゃなくなるのよね、私。ひとりじゃ……」
「ああ、私も独りから救われた」
「私、こんなだからパパに捨てられたのよ」
「私は白と赤が好き。白く
私は彼にしがみつきながらすすり泣く。
「アルビノの、
彼は、落ち着いた口調でゆっくり、でも少し力強く。私を抱き寄せる腕もぎゅっとなりながらそう言った。
「だから、白が嫌いなんて言わないでくれよ。君は特別だ」
「でも」
「
「いいえ、好きよ」
「君はもっと君自身を好きになるべきだ。私が言っているんだから、ね。私が好きな
私は小さくうなずいて、冷めたミルクを少し口に含んだ。
彼はにこにこしながらまだ私を撫でて、髪に軽く口づける。
「淹れなおそうか」
私の腰近くまである真っ白い髪を口元に置きながら彼は言った。私は首を横に振る。
「もう夜よ。私がさっき、目覚めたときから真っ暗」
私たちはあれからまた少し寄り添ってぼうっとしていたから、さらに時間が経っていた。彼に触れている右肩は、余計に暖かく感じる。
「九時を過ぎてる。ゆっくりしすぎたね。ディナーは……」
「あの、私、ミルクでもうお腹いっぱい」
二日ほど何も食べてなかったと思われる私の体は、ミルクとはちみつで十分だと言っている。私も物を噛む力はないように思った。
「そうだね、徐々に食べれるようになっていこう。私も今日はあまり食欲がないんだ」
私に合わせなくていいのに。そう思ったけど、彼の優しさに甘えることにした。
「じゃあ、とりあえずの君の部屋を。暖かいベッドを用意するよ、待ってて」
「あ……」
彼は私の膝にブランケットを置いて、二階へとのぼって行った。
あたたかい、さっきまで暖炉の前に置いてあったブランケット。だけど、さっきまで彼とくっついていた右肩が、やけに寂しい。左肩よりも、からだ中のどこよりも、うんと冷えた気がした。
時計を見ると、さっき彼が上に行ってから十分ほど。まだ十分、されど十分……。私は自分に言い聞かせる、それと比例して右肩の寂しさがうずく。天井が少しギシギシとなっている。窓も風でガタガタとうるさい。
「この風だと……今日拾われてよかったわ」
風の調子を見ると冷えていそうだとわかる。こんな強風にさらされたら、コンクリートの冷たさも相まってすぐに体温は奪われていただろう。明日は私の亡骸がビッグベンが見える広場に落ちていたかもしれない。そう思ったとたんに、心臓がきゅっと、苦しくなった。
時計を見る。まだ三分しか経ってない。きゅっとした心臓の鼓動がだんだん大きくなり、私は疲れてソファーに横になった。どくどく言ってる。
天井がうるさい。
窓がうるさい。
心臓がうるさい。
ああ、火が。暖炉のオレンジの明かりももう少しで消えそう。
暗い、黒い、怖い。くらい、くろい、こわい……。
「
びくっとなって目を開けると、エドがすごい形相で私を支えている。私はソファーから半分落ちていた。彼は髪も服も少し乱れ、息も荒い。
「エド……」
「
「エド、あの、大丈夫よ、ごめんなさい」
「大丈夫じゃないだろう!
(……俺?)
私をソファーにちゃんと横にさせ、ブランケットをかけながら彼は口調がちょっと乱雑になって、慌てている様子がわかる。
「ああ、もう、ああ。君が無事でよかったよ。一人にすべきじゃなかった、俺のせいだ」
「エド。私、本当に大丈夫。ちょっと横になるところを間違えただけ。……私、紅茶淹れるの得意なのよ。場所を教えてくれたらハーブティーを淹れるわ、落ち着くわよ、エド、ねえ」
「…………!」
ハッとしたように彼は私の瞳を見つめる。
「あぁ……」
肩の力がガクンと落ちたのが分かった。横になった私に覆いかぶさって、耳元で、よかった、よかった、と私の髪を撫でる。
「あぁ……
すっかり落ち着いたようで、彼は床に座り、私の髪を撫でている。私は平気だからと、起き上がろうとしたのだが、エドに起きるなと言われてしまった。
「エドって、慌てると一人称が変わるのね」
私はさりげなく呟いた。
「えっ、変わっていたかい。私もまだまだ子供なのかな……」
困り眉毛で、ふっ、と笑った。
三十六歳で紳士なイメージが強い彼は、やっぱり『私』が似合うと思いながら、彼の癖を一つ知れて少しだけ嬉しくなった。と、いうのは彼には内緒だ。
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