純白少女とパラフィリア

海山 戀

第1章

他人と違う私と英国紳士

第1話・雨の中に咲いた花

 気が付くとそこは見慣れない街だった。

 煉瓦れんが造りの家、土砂降りの雨、コンクリートの冷たさ、道行く人の視線。そして絵本やテレビでよく見る・・・・・・時計台。

 私は一瞬にして自分の置かれる状況が分かった。もとは真っ白だったと思われる、泥がついた汚いワンピースに、素足。ああ、これがニュースで最近やってたやつねと薄い意識の中で思う。

 絵本でよく見た時計台を遠目に眺めながら

「今、何時かな……」

私がこの地で最初に発した言葉。

そして

「今はね、午後三時。ティータイムの時間だ」

 この地で初めて、私に応えてくれた言葉。

 その人はとても大きくて、黒色のスーツをまとい、まさに英国紳士。そしてそれに似合わない、だけどとっても素敵な赤い傘をさしていた。

 私が無言でそのを眺めていたら、

「ああ、君は赤がとても似合うだろうね」

 微笑んで、小さく縮こまった私のそばに置いた。

 そしてまた英国紳士は小さく笑って

「……本当に君は

 と、呟いた。

 英国紳士は鞄の中から一枚の紙を取り出した。真っ赤な名刺カードだった。「私はエドワード・スミス。君、行き場に困ったらここに来るといい。すぐそこなんだ。見える?あの赤い屋根と赤い看板。Red Camelliaっていうんだけど」

「……ええ」

 カードには店の名前と小さく彼の名前、電話番号。そして赤い椿がたくさん描かれていた。

 私は雨ではっきりとは見えなかったが、ぼやけて赤い建物があるのが見えた。周りは茶色やベージュなのに。

「ほかに行き場があるならそっちへ行ってもいいけれど、おせっかいだったかな」

「ううん、私、どうやら捨てられたみたい。あてなんてないわ」

「……美しい君を捨てるなんて。君に涙は似合わないな」

 そう言われて初めて、私が泣いていることを知った。だから、視界がこんなにもぼやけて。どうりで、大粒の雨と大粒の涙が相まって、時計台の針が見えないはずだ。

こちらは、確かに雨の音で掻き消された。

「それじゃあ行こうか。君、傘を持てるだけの体力はあるかい?」

 そう言われて赤い傘を手にとる。そしてすぐに私の手から零れ落ちた。

「あ……ごめ、ごめんなさい……」

「いいんだ。こちらこそ紳士的じゃなかったね。それじゃあ、落っこちないようにしてくださいよ、レディ?」

 そう言って私を軽々と持ち上げ、歩き出す。

「あ、あの、傘……」

「ああ、雨が止んで、君が傘を持てるだけ体力が戻って、素敵な靴を用意してから二人で取りに行こうか」

 そういわれて、私が素足なのを思い出した。

 だんだん傘が遠くなっていく……赤い、赤い、素敵な傘。

 雨のロンドンに花が咲いたようだった。




『カランコロンカラン』



 赤を基調とした、シックなデザイン。棚が綺羅綺羅していて私には少し眩しかった。それからほんのり、ハーブの香り。小物屋さんのようだ。

 「拭いてあげるから、座ってて」

 私をお店の奥の、暖炉の前のソファーに座らせる。そういう英国紳士もすごく濡れていた。

「……貴方だって濡れているわ」

「エドでいい。レディファーストさ、さあ」

 彼はまずは暖かい濡れタオルで優しく私の右腕から左足の先、髪の毛まで綺麗に拭いてくれた。それから乾いたタオルでぽんぽん、と、水気をとる。

 「落ち着いたらきちんと体を洗おう」

 そう言いながら彼は濡れたスーツを脱ぐ。すると、なんと、そのまま暖炉へとくべた。流れるようにネクタイ、シャツも焼いてしまった。

「なんっ……」

 私は聞こうと思って、それでも聞いちゃいけないと、なぜか思った。

「……君と出会えたから」

 彼は新しいシャツに着替えながら、私を見つめて、笑った。


 着替え終えた彼は私の右隣にホットミルクを持って座った。

「少しぬるめに淹れたんだ。いきなり熱いものはきっと体が驚いてしまうからね。それに、はちみつがたっぷり」

「ありがとう……温かい」

 少し口に含んで、テーブルに置いた。絶妙な温度で、体の芯から指先にまで染み渡り、そして、はちみつの甘味で涙が出た。

「えっ、熱かったかい?それともミルクは苦手?あっ、はちみつを入れすぎたか!?」

 彼は私の涙を綺麗な真っ白いハンカチで優しくぬぐいながら、慌てふためく。

「違うの、すごく美味しい。こんなにおいしいミルク、初めて。美味しい……ミルク、落ち着くわね」

 基本的に私の家には、はちみつはなかったし、安い牛乳しかなくて、冷たくてもホットミルクにしても、あんまり美味しくなかった。

 でも、涙が出たのは美味しさよりも、そのはちみつのような優しさに触れたこと。私は深く深呼吸をして、もう一口。まだちょっと慌てている彼の目を見て、私は笑って、美味しいわ、と言った。  

 彼も深呼吸をして、よかった、と笑った。


「さて、本題だ」

 彼は私を正面に見る。

「君の置かれた状況は自分で把握できてるのかい?」

 彼は悲しそうに、でも優しく私に問いかける。私は少なくとも今の状況と少し前の状況は分かっていたし、それと少しの憶測で話し始める。

「私、捨てられたんでしょう?テレビで見たの。捨て子には靴も履かせないで、決まって真っ白のドレスのようなワンピース。そしてあの……時計台が見えるところに置くのよね。きっと流行に乗られたのね。何日あそこにいたのかわからないけど、そこまで体が冷えていないことと汚れ具合から見てまだ二日くらいかしら。それで……貴方が拾ってくれた」

 淡々と話す。つい、早口になる。

「パパがね、新しいパパが来たの。きっと、優しくしてもらってたけど、きっと、ママとパパにとっては邪魔だったのね」

 早口ついでに止まらなくなる。ここまで話す必要がないと思いつつ、ぺらぺらと、喋ってしまう。

「ずっとママと二人暮らしだったの。ウォーリンガルの細道で。ママ、パパがいなくなって悲しそうだった。でも、新しいパパ来てから嬉しそうだったの。だから、私もうれしくて。私、いい子にしてたのよ。だけど、お金、足りなくなったのかな。邪魔だったのかな。でもママも優しいわね、売りに出されなかったんだもの。それとも私は売り物にならなかったのかな」

 暖炉の炎がさっきより揺らめく。そして、だんだんぼやけていく……。

「私、いい子にして、たの、よ」

 言葉が詰まった瞬間、目の前が真っ暗になった。しばらく大したものを口にしていなかったせいで細くなった私の腰を、彼は優しく包み込んだ。

「ああ、大丈夫、大丈夫だから」

 彼はそう言って、私の髪をなでる。撫でられたのも包み込まれたのも、しばらくぶりすぎて、その体温に私は泣いた。

「ねえ、あの時計台の名前、なんだったかしら」

「……ビッグベン」

 私はしばらく涙が止まらなかった。

彼もまた、少し鼻を、すん、と鳴らしていた。


 涙も引いて少し落ち着くと、私は彼の肩を、ポンポン、と軽くたたいて『大丈夫』とサインを出す。すると、彼のほうが険しい顔をして瞳は潤んでいた。

「ごめんなさい……私」

 私が厚かましく語ったから、彼に迷惑だと思われたのだろうか。私は少しびくついて縮こまってしまった。それを捉え見逃さなかった彼は、少し微笑んで、引いてしまった私の腰をまた少し引き寄せた。

「……これからは私が面倒を見る。君に沢山の幸せをプレゼントする。誓うよ」

「な、に」

「私は君に、愛を誓うよ。好きなんだ」

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