第12話・仕立屋さんと椿

 私は、彼のしたように手折った黒薔薇をそのままぎゅっと握った。大きな棘から、小さな棘までチクチクと刺さって痛い。気の済むまで、握って、手を開くと、垂れ流されないけれど、手が赤くにじんでいた。彼とは違い、真っ白な私。より一層、赤い血液が目立つ。白と赤。白椿ホワイトカーメリア赤椿レッドカーメリア……。

 私は手に黒薔薇を持ったまま、椿カーメリアの木に近づいた。

「確かに、白と赤は、似合うわね」

 私は落ちていた白い椿カーメリアの花びらで、私の血をぬぐった。それから、黒薔薇を椿カーメリアもとにぽとりと落とした。

「……エドをあんなふうにする黒薔薇あなたなんて、嫌い。嫌いよ……」

 さようなら、と、小さく呟きながら、黒薔薇の上に椿カーメリアの花びらを置いた。赤と白、それから葉も。手折った黒薔薇を、埋葬するようして、美しいもので隠した。

「……さて」

 私はまた、ベンチのほうに戻って、すっかり冷たくなったトレーを持つ。二人分のお皿にティーセット。少し重たかったけれど、これくらいでくじけていられない。私はぐっと力を入れる。途中で下しては休憩しながら、ゆっくりと家の中まで運んだ。

 

『パタン』


 私が家の中に入り、中庭の扉を閉めると、とてもいい匂いがする。茶葉の、いい香り。私はお医者様がチャイを淹れると言っていたのを思い出し、少し急ぎ足になる。いくら手馴れてそうだからとはいえ、お客様にすべてをやってもらうわけにはいかない。私も何か手伝わなければ。お客様を一人にさせるなんて、私も気が動転していたのかもしれない。

 急いでトレーを持っていくと、キッチンには誰もいなかった。ああ、と思って、とりあえずキッチンにトレーを置いた。そして、さっき彼の手を拭いたタオルを、私の血でもう一回、汚した。棘は、中庭むこうで自分の爪を使って取ってきた。また、タオルを洗う。血が流れていったのが見えた。

「お嬢さん? こっちよ」

 暖炉のほうから声がする。おそらく、あのお医者様の声。

 私はおそるおそる、リビングのほうを覗いた。

「とって食ったりしないから、こっちに来て。自画自賛だけど、あたしの淹れるチャイって美味しいのよ」

 彼女は向かいの席を指さす。そこには私の分のチャイが入ったティーカップが置かれていた。湯気がゆらゆら揺れている。美味しそうな香り。私はぺこりと頭を下げながら、彼女に近づく。

「ふふ。座って。お喋りをしましょう。女子トークってやつ?」

「……ふふ」

 あまりに彼女が明るいものだから、私もつられて笑った。彼女の向かいに座る。

「飲んでみてよ」

 私は彼女に促され、チャイを一口。

「ん! 美味しい」

 彼女の顔を見る。きっと今の私には少しお花が舞ったと思う。濃厚だけど、程よく甘くて美味しかった。

「でしょう? あたし、チャイが好きで。得意なの」

 私はもう一口飲んだ。

「甘さがちょうどいいわ」

「アクセントにシナモンをいれているのよ」

 ああ、だから少し独特な匂いがしたのか、と思った。

「私、シナモン大好きなんです」

「本当? あたしたち仲良くなれそう」

 彼女は頬杖ほおづえをついて、にっこりと笑う。しばらく私たちは無言でチャイを飲んでいた。半分くらいまで、チャイが減ったとき、彼女がティーカップとソーサーをテーブルに置き、私のほうを見た。

「ねえお嬢さん。あたしの話聞いてくれるかしら」

「なんですか?」

 警戒心は全くと言っていいほどなくなっていた。素敵なお茶を淹れる人に悪い人はいない、と、思う。あたたかなチャイで、私も少し落ち着いたのだ。

「あたしの名前、シュナイダーって、どういう意味か分かる?」

「んんー……なんか、強そうですね」

 私は思ったことを素直に言った。そしたら彼女はプッと笑った。

「強そう? そうかなあ? お嬢さん、面白いわね」

 彼女はしばらくお腹を抱えて笑っていた。私は、絶対に答えを方を間違った!と思って恥ずかしくなった。恥ずかしさと、彼女か笑うからそれにつられてこみあげてくる笑いとで、私もお腹がよじれそうだ。

「あたし、ドイツ人なの」

「そうなんですか? すごく流暢りゅうちょうな英語ですね。ああでも、だからやっぱり、身長がお高いんですね。格好いいです」

「そうかしらあ? お嬢さんは小柄ですごく可愛らしいわ! あたし、エドから小さい子が来たから頼むって言われてたのよ! 会うのを楽しみにしていたわ」

「エドが?」 

「ちゃんと挨拶して、もっとゆっくりしたときに会いたかったのだけれど……ね」

 彼女と私は、エドワードをちらりと見る。いまだ、彼は眠っている。でもその表情は、心なしか穏やかだ。

「……あたしのシュナイダーはドイツ姓で、意味は”仕立て屋”よ」

「そうなんですね。……あれ」

 確か、”アルフレッド先生”を旦那さんと言っていなかっただろうか?首を傾げた私を見て、彼女はまた笑う。

「あたしたち、夫婦別姓なの。もちろん、アルフレッドのことは愛してるわよ。でも、自分の姓も好きなの。あとは……仕事の関係ではとても楽よ」

 彼女は笑顔で語る。私は、そういう愛の形もあるんだと知った。私は夫婦になったと実感が欲しいため、苗字は夫の物を名乗りたいと思った。もっとも、私の姓なんてわからないのだが。

「そうそう、そんなあたし、仕立屋シュナイダーさんは本業のほうをしたいと思いまあす」

 彼女は大きな鞄を持って立ち上がる。そして、私のもとに来た。身長の高い彼女は、膝を床につけて、私とちょうどいい目線だ。彼女は私の膝に手を置いた。

「やっぱり、お嬢さん、とっても可愛い」

「あっ……あの! 私、」

「見ればわかるわよお。すごく美しいわあ!」

 私はアルビノであるから、普通の人とは違う。そういったことを言おうとした。私はエドワードのことで必死だったから、最初は忘れていたけれど、チャイを飲んでいるうちに、私が人前に出てもいいのかだろうかと悩んでいた。

「……不思議」

「なにが?」

「私のこと、気持ち悪いって言わないんですね……」

 気持ち悪いと、ずっと言われ続けてきた私。怪奇の目で見られる私。エドワードに続いて、二人目だ。私を美しいと言ってくれたのは。

「もしかして嫌なの? あたしは神秘的で好きよお。あ、そうそう! ちゃんと、お嬢さんに似合うようにって、作ってきたのよ!」

 彼女は、思い出したように大きな鞄を広げ始めた。”神秘的”か……。そんなこと、今まで言われたことはなかった。美しいと言われて、ただ単純に嬉しかった。

「ちょっと、立ってみて」

 彼女に言われて、私は立ち上がる。立ち上がるとやっぱり、彼女との身長差がはっきりとわかる。私も背が高くならないかしら。

「うん、150センチくらいね。それ、彼シャツ? いいわねえ」

 彼女は私の着ていたシャツの裾を軽く引っ張った。そこで思い出したが、私はエドワードのシャツ一枚だった。

「ごめんなさい、パジャマで……。私、服がなくて。お見苦しいと思うんですけれど」

 私は顔が真っ赤になって、謝る。恥ずかしくって、何回いもぺこぺこと頭を浅く下げた。

「しってるわよお。あたしが呼ばれたの! 昨日電話があったのよ。アルフレッド先生あてじゃなくて、あたし、仕立屋シュナイダーさんあてにね!」

「わっ」

 彼女は、大きな鞄から真っ白いワンピースと赤いワンピースを取り出した。彼女は得意げに笑みを浮かべている。

「仕立て屋”Fledermaus”特製、特別オーダーメイドドレスよ!」 

「わあ……素敵!」

 ”フレーダーマオス”と言った彼女のお店。フリルがたくさんあしらわれているんだけれど、ボリュームは控えめ。赤は明るすぎず、いやらしくない。白もおとなしすぎないようにリボンなどが付いている。美しいと可愛いを、絶妙なバランスで保っているようだった。

 それから彼女は、靴を二足、ブラウス四着、スカート三着、パジャマを二着、ガウンを一着、下着を数着を鞄の中から取り出して、並べた。パンパンだった大きな鞄は、すっかりぺたんこになっていた。

「これ、全部あなたの物よ、椿つばきちゃん」

「あ、名前……」

「実はちゃんと、エドワードから聞いてたの! ……どうかしらあ、気に入るといいのだけれど」

 彼女はにっこりと笑って、またしゃがんで私と目線を合わせてくれた。私は基本的に白と赤でデザインされたお洋服たちが、とても綺羅綺羅していて、美しくて、一目で気に入った。

「あたしからのプレゼントよ! 椿つばきちゃんっ! お近づきのしるしに」

「あ、えっと……、アニカさん。すごく素敵! でも、私がもらってもいいの?本当に?」

「いいわよお! エドワードからお代金もらおうと思ってたけど、椿つばきちゃんのこと、気に入ったからあげちゃう!」

「赤と白で、椿カーメリアみたいね」

 私は笑う。

「いつもエドワードからのオーダーは赤と白なのよお。でも、お名前を聞いてぴったりだと思ったわ!それに、椿つばきちゃんの真っ白い美しい肌にぴったり」

 そう言いながら、彼女は靴を一足手に取る。少しヒールの高くて、フリルやくりぬき、小さな細工がいっぱいのお出かけ用のような靴。そして中央には、目を引くような真っ赤な椿カーメリア。白い靴に、赤い花。とても目を引くようなデザインだ。

「可愛いでしょう? これこそあなたみたいじゃない?」

「私ここまで可愛くないですよ……でも、この靴はとっても素敵! 椿カーメリア、いいわね」

 私は彼女から靴を受け取った、実際に手にしてじっくり見ると、本当に細かく装飾がほどこされているのが分かる。色々な角度から見ても、どこも手抜きなんてものはなく、どの角度から見ても美しかった。

「……気に入ってくれたみたいで、よかったわあ」

「えへへ」

「明日持ってくる予定だったのよお、本当は。急いでいたから医療機器をお洋服と同じバッグに入れちゃって」

 私は眺めるのに夢中だった。こんなに手の込んだ靴やお洋服は初めてで、嬉しかった。私が着てもいいのかと思うと、心が躍った。

「ふふ、アニカさんとお友達になってくれるかしらあ?」

 彼女はにっこりと、床に膝をつきながら笑う。

「私でよければ、よろしくお願いします」

 私も、照れくさくて笑った。

 生まれてはじめて、友人が出来た瞬間だった。


 

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