10/3 PM1:00~

「…………ドッペルゲンガー?」

「正確にはドッペルゲンガーに近い何か、だけどね」


 昼下がりの喫茶店、こちらを見ることなく、ひたすらにノートパソコンに文字を打ち続けている男はいつものように奇妙な話を始めてきた。


「ここ数カ月この街で噂があってね。この街で芸能人を見たとか、総理大臣を見たとか。お忍びで来たんじゃないか、って言われたけど彼らを見た時間に彼らは生放送でテレビに出演していたらしい」

「だから本人ではなくドッペルゲンガーだって? 芸能人や総理大臣って辺りが胡散臭い噂をかもし出してるけど、どうしてドッペルゲンガーに近いんだ?」


 私はコーヒーを口に含みながら、手持ち無沙汰な左手で本当にそんな噂があるのか携帯電話を使って調べてみる。


「本来ドッペルゲンガーっていうのは周りの人間と会話をしなかったり、その人に関係があったり想い入れのある場所に現れるのが特徴なんだけど、この街のドッペルゲンガーは人間と会話するらしい。そういった意味でドッペルゲンガーに近い何かってことさ」


 確かにネットにはいないはずの芸能人に声を掛けたら握手をしたり、サインをもらったりしたという情報がある。サインに至っては狙ったかのように日付が書かれており、それがまたこの話を嘘らしくしている。


「それでそのドッペルゲンガーもどきとこの呼び出しに何の関係がある? 先生が新作の案を出してこないって、近藤さんがこっちに愚痴を言ってきて困るんだけど、先生さん」

「楓ちゃんには申し訳ないと思っているけどスランプに陥っているいるならしょうがない、彼女にはおとなしく待ってもらって上からの愚痴を受け止めてもらおう」


 ――なら今カタカタとパソコンに打っているのは何なのか。


「これがただの噂ならいいんだけど、もしかしたら”願憑き”の仕業かもしれないからね。それなら君にも関係してくるでしょ?」

「…………大学始まったから時間ないんだけど」

「大丈夫、もしものことがあったらいつものように私が裏で手を回しておいてあげるから心配せずにこの噂に取り掛かってください」


 こちらを見ず自信満々にとんでもないことをさらりと言ってしまう先生に私は何も言うことは出来ず、ただコーヒーを口にすることしかできなかった。こうなってしまっては何を言っても無駄だろう。私は先生からの仕事に取り掛かるしかないのだ。


「すみません、コーヒーとサンドイッチ追加でお願いします」


 だから私は先生おごりのこの昼飯で元を取るしかなかった。


 ――まったく今回も面倒なことになりそうだ。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 先生と別れた私は、特に行く当てもなくただフラフラと歩くしかなかった。噂に出所はあるかもしれない、だがその出所を見つけることは無理だった。狭い範囲の噂ならまだどうにかすることができるだろう、しかし今回はこの街全体が範囲であるためどうにかできなかった。


 この街に有名なものはない。有名なものがないため観光業としては儲かってはいなかった。しかし、港町、そして大都市からそこそこの距離であるため、ベッドタウンとしては栄えてはいた。住みたい街として人気があるらしいが、昔から住んでいるため私にはそれが分からなかった。


 歩くと海から潮風が吹いてくる、それが行き場を失った私には程よく気持ちいい。


 ――さてとこれからどうしようか。

 

 噂の信憑性を調べるには聞き込みを行っていくことが最適なのだろうが、知らない人にホイホイと話しかけれるほど私にコミュニケーション力はない。友人に情報を求めようにも、頼れそうな友人はいなかった。


 ――となると頼れそうな人は2人か。


 私は携帯電話を取り出し、押し慣れた番号に電話を掛ける。休日だから家でゆっくり休んでいるかもしれない。だがこれは先生から頼まれた仕事である。ならば彼女には悪いが道連れだ、手伝ってもらおう。


「お疲れさまです、今ちょっとお時間いいですかね?」

「そうやって唐突にお話を振ってくる辺り、あなた、先生に汚染されてきてますね」

「さっきまで先生と話していたから大分汚染されているかもしれませんね」

「ってことは先生関係のことなんですね」


 声のトーンが少し落ちた、電話の向こうで落ち込んでいる様子が思い浮かぶ。上司からの愚痴でも思い出したのだろうか。


「はい、実は先生が新作でドッペルゲンガーでもネタにしようとしているのか、最近街で噂になっている話を調べてきてくれ、と頼まれたんですけど…… 近藤さん何か知ってます?」

「…………ドッペルゲンガー?」


 1時間前に私がしたのと似たような反応が聞こえてくる。突然そのような話を振られたら誰でも似たような反応になってしまうのだろう。


「その噂なら私実際に見てますよ」


 ――えっ?


「えっ? その話詳しく教えてください」

「あれは1か月前のことですかね、先生と打ち合わせをする日だったんですけど、間違えて…………じゃなくて時間に余裕があったので待ち合わせとは違うファミレスで時間を潰そうと思ったんです」


 なぜ違うファミレスで時間を潰すことにしたのだろうか、待ち合わせと同じ店で時間を潰してもよかったのではないだろうか。同じ店に長居するのが嫌だったのかもしれない。


「それでファミレスに入ろうとしたときに、中からそこそこにカッコいいお兄さんが出てきてですね。その人はファミレスの制服を着ていたので店員の方でした」


 そういえば以前、男性との出会いがないと言っていたが、もしや日頃から男性を注視して視ているわけではないと信じたい。


「そのお兄さんが出ていくのを見ながら中に入っていくと、なんと同じお兄さんが店の中にいるじゃないですか。私とってもビックリして思わず2度見してしまいましたよ」

「本当に中にいたのはそこそこにカッコいいお兄さん? 」

「いや中にいたのは出てきたお兄さんよりもそこそこにカッコいいお兄さんでした」


 ――まったく違いが分からないのですが。


「野外と野内なので光の当たり方からカッコよさは多少差はありましたが、同一人物だったんです。私思わず店員さんに、今店の外に出てきましたよね? って聞いたんですけど、いいえ出ていません、って。だから間違いなくあれはドッペルゲンガーですよ」


 もし近藤さんの話が本当ならそれはドッペルゲンガーと言っていいだろう。だがネットで見た噂は有名人ばかりだった。噂になりにくいだけで有名人以外の人間のドッペルゲンガーもいるということだろうか。


 ますますこの話手が付けにくくなってきたのではないだろうか。


「なるほど、確かにそれはドッペルゲンガーみたいな話ですね。そのファミレスってどこのファミレスですか? 」

「えっとですねー、駅近くのビルに入っているあのファミレスです」

「あの1階にあるファミレスですね? 」

「そうそうそれです」


 明るく、うんうんと頷いている姿が声から読み取ることができる。駅近くにはファミレスが2件似たような立地であったが、どうやら私が最初に思いついた方で合っていたようだ。


 ――なるほど、待ち合わせの店を間違えたのか。


 どうしてわざわざ違う店で時間を潰したのか、ただのドジだったようだ。


「分かりました、情報ありがとうございます」

「いえいえ、先生のためにもどうかよろしくお願いします」


 極力頑張ります、そう言って私は電話を切った。先生がカタカタと勢いよくキーボードを叩いていたことも教えようか、と迷ったが進捗具合が分からないため一喜一憂させるのもあれだったので黙っておくことにした。


 ――取り敢えず駅近くで目撃情報が1件か。


 真偽が怪しかった噂が意外なところから信憑性が高まった。ならばまずは無難にネットに書かれている目撃情報の場所でも集めてみようか。聞き込みの方は頼れる彼にでも任せよう。


 頼れるもう1人の人物に電話は通じないため、私は携帯電話で先ほど聞いた情報と頼まれたことを簡潔にメールに書きだす。手紙でもよかったかもしれないが、手書きは面倒くさかった。


 ――送信、と。


 送信ボタンを押した後、喫茶店で開いていたネットをもう一度確認する。

歩きながら、私は面倒くさい作業をコツコツと始めたのだった。

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