第一項 日常と超常の境を歪めしトキ

一、異世界について




 カーテンの隙間から漏れる暖かな陽射しが、あたしを心地よいまどろみから解き放つ。

 天の岩戸が如き両のまぶたをゆっくり開けて、最初に映るのは変わり映えのない白いマス目。

 また、いつもと同じ朝、いつもと同じ天井だ。

 あたしは気だるげにゆっくりと起き上がると、寝癖がちな髪を軽く手櫛で撫でつつ枕の奥にある小棚から金縁の眼鏡をつかむと、正面の壁に架けたフクロウさん時計を見上げる。時刻は六時半。正直、しんどい…………

「実は玄関の扉を開けた瞬間、世界線に歪みが生じて家と学校をつなぐ道が消滅しているのではなかろうか。もしかしたら『夢幻界』ヴァルマ・ハーラに通じる道が開かれる可能性も…………」

「何の話ですか?」

「びゃぁいっ!!!?」

 予想だにしない声に不意を突かれ、あたしは思わず意味不明な悲鳴を上げる。

 ていうか、いきなし横合いから話しかけて来んなや…………って、

「あれ、えっと、勇者くん?」

 そう、絶賛妄言中だったあたしに声をかけてきたのは、昨日あたし自身が別の世界から召喚した「彼」だった。

 あ、そう言えば……と、あたしは胸のペンダントに触れてみる。水晶の楕円形をしたそいつは、ダイヤの如くまばゆい輝きを放っていた。

「いや、ちょっとネガティブシミュレーションを…………」

「ネガティブ?」と、おそらくはその意味すら知らないであろう言葉を復唱する勇者くん。

「敢えて後ろ向きな状況をとことんまで想定しながらその要因を洗い出し、改善策や突破口など前向きな発想へと転じる材料を見出していく思考訓練の一環ってやつさ」

 などと、もっともらしい理由を述べるあたし。

 そこで「彼」の冠に埋め込まれた宝玉が白く点る。どうやら、意味を理解したらしい。

 昨日一日、あたしは「彼」について色々と観察していたのだが、解ったのはこの宝玉が色によって「彼」の精神状態を表すモノだということ。そして、「白」は「理解」を示す色であることだった。どういう原理かは、まだ解明出来てないけど。

「そうでしたか、ワタシはてっきり『ヴァルマ・ハーラ』に思念テレパスでも送っているのかとばかり思いました」

「まさか、そんな非科学的な思考は持ち合わせてはおらんよ……って今、『夢幻界』ヴァルマ・ハーラがどうとかって言わなかった?」

「ええ、言いました。ワタシの居た世界ですから」

「まさか、『夢幻界』ヴァルマ・ハーラが実在していた……だと?」

「やはり、ご存知なんですね!」と、「彼」はどこか嬉しそうに声を上げる。


 いやいや、ご存知も何も…………それ、………………


 あたしは半ば呆然と心の中で、そうつぶやいた。


『夢幻界』ヴァルマ・ハーラとは、あたしの提唱する久遠なる異界ヘプタブレーンの一つの名称。

 精神感応による影響を最も強く受けるとされる次元にある理論値上の世界。

 哲学で例えるなら「形而上学(けいじじょうがく精神)」に限りなく近い「形而下学けいじかがく(物理)」の世界と言ったところか。


 と、そんなことより、今はもっと重要な課題があったはず。


「えっと、まず状況を整理しよう」

「はい」

「ここはあたしの部屋だ。そう、うら若き乙女の大事な寝室だね」

「はい」

「そんな乙女の秘密の花園に、君はいきなり土足で踏み込む気かね?」

「あ」と、勇者くんは自分の足元を見る。

 そう、「彼」はのだ。

 慌てて靴を脱ぐ勇者くん。


 いや、言いたいのはそこじゃないんだけどね…………

 まあ、靴は脱ぐべきだとは思うよ。うん。


「えっと、勇者くんはアレかね。その、他人に寝起きを見られても平気なタイプなのかな?」

「あ、ごめんなさい……つい、気になったものですから」

「それは『夢幻界』ヴァルマ・ハーラのこと?」

「はい。白魔はくまさんはどうやって、ワタシをことが出来たのですか?」

 少し違和感のある質問だった。

「まあ、あたしが君を召喚出来たのは、いくつかの要因が上げられるかな。時刻、気温、星の位置とそれによって生じる引力の変化、それらが重なり微弱ながら地上に発生する磁場の狂いが生じ、そこである法則に則って……簡単に言えば六芒星を象るようにその頂点の位置に火、水、風、土、金、闇を表す数が来るように周囲に数式を書くことで、時空間に干渉し得る文字信号を構築する。すると、次元の膜――あるいは『世界線』などとも呼ばれる境界に『ゆがみ』が発生して……」

「あの…………ごめんなさい。それ、よく解りません」

 見ると「彼」の冠に埋め込まれた宝玉が紫色に点滅している。

「紫」は、「困惑」ってことか?

「まあ、色々要因があったってことさ。ただ、決め手となったのは――――こいつかな?」

 あたしはそう言うと、首から下げてるペンダントの紐をつまんで見せる。

「わあ、綺麗……」

「どうよ、このペンダント。あたしの科学理論の粋を集めた、まさに魔法理学マギリテラルの結晶そのもの!」

「まぎりてらる?」と首をひねる勇者くん。

「魔法理学と言ってね、科学的アプローチで魔法のような効果を生み出す法則を理論的に解いたものだよ。それらの法則を現実に再現する仕組みをコイツに埋め込んである」

 言うなり、誇らしげに胸を張って見せるあたし。

 補足しておくと、ここでいう「魔法」という言葉はあくまで「現状の科学では説明し得ない現象」のことを指す。つまり、法則がまるでデタラメで非科学的なものを表す。

 例えば、火をおこすのに必要なものは何か?

 まずは油。そして石や材木など火種となるもの。そしてこれが最も重要なのだが、空気中の酸素である。

 んなもん意識するまでも無いだろう――と思うのがごく一般の人達が持つ認識だろう。だが、それはあくまでも人の手で用意する場合の話。科学――主に化学の話となれば別だ。

 単純な化学の仕組みで言えば、火をおこすのには「酸素」と「炭素」を結合させて外気熱が発火点に到達するように分子配分を調節すれば良い。

 ただそれを現実に引き起こすとなれば、身近なところでライターやマッチといった道具が必要となる。油は燃料として消費するものだから、火をおこすというよりは、絶やさないために必要となる。

 だが、もしいきなし目の前に火を生み出すことが出来るとしたら?

 それは最早、科学ではなく「魔法」ということに他ならない。

 そして、これを言うと十中八九信じてもらえないかもしれないが、実は

 たとえば、ダークマターという物質の名前を聞いたことがあるだろう。宇宙に存在するであろうといわれているが未だ観測出来ていない、いわゆる暗黒物質というヤツだ。

 これこそが、人類が未だに科学で解明できていない宇宙の法則――その代表例といえる。

 あたしの言う「魔法」というのは、こういった未開の物質や法則を持った現象のことで、他の学者連中が匙を投げてそう呼んでいる代物全般を指している。

 科学というのは何よりまず原因となる法則があり、現実的な視点で明確に証明出来なければならない。机上の空論は数多くあれど、観測記録などの詳細な証拠付けと決して狂うことのない絶対的な値、そしてそれらの材料に納得させるだけの理屈が要る。その理論が実証されなければ、それは頭に「空想」という名の冠が付く代物でしかない。それは学者ではなく作家の領分だ。

 だが、この世界にはそういった未だに明かされていない科学の命題が、いくつも残っている。いわゆる「魔法」という蔑称を与えられた法則ものをも含め。

 それは面白くない。

 だから、あたしは魔法として半ば放置されている法則を解明することに青春を奉げている。

 そう、今まさに青春の真っ只中。恋に恋するお年頃。甘酸っぱい初恋や成長期の悩みに一喜一憂しつつ、気になる男子生徒や憧れの先生に興味を示す好奇心旺盛なティーンズ。そこいらの女子高生じぇーけーどもと何ら変わらん、ただ科学が好きなだけの普通の女の子。

 科学を愛してこそはいるが、科学と結婚する気など毛ほどにも微塵にもない。

 故に現在、絶賛彼氏募集中!!

 大事なことなのでもう一度言おう、絶賛か…………………………………………

「あの、白魔さん?」

「はっ、えっと……そうそう、このペンダントね」

 いかんいかん、危うく思考の迷路に迷うところだった。

「このペンダントに埋め込まれた仕組みについてだけど……と、そろそろ支度をしなければならない時間だから、また後で話そうか」

「シタク?」と、小首をかしげる仕草が妙に可愛い勇者くん。

 フクロウさんが告げる時刻は、六時四十五分。流石に話し込んでいる余裕などはない。

「君を召喚した場所へ行く時間だ」

「ああ、あの守りの薄い石膏で固めた城砦のような建物ですか?」

「守りの薄い」は余計だが大体合ってはいる。

 建築構造的に見ても、兵糧さえあれば籠城は出来るし、作戦を練るにもゲリラ戦術を取るにも打って付けで、象徴的な意味合いでもスローガン一つで兵の士気を高め易いという場所柄。何より、すぐ一つの思想に感化される「憂国の士」とやらを量産するのに最適といえる。その場所とは――――

「そう、学校だ」

 そう言って、あたしは静かに立ち上がった。そして、

「なので、君は少し部屋を出たまえ」

「ワタシも一緒に行ってはダメですか?」

「行くのは構わんが、いささか目立つ」

 見れば、彼は昨日と同じく紫の法衣の上に真紅のマントを羽織った姿だった。

 残念ながら、校則はコスプレを許してはいない。

「ああ、着替えなければいけませんね」

 勇者くんの頭上で宝玉が白く光る。

「では……」と「彼」はおもむろにマントに手をかけた。

「待ちたまえ」

 あたしは慌ててその手を掴むと、全力で首を横に振りまくる。

「あの、何か?」

「取り敢えず、君の『着替え』は後で用意するから…………まず、この部屋から出て行きたまえ」

 あたしは有無を言わさず「彼」を部屋の外へ押し出してから、

「これより、乙女の着替えタイムに入るのだよ」

 そう告げてドアをばたり、と勢い良く閉めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る