二、白衣の魔女




「とまぁ、堅っ苦しい話は無しにして、適当に寛いでくれたまえ」

 一瞬、女の子かと思うほどに見惚れてしまう端正な顔立ちをしたその存在に、あたしはフラスコで沸かして入れたコーヒーをビーカーに注ぐ。

「それから、あたしの名前は先刻さっき言った通りだけど、ここでは『白魔さん』で通ってるから、気軽にそう呼んでくれて構わんよ」

「ハクマサン?」

 チタン製の取っ手をつけたビーカーを一つ「彼」に手渡してから、あたしは答える。

「通称『白衣の魔女』、略して白魔さんだ。解り易いだろう?」

 あたしはそう言って、漆黒のフード付きワンピースの上に羽織った白衣の襟元を二、三度、パタパタと扇ぐようにはためかせた。その胸元には、楕円形をした水晶石のペンダントがまるで金剛石ダイヤモンドのように、まばゆい輝きを放っている。

 正式には『白衣の魔女』と書いて「パラケミスト」と読む。

「科学者を越えし者」という意味だ。

 別に中二病を患っているわけではなく、むしろ日本語の方が後付で、あたしが普段からそんな格好をしているのを見て誰かが付けた当て字みたいなモノだし。まあ結局、略称も日本語の方になってはいるがね。

「あの、ワタシは…………」

「ああ、そういえばいてなかったな。ま、見た目は可愛いけどさぞかし威厳と畏怖に満ちた魔王たる者に相応しい名前なのだろう?」

「魔王?」と、小首を傾げる「彼」――――と、ここではそう呼ぶことにする。

 一見すれば少女と見紛うほどに綺麗なかおには真っ直ぐに澄んだ金色こんじきの瞳と低く控えめな鼻、小さくて愛らしい唇を開くと隙間からわずかに八重歯が見える。

 癖の目立つボブの黒髪には黄金の髪飾りにも似た冠を乗せており、「魔王」というよりはロールプレイングゲームなどに出てくる「勇者」の方を連想させる。その中央にはルビーかサファイアかエメラルドか、七色の輝きを放つ宝玉が埋め込まれていた。

 衣服の方も、所々に金刺繍のある紫の法衣や真紅のマントだけなら「魔王」といえなくもないが、背負った長剣が全てを台無しにしていた。

 先刻から何故「魔王」、「魔王」と連呼しているのかと言うと、

「そう魔王だよ。あたしはてっきり、それと同等あるいは近しき存在を召喚した心算つもりなのだが、違うかね?」

 そう、あたしは「魔王」を召喚する科学実験を行っていた。

「科学」などと言うと意味が解らないかもしれないが、そもそも科学とは「ある事象に対する原因や法則を、数学や物理学を用いて論理的に解き明かす体系化された学術」のことを指す言葉だ。少なくとも、あたしはそう考えている。

 たとえば「魔法」という言葉があるが、その意味は「魔」という現実には存在し得ない「法」によって引き起こされた現象で、大抵の場合「現在の物理法則では説明できない現象」のこと。簡単に言えば「不思議な力」全般を指す。されども、あたしに言わせればそんなものは匙を投げているに等しい。

 それはそうと、あたしの自信に満ち溢れた問いに対し「彼」は真っ直ぐな目でこう答えた。

「ワタシは星刻む天啓の神子カムイ=トワ=ヒャコレマという号を授かった………………人間です」

 ………………………………………………………………………………

「魔方陣」からだろうか。一瞬、冷たい空気が二人の間を通り過ぎた。

「………………………………えっと、まあ、そういう結果もあるよね」

 あたしは言い聞かせるように言葉を振り絞る。

「あれだ、理論上『魔王』と同等あるいはそれに近しい存在というのはだ、その次元に位置する存在ということだ。そう、あたしは遥か高次元に潜む何かを呼び出そうとしたワケで、別にそれが人間であっても問題はない………………多分」

「あの、ここはどこなのですか?」

「あ、ああ…………こ、ここかね?」

 我ながら、少しばかり動揺を引きずっているようだ。

 あたしはコーヒーを一口だけ含んでから、一息置いて「彼」の問いに答えた。

「ここは地球……と、その呼び方はかも知れないな。ならば三次元宇宙、あるいは物理層、いや…………そうだな、取り敢えず『現世界』フィジカ・ルギアとでも呼んでおこうか?」

 そこで「彼」の冠に埋め込まれた宝玉が白く光る。

「フィジカ……ルギア…………つまり、異なる世界というわけですね?」

「いやに飲み込みが早いね、君……えっと、カムイくんだったかな?」

「はい、皆からはそう呼ばれています」

「そう『呼ばれている』ということは、あたしのように本名がまた別にあるってことかね?」

「ええ…………ワタシの真名は………………」と言いかけたところで、あたしが待ったをかける。

「え?」

「あたしはヒントを欲しても答えは自分で導き出す主義でね、君の真名はこれから時間をかけてでも解いてみるさ。それまでは君を『勇者くん』と呼ぶことにするけど、どうかな?」

「ユウシャ?」と、どうやらこの言葉は「彼」の世界には存在していなかったらしく小首を傾げる。その仕草が妙に可愛いかったりする。

 しばらくして頭の宝玉が白く光り、

「アナタは面白い方ですね。解りました、今日から『勇者』と呼んで下さい、えっと白魔さん」

「彼」はそう言って微笑んだ。

 かわいい。

 あたしは眼鏡を直して少し茶色の入ったセミロングの髪を軽く払うと、するりと伸ばした左手を「彼」に差し伸べて曰く。

「さて勇者くん、改めて『現世界』フィジカ・ルギアへようこそ!」

 そして、「彼」は恐る恐るその手を掴んだ。

 その黒髪の上に乗せた冠には、白くまばゆい光が灯っていた。

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