魔法理学の白魔さん

さる☆たま

序項 神話と哲学の間に潜みしモノ

一、召喚という名の科学実験

 数式は、美しい黄金比の結晶だ。

 それは決してブレる事の無い、絶対なる真理を示す神の創りたもうた宇宙の法則。その奥の根源をも解き明かす完全なる言語。それが数式の真価であろう。

 その美しい言語を用いた答えには、一切の嘘が存在しない。

 あるとすれば、誤った解釈による誤った用法で得た誤った答えくらいのもの。

 数式そのものは、真実をただ淡々と告げるのみだ。

 その式に狂いが生じるような「値」が含まれていない限りは。



 室内は薬品の臭いが充満し、金属性の長机の上には何かの実験に使うであろうビーカーやフラスコがまばらに置かれ、奥の壁には骸骨や筋肉の標本が並んで立っている。

 そう、ここは学校の科学室だ。紛れも無く科学室だ。にもかかわらず、黒板にはその科学に対する反逆の意思表明とも取れる「魔方陣」のようなモノが描かれていた。


 その夜、科学室の中は異質なモノで溢れていた。


 時間はちょうど零時を廻ろうとしていた頃だったろうか。

 その日は良く晴れた雲ひとつ無い空模様で、月明かりはおろか星も綺麗に宵の闇を満たしていた。天体観測をするには持って来いの好天だろう。

 ただ、気温は異様に低く、ともすればコートが必要になるくらい肌寒い夜だ。とても、真夏とは思えないほどに。

 今の年は決して冷夏などではない。つい昼間までは気温が四十度にまで達していたのだから。なれば何故、吐く息すらも肉眼ではっきりと見えるほど真白く、水晶が如き輝きを放つほどの冷気に包まれているのだろうか。

 だが、今そこに立っている少女は、そのような疑問などとうの昔に解決しているとでも言うように、涼しげな顔をしていた。というよりも、むしろ意に介してすらいないのか、ただ一心不乱に白いチョークを黒板に殴りつけている。

 その書き殴った跡を埋め尽くす文字……いや、数式の羅列は何かの符合なのか、まるで円を描くように上下左右で異なる色で書かれていた。

 その円の中には記号らしき文字も混ざっており、それらを頂点として白線を引く少女。その頂点を結んだ時、ちょうど六芒星の形を成すように。

 そして、黒板の上、壁にかけられた銀縁円盤の中、時針、分針、秒針の全てが真上――即ち、零時を差したその時だった。


 世界が震えた。


 そう表現するのが果して正しいのかは解らない。が、そうとしか言えない現象が起こった。

 具体的には…………そう、ここは学校の科学室だ。先にも述べた通り、ここにはビーカーやフラスコといったガラス器具が長机や壁際の棚にも置かれている。ひとたび地震でも起これば、その弾みで倒れたり、床に落ちたりして割れることもあるだろう。少なくとも、この時はそれくらい大きく揺れていたように思えた。にもかかわらず、それらには傷一つないどころか、まるで何事も無かったかのように同じ位置を保っていた。

 もっとも、その揺れは大地の底から揺さ振られるような感じとは異質な、もっと大きな空間そのものが揺れたような感覚?

 不意に煌びやかな冷気が黒板の「魔方陣」から漏れ出した。

 その時だ。光が、目の前の風景に歪みが生じた。かと思えば、そこからまるで重力の波紋が拡がっていくような衝撃を肌で感じ、彼女――世に『白衣の魔女パラケミスト』と謳われたその少女――は息を呑んだ。その名の通りフードのついた漆黒のワンピースの上に羽織った白衣のポケットからコンパスを取り出して、ちらり。細い金縁の眼鏡に隠れた黒曜の瞳で針を追う。すると、そいつは狂ったように高速で針を回転させていた。

 少女は小さく頷くと、左手の人差し指の先で胸元に輝く水晶のペンダントにそっと触れた。そして、微かな空気の隙間を縫うように、言霊を吐き出す。


 不可説の奥に潜みたる素数まもの

 その更なる彼方に座する元素みたま

 果て無き概念いしきの向こうへその手を伸ばし

 今まさに訴えん

 求めたるその叡智こたえ

 我が前にうつし賜うことを


 無垢なる少女の願いが電磁を伴う音の波に乗り、熱の歪みを伝い世界の真なる狭間へ至る。その最奥に潜む何かに届いた刹那とき、まばゆい光が閃いて少女の視界を白で埋め尽くす。そして、闇が全てを支配した。

 闇はやがてぼやけたレンズのように歪んだ空間を生み出し、緩やかな陽炎フィルタをまとう影となりて少女の瞳に焼き付いた。

 それは小さな…………人?

 視界は徐々に晴れ渡り、少女の眼前に映し出されるは「小柄な男の子の形」をした人影シルエットだった。

 その影が、何かを口すさむ。

「……*⊿◎¥λ×◇+…………@☆Ψ#ℓ……θ$∀βロmヌζ……ム……」

 まだ、調整が要るか………………

 少女は胸元に輝く水晶に指を這わせ、小さくつぶやく。

風よ那由他より来たれシナト・バ・ソニコル

 すると、水晶がまばゆく輝きを放つ。

「………………こ……こ…………は……………………?」

「ようこそ、我が求めし者よ。我が真名は――――」

 白衣の襟をただし、少女が手を差し伸べる。

 そして、少年の形をした存在かれは求められるがままに彼女あたしの手を取った。

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