第三項 科学と魔法の鎖を解きしマチ

一、けいじばん



 それはよくある、ほんの些細な悪戯いたずら書きだった。




 我こそは魔王である。

 これより、この世界は我が手で支配することにした。

 愚かな人間どもよ、絶望しろ。命惜しくば我を崇めよ。

 さもなくば、こんな下らない世界今すぐ終わらせてやる。

 シュウマツは、すぐそこまで来ているぞ。その前に備えて置くんだな。

 我が臣民となるための準備をな。


 さあ、世界崩壊へのカウントダウンの始まりだ!




「くっっっっっっっっっっだらないっ!」

 読み終えてから、あたしは真っ先に抱いた感想を吐き出した。

「高校生にしては、ずいぶん幼稚な文章を書くヤツだなー」

 そばにいた布良芽ふらめも、首を縦に何度も振りながら同意する。

 放課後、あたしと彼女、それから道家みちいえ先生も加わって件の掲示板『666』の書き込みを閲覧していた。

「まあ、なんだかんだ言っても未成年ですからねえ」

 道家南華みちいえみなかは、言うなり机に置かれたジェラートにスプーンをつける。

 実は四時限目に作った物の余りで、思いの他作りすぎてしまったため、職員室の冷蔵庫にストックしておいていたのだ。にしても……


 があったのに、よく余るほど作れたものだが……


 でも、おかげで校長と高鷲たかす先生にも配ることはできたので、少しホッとはしている。

 まあ、ぶっちゃけ高鷲先生スパルタカスの方はどうでも良かったんだけど。

「それにしても矛盾してますよね。『世界を支配する』だとか『我に従え』などと言っておきながら『世界崩壊のカウントダウン』なんて、支離滅裂もいいところじゃないですか」

 道家先生は内容云々というよりは、前後の文脈が矛盾している事の方を気にしているようだ。


 この人、たしか『倫理』の先生だよね?

 倫理的にもっと注視すべき点とかあるよね?


 などと内心で突っ込みを入れつつ、あたしはマウスを操作しながら画面をスクロールしてみる。下の方では、この書き込みに対して500件を超える膨大なレスがずらりと並んでいた。

 始めの方はそれこそ、この中二病をこじらせた自称魔王くんに対する誹謗中傷が殺到していた。

 具体的には「死ねカス」だの「厨二乙」だの「週末ですねわかります(笑)」だの「こんなの書いてて何が楽しいの? バカなの? 死ぬの?」だの、数え上げれば切りが無い。

 だが、後半になるに連れて徐々に攻撃色が和らいでいき、代わって少しずつだが好意的なレスが増え始め、中には敬意や崇拝とも取れるようなコメントなども少なからずあった。

 中でも興味深いのが、


 今週は何処いずこを侵略なさいましょうか?


 というコメントだった。


 ん、今週?

「どうかしたかい、白魔はくまちゃん?」

 スクロールの手を止めて訝しげに眺めるあたしを見て、布良芽が問う。

「いや、この書き込みがなんか妙なんだけど」

「書き込み?」と眉をひそめる布良芽に、あたしはくだんのレスを見せる。

「なんだこいつ、自演乙とかじゃないのか?」

 いや自演乙って……仮にも一応教育の場に身を置く人間が口にするなよ。

「あたしも一瞬そう思ったんだけど、よく見るとアドレスが違うみたい」

「あ、本当だ。てことはアレか、思春期特有のシンパシーとか?」

「思春期=中二病みたいな言い方をしないでくれたまえ、二戸にのへ先生」

 思春期の代表として、あたしは抗議の声を上げる。

「そういえば、白魔ちゃんもそういうお年頃だっけねー。お姉さんは守備範囲広いからそういう子でもドンと来いだよ」

「そういうのは良いから、それより……共感者が一人でもいるというのが問題だ」

 ジェラートを一口くわえながら、あたしは目を細める。

「どういうことだい?」と布良芽。

「うむ、人の意思は伝播し易いからだよ。人間は共感を求める動物だからね」

「ヤマアラシのジレンマですかね」

 道家先生が、ぽつりとつぶやいた。その言葉を補足するように布良芽が返す。

「あれか、仲良くなりたいけど距離感がわかんなくて傷つけ合うってやつ?」

「この子の場合は少し違うかもしれませんけど」

「ま、似たようなものでしょう。おそらく、この魔王君は少なくとも自分に共感してくれる相手を求めている節があると思うけど……相手が必ずしも感化されたとは限らないがね」

 あたしがそう答えると、かぶせるように布良芽が言う。

「面白半分とか欲求不満の捌け口とか、そういうのが混ざってそうだよなー」

「ただこの場合、問題は同調者がいるという点なのだよ。一人でもそういうのがいれば、この輪に混ざろうという奴も現れる。そして、中には本当に共感している奴も含まれているかもしれないことだ」

「そうなると、どういう問題があるんですか?」と道家先生。

「同調者の中には過激な連中もいるでしょう。今はネットで下らない妄言を吐いているだけだが、誰かが一度でも火を点けたら暴走し出す恐れがあるという事ですよ」

「学校で暴動でも起こるとか?」

 布良芽の質問に、あたしは首を横に振る。

「その程度で留まれば、まだマシだろう。この書き込みを信じるならば、もっと危険なことを起こそうとしていても不思議ではない」

 そう言いつつも、実はこの時あたしは別の可能性に思考を巡らせていた。

 ネットを介して伝播する悪意。共感や同調による集団催眠効果。それが肥大化すると、不安や恐怖が政治や経済にまで影響を及ぼして暗い時代へと歩みを進める。

 そして、それらの事象の積み重ねで因果が巡ると災厄が起こる。

 災厄の要因は様々だが、大抵は人間が調子に乗りすぎたツケを払う形で起こる。

 ツケとは、搾取された側――人であったり、自然であったり――その報復に他ならない。

 なんというか、あたしにはこの「魔王」とやらが別の何かを引き寄せているように思えてならなかった。


 あの「カエル」のように――

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