十、闇の中の蛙、重力を知らず




「やっほー白魔ちゃーん、ジェラートもらいに来たよーん」

 そいつは突然やってきた。あたしと同じ白衣姿で。

「ふっ、布良芽ふらめ!?」

「あれえ、保健室の?」

二戸にのへ先生?」

艶女医エンジョイだ、艶女医せんせーキター!」

 突然の珍客を前に、あたしたちは口々に驚きの声を上げる。

「布良芽、科学室ここに何か用かね?」

「いやねー、昼休みまで待ちきれなくってさー。それに、何かすっげー後回しにされそうな予感がしたから」


 鋭いよね…………そういうトコだけは。


 にしても、間の悪いことこの上ない。

 あたしたちの眼前には、今も悪魔の如き巨大な蛙がふてぶてしく踏ん反り返っていた。


 何もこんな時に、このタイミングで現われてくんなよ。面倒くさい…………


「どうせ、先約わたしを差し置いて先に校長やスパルタカス辺りに配ってから、最悪『余んなかったー』とか言って激熱コーヒーを持ってくる腹だろー? バレバレなんだよー………………って、何このデカいの?」

 そこで布良芽の目が止まった。

 その先には件の化け蛙…………………………って、マズい。非常にマズいよ、そのパターン!

 蛙はといえば、ふてぶてしい表情でこちらを見ていたかと思えば、不意に飛び跳ねて彼女のほうを振り向いた。

「………………………………」

「………………か………………え………………る…………………………?」

 つぶやく布良芽。

 しばしの硬直。

 その表情は徐々に弛緩を帯び、プルプルと小刻みに震え始める。

 やがて、それが恍惚の相貌へと変わり、刹那――――――――――――


 白衣の袖口から、銀色に閃く白刃が飛び出した。


「ちょっ布良芽!」

「暇だったからジェラート作りの様子でも見ようと思って来てみたら、まさかの巨大蛙とご対面とは思いもよらなかったよ。酷いなー白魔ちゃん、わたしに内緒でこんな実験してたのかい?」

 愚痴を零す彼女の手には左右に四本、計八本のメスが指の間から伸びていた。


 はじまったよ…………こいつの悪い癖が………………


 彼女はナマモノ、取り分け蛙を見るとまっしぐらに解剖したがる奇特な性癖があったりする。

 もうこうなると、たとえ校長だろうが総理大臣だろうが大統領だろうが彼女を止めることは出来ない。ちなみに、大統領云々は例え話ではなかったりする。


 実は以前、某国の大統領がウチの大学のOBだとかで、来国の際に母校に立ち寄ったことがあったのだが、彼らがちょうど医学部の校舎を訪れた時のことだ。夫人の帽子に蛙が飛び乗って来て、ちょっとした騒ぎになったらしい。

 その時、偶然現場に居合わせていた彼女は、あろうことか夫人の帽子――正確にはその上に乗る蛙――に狙いを定めてメスを投げつけたのだ。

 メスが見事に飛び退こうとした蛙の横っ腹を貫いたから良かったものの、当然のことながら傍にいたSPが驚いて彼女の側頭部に銃を突きつけてきて、事態は一触即発。にもかかわらず、彼女はそんなことすらお構い無しにとそのまま蛙の解剖を始めたというのだ。

 これには流石の大統領も面食らうばかりで、言葉も出なかったらしい。


 本当、よく撃たれなかったね…………君。


 そんなクレイジーな過去を持つ彼女にとって、目の前にいるのが巨大蛙だろうと大蛇だろうと、なんのその。

「むしろ、ご褒美です!」とばかりに、瞳を爛々と輝かせて唇を舐める。

 ジリジリと迫りながら、両手のメスを弄ぶ彼女。固い金属の擦れる音が耳障りな鳴き声を上げる。そして、

「シャー――――っ!」と、まるで敵を威嚇する猫のような声を発して跳ぶと、彼女は横回転しながら標的へ向けてメスを全弾放った。

 脳天、前足と後足の足首、背中、膝と合わせて八本ものメスが蛙の身体に突き刺さる。

「おお、すげえええ!」という歓声と拍手で迎えられ、スタイリッシュな立ち姿で前髪を軽く払う、絶対カエル解剖するウーマン二戸布良芽にのへふらめ

「ふっ、これぞ東洋医学の真髄ってモンさー!」

 などと得意げにうそぶく彼女。しかし、


 今の曲芸、東洋医学ぜんぜん関係ないよね?

 保険医にまったく必要ない無駄スキルだよね?


『……………………………………………………くだらぬ』

 ぼそりと、そう蛙がつぶやいた。

「え、いまの誰?」

 布良芽が不思議そうに辺りを見渡す。

「そこにいる蛙だよ、二戸にのへ大サーカス」

 うんざりしつつも、あたしは目の前のそいつを指差した。

「へ、蛙?」と振り返る布良芽。その視線の先で――――


 蛙の身体に突き刺さっていたメスが、その身体の中へと沈んでいった。

 まるで、皮膚の粘膜に飲み込まれていくように。


「うっそーん! なにこれドッキリ? 特撮? CG? 立体映像? 実は気がつかないうちにバーチャルな世界に引き込まれてるとか?」

 混乱しているのかどうかは良く判らないが、思いつくだけの技術を片っ端から上げていく彼女。

『返すぞ』と蛙、下顎を膨らませて音を鳴らす。それは、鳴き声とも口から空気が漏れる音とも判別つかない、脳に直接響くような超音波にも似た音色で……


 超音波……………………………………………………はっ、まずい!


「布良芽! 今すぐそこを離れ…………………………」

 あたしが叫ぶ間もあればこそ、一瞬、蛙の身体が泡立って――――――――


 ――――刹那、緑色の身体から白銀の光刃が。蛙を中心に――――


 だめ、避けきれない。

 そう直感した瞬間、隣で何かが床に落ちる音がした。そして、


 脳に響くような硬い音と共に、銀の刃が床に跳ねた。

 内側から弾かれるように。


「へ?」と、あたしは間の抜けた声を上げる傍で「彼」は音も無く着地した。

 その手に長剣を構えながら。

「勇者くん!」

「ここはワタシに任せて、白魔さんは皆さんを頼みます!」

 そう答える「彼」の頭上では、宝玉がまばゆい金色に輝いていた。

星刻む天啓の神子カムイ=トワ=ヒャコレマか……邪魔をするなら、汝から喰らうぞ……』

「喰らう? アナタが、ワタシを?」

『………………………………なに!?』

「どうやらみたいですが、それはアナタとて同じことでしょう?」

『…………まさか、が話に聞く天帝の啓示オラクルブレスかっ!』

「ようやく、異界ここの環境にも慣れてきましたから……そろそろ頃かと思いましたよ」

 切っ先を蛙に向けながら、「彼」は威圧するように蛙に迫る。

 冷たい笑みを浮かべて。

 その相貌は険しく、金色の眼差しは鋭く、つい先刻さっきまでの「彼」とはのように思えた。

『くっ!』と漏らすと、蛙は全身に汗を流しながら体制を低く構える。


 あの体制……もしかして、逃げるつもり?


 なんとなくそうと決め込んで、あたしは人差し指で水晶石に触れる。

 そして、小さく呪文を唱えた。

光を飲み干す常闇よ天と地の狭間より来たれグラサ・ビヅチ・クラティ・ト

 言葉と共に水晶が金剛石ダイヤモンドの如き光を放った刹那、蛙の周りを覆う空間が捻じ曲がり、そこから全てを飲み込む闇が現れた。

『…………なんだ…………これは?』

 闇は、全方位から空間ごと圧縮するように迫る。

 蛙は身を震わせながら、押しつぶされるように徐々に身体を縮小させていく。

 そして、手のひらサイズにまで縮んだその瞬間とき、蛙が跳んだ。

 古池に飛び込むような気軽さで。

「んなろ、アレを避けるか? 高重力の闇だぞ!!」

『やはり面白いな……「下界」の人間よ……むしろ、我をして避けるに値する術が扱えることを誇るのだな……』

 宙を舞いながら、蛙が答える。

 そして、陽炎に包まれるようにその姿が揺らぎ、霞のように溶けて消えた。

「…………逃がしてしまいました」

 そう言って苦笑する「彼」の頭上で金色の光が消え、代わって宝玉に灯るのは七色の淡い光。

 その穏やかで愛らしい表情かおは、あたしの知っている平素いつもの「彼」だった。

 それを見て、なぜだかほっと肩を撫で下ろす。

 だが、気付いていなかった。

「彼」に対する生徒たちの好奇の視線に。

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