八、勇者の剣とカエルの正体




「皆さん、このカエルから離れて!」

 そう叫ぶと同時に、『勇者』は剣を抜いた。

 もちろん、が。


 て、あれ? 今「カエル」って言ったよね?


「彼」の世界にも、あたしたちの知っている蛙と同じ生物が存在しているということだろうか?

 それとも、生徒たちの話だけでということか?

『ゲロロ……ゲコ…………ゲコロロロロ……』

 蛙が、まるで「彼」に向かって話しかけるように鳴く。

 この音律、声調、それに…………ほんの一瞬だが、視界がブレた感じがした。

 あたしはふと気になり、ポケットの中に右手を突っ込んだ。

 中からコンパスを取り出すと、その針の動きを確認する。

 針は僅かばかり左右に揺れていた。

 蛙を中心に磁場が少しだけ乱れているみたいだ。

「やはりそうか……」と、つぶやくあたし。

 おそらく、あの鳴き声は特殊な周波数を持つ音を発しているものと思われる。

 あたしは、水晶石を擦り小さく呪文を唱えた。

風よ那由他より来たれシナト・バ・ソニコル

概念に働きかける言葉マギ・ヴェーダ・スクリプト」に応え、水晶石がまばゆい光を放った。

 水晶石を通して発した言葉は電磁の波に乗り、ある周波数の超音波へと分解トレース再構築コンパイルされ、物理の向こう側へと至る道を塞ぐ膜を突き破り、概念の内側へと侵入アクセスする。

 そして、呪文コマンドは水晶石を介して擬似的に接続された世界の法則ホストシステムを呼び起こし、ある一定の物理法則を変質させる。

 この場合、その変化は空気の振動――即ち、「音」に影響が及ぶ。つまりは、

『ゲロ……リ……んちょ……めまして、と言っておこう。星刻む天啓の神子カムイ=トワ=ヒャコレマよ』

「おい、いま喋ったぞコイツ?」

「カムイトワなんとかって……ひょっとして、カムイちゃんのことじゃね?」

「たしかに今、神依斗和かむいとわって言ってな」

「まさかカムイちゃん、この蛙野郎とお知り合いなの!?」

「このクソ蛙、俺たちのカムイちゃんを!」

「てかなんだ、ゲロリンチョめましてって?」

「チョメチョメしてじゃなかった?」

「なんか、いやらしい。やっぱ男子さいてー」

「チョメチョメの何がいけないんだよ」

「むしろ、チョメチョメでいやらしいって発想する方がいやらしくね?」

「ていうか、ゲロリンチョメって響きの方がやばいよなー」

 がやがやと、はしゃぎまくる生徒達。

 どうもこいつらには、緊張感ってものが欠如している気がするな……

「皆さん、早く離れて!」

 声を荒げて、一人真剣な表情で蛙に対峙する勇者くん。

 蛙の方は、何やら左右を見渡しながら舌すすりしている……って、おい待て。


 なんだ、そのは!?


 あたしは得も知れない不安に駆られながら何かを探すように見渡し、ぴたり。

 目先に光る凸型のガラス瓶を見つける。

 その先端には白く短い縄のようなものがあった。

 間に合うか?

 思案しつつ、あたしは再び胸の水晶石に指を当てる。すると、

『ほほう、結構あるな。あまり美味うまそうではないが、まあか……』

 電子的な音声で、蛙がつぶやいた。

「はあ? 何言ってんの、こいつ」

 如何にも傲慢な両生類の態度が癇に触ったのか、長い茶髪の少女が長机の上に置いてあったアイスピックで蛙を威嚇しようとした。

「迂闊に近寄るな、馬鹿者!」

 あたしの一括で、不用意に近寄ろうとした生徒の脚が止まる。

 その半歩手前の辺りを、一瞬赤い影が通り過ぎた。

 直後、手に持ったアイスピックの先端とワイシャツの胸元、そしてスカートの裾がポロリと溶け落ちた。


「え、ちょっと…………………………いやあああああああああああああああ!」


 自分の格好に気付いた途端、大声を上げて屈み込む彼女。

 しかも、例外なく髪やら顔やら全身がジェラートまみれになっているため、否応無しに男子たちの視線にさらされる。

「ちょっ、こっち見んな!」

「やべえ、これなんて保健体育?」

「ふっ、こういう授業なら毎日でも受けて立つぜ」

「男子さいてー、絶滅しろ!」


 君ら解ってる? 今って結構やばい状況なんだけど…………


 嘆息しつつ、あたしは指で水晶石を擦りながら小さく音を発した。

 そして、蛙の口が再び膨らんでいくのを目の当たりにする。


 やばい、来る!


 思うが早いか、蛙の口からしなるような動きで赤い影が飛び出した。

 生徒達の頭を目掛けて。

 その刹那、横合いから別の影が飛び出した。

 それが人と判別出来た時には赤い何かが天井近くを舞い、それがぽとりと地面に落ちる。

 ぬめった赤い切れ端が、活きの好い鯛のようにぴしゃりと音を立て飛び跳ねる。先端が二股に分かれたそれは――――

「やだ、気持ち悪い」

「なんだこれ?」

「舌です」

 生徒の問いに答えたのは、蛙と生徒たちの間を庇うようにして立っている「彼」だった。

 一振りの抜き身の剣先から、唾液のような雫が落ちる。

 それを軽く払い落とすと、『勇者』は真っ直ぐな金色の瞳で蛙を見据えた。

 しばらくして、落ちた舌の切れ端が霞のように淡く溶けて消えた。

 一人と一匹(?)の間に、張り詰めた冷たい空気が流れる。

 今だ――――


「退きたまえっ!」


 叫ぶと同時にあたしは、アルコールランプを蛙に投げつけた。

 それを見て、慌ててその場から離れる生徒達。


大気に眠れし荒魂よ原初の戒め解き放てカオキ・グシ・ツフレ・チア


 呪文と共に水晶石が閃く。

 刹那、アルコールランプの導火線に火がついた。

 しかし、蛙はそれを気にも留めずに口元を膨らませると、


 ぺろり。


 瞬時に長い舌を出し、なんと炎ごとアルコールランプを食べてしまった。


 この野郎、結構高いんだぞ、それ!


『面白い術を使うな、人間よ。褒美に我が真名を教えてやろう……』

 蛙は偉そうにふんぞり返ってから、こう名乗った。


『我こそは、ヨイ=ニグフルティス。魔宵の王メアロードが眷属なり』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る