七、ジェラート、爆ぜる……




 女子の悲鳴は、ちょうど窓際の席からだった。

 短いツインテールを跳ね上げて、咄嗟に持っていた真空パックを手放す彼女。

 宙に舞う透明な袋の中でブクブクと、まるで煮立ったスープのように泡を立てる淡い黄色の液体。

 その液体が歪に膨張を繰り返す。

 重力に従って床に転がる真空パックを指差しながら、女生徒はその場でへたり込むように尻餅を突いた。

「大丈夫かね?」と、あたしは生徒に駆け寄る。

「ひっ、ひっ、か、かか、かっかっか……」

 小刻みに震える少女の声が、嗚咽となって口から漏れる。

 介抱すると、余りの恐怖に錯乱しているのか全身が痙攣を起こしているのが判った。

 まずいな……

「そこの吉田くん、彼女を保健室に連れて行きたまえ!」

「は、はいっ!」

 あたしは近くにいた小柄な男子に指示を出した。

 指名された少年は、少し狼狽しつつも女生徒の傍に寄る。

 あたしと二人で彼女を起き上がらせると、彼はぐったりと垂れたその手を持ち上げて肩に抱える。

 女生徒は、肩を貸す吉田くんの胸元へ抱きつくように頭を埋める。

 その様子を見て、あたしは一言耳打ちした。

「ヒーローになりたまえよ」

「………………………………………………………………………………!!!」

 耳まで赤くして、気恥ずかしそうに俯く少年。

 いいねえ、初心な男子は。からかい甲斐があるというものだ。

 さて、

「一体何があった?」

 あたしは、近くにいる他の生徒に訊ねる。

「ジェラートの袋を氷に入れて置いといたら、なんか泡吹いてきたんで仁和にわさんがもう一度ストロー挿して空気吸ってたら、いきなり膨らんできて」

「白魔さん!」

 不意に、生徒の誰かが声を荒げた。

 振り向くと、件の真空パックが不定形な異形へと変動していく。


 やばい、このままでは…………………………


『全員、伏せたまえ!』


 あたしは、水晶石を指で撫でながらで叫ぶ。


 刹那、ジェラートは爆発した。


 淡いクリーム色した液体が、近くにいた生徒達(男子含む)の顔や制服へ盛大に飛び散った。

 もちろん、あたしや安倍さん、勇者くんにまでその残骸が降りかかる。

「いや、ちょっと汚なーい」

「なに、この白い液体!」

「ケ○ィアです……あ、違った、ジェラートだ!」

「ううっ……わたし、汚されちゃったよ…………もう、お嫁にいけないっ!」

「戯れはその辺にしときたまえよ」

「白魔さん、あれ!」

 叫ぶ勇者くんの指先で、淡い黄色の液体がぽたりと落ちる。

「転校初日で、ぶっかけヒロインに変身だと!?」

「誰だ、俺たちのカムイちゃんを汚しやがったのは!」

「ああ、カムイちゃんの綺麗な体に白濁の液体が!」


『おい俗衆ぞくしゅう、少し黙れ!』


 静まり返った科学室で、あたしは改めて「彼」の指差す方に視線を向ける。

 その先には、破裂したビニールの破片をかぶった何かが、小さく蠢いていた。

 そのシルエットは、左右で膝を曲げながらしゃがみこみ、頭の上に飛び出た目玉は左右に広がり、その瞳はまるで眠っているような横線で……


 あれって、まさか…………


 そして、つやつやした光沢ボディのそいつが、口元を膨らまして鳴いた。

『ゲコっ』と。


「うぷっ!」

 その鳴き声に反応して、短いツインテールが跳ねた。

 そして抱きついたまま少年の制服の襟を開け、


「おえええええええええええええええええええええええええええええっ!!!」


 そのまま嘔吐した。


「ひぃっ!」と思わず身を怯ませる彼。

「おい、仁和が吉田に吐いたぞ!」

「やべえー、汚えー、えんがちょー」

「だからなんなんだよ、えんがちょって」

「やだ、大丈夫」

 周囲からの痛々しい視線を真っ向から浴び、少年は硬直したように立ち尽くす。人間の「闇」を垣間見た瞬間だった。

「ご、め……」

 少年にしがみ付きながら、彼女は小さく何かを呟いた。それを聴いてか、

「……………………るせーよ………………バーカ…………」

 彼は、少女の頭を胸に押し付けたまま思いっきり抱きしめた。

「おお、吉田すげー! ゲロごと抱いたぞ」

「やるじゃん、お前」

「やだ、かっこいい」

 良くわからないムードに包まれながら、少年はヒーローになった。


『ゲコっ、ゲロロロロ…………』


 再び、その鳴き声が空気を一変する。

 先刻さっきあたしが幻視したのは、恐らくコイツだろう。

「蛙?」と安倍さん、首を傾げて腕を組みながら顔に付いた液体を指で拭いては、それを美味しそうにしゃぶり尽くす。

 この状況に物怖じしないとは、末恐ろしいスイーツだ。

「白魔さん、どうするの? この子」

「どうするも何も、追い出すしかあるまい」

 さも当然のように、あたしが答えるその脇では、

「ちょっと誰よ、蛙なんて持ってきたの!」

「しらねーよ。てか、何で俺らに言ってんだよ」

「男子しかいないでしょ、こういう低レベルな悪戯するの!」

「ふざけんな、こんな小学生みたいな真似するかよ!」

「じゃあ、だれがやったっていうの?」

「むしろ、女子の方が陰湿なイジメ得意だろ?」

「何よそれ、むかつくー!」

「あん、やんのかコラ?」

「上等だー、やってやんよクソ男子!」

 まったく、このバカどもは…………

 売り言葉に買い言葉とは、よく言ったもの。

 濡れ衣を着せられて男子がブチ切れ、女子も陰湿だのと罵られて激昂する。

 その様子を冷静に見守るのは、あたしと勇者くん、スイーツ以外は眼中に無い安倍万里子あべまりこ、ヒーロー吉田くんとそのヒロイン仁和さん。そして、


 すべての元凶ともいえる、大蛙おおがえるだった…………って、


「なんか、大きくなってない?」

『ゲロロロロロロ…………』

 全長約50センチはあろう蛙の禍々しい鳴き声は、その場にいる全員を一瞬にして凍りつかせた。

「おいおい、コイツ本当に蛙なのか?」

「なんかのモンスターじゃね?」

「あれか、『トラクエ』に出てくる奴か?」

 ざわめく生徒たちを余所に、蛙は更なる膨張を始めていた。

 ちなみに『トラクエ』とは、『トラウマクエスト』というロールプレイングゲームの略で、かつて学校や会社をサボって買いに行く人が続出したという伝説を残した人気シリーズだ。名前の通り、シリーズを重ねるごとにトラウマが増すシナリオとしても有名である。


 もっとも、あたしたちからすればまさにトラウマに成りかねないんだが。


 さて、その蛙である。

 その膨張は留まるところを知らず、今や1メートルを越して肥大していた。

 そして、奴はぎょろりとこちらの方を向いた。

 いや、正確にはあたしの隣にいる「彼」の姿を?


 そして、奴の視線の向こうで「彼」の頭上に輝く宝玉が赤く点滅した。

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