五、ふしぎな科学の理念と概念
職員室から科学室までの道程は約五分。
この廊下を出て二階に上がり、職員室のある本館と科学室のある別館とを結ぶ
本来なら予鈴前には到着してないといけなかったが……仕方が無い。
あたしは歩きながら機材を脇に抱えつつ、右の指先で胸元にぶら下げた水晶石に触れると、小さく「
『
言葉に呼応するように、ダイヤの如き煌めきが水晶の内側から解き放たれる。
視界がぼやけるような感覚に襲われそうになるのも束の間、まるでトンネルを抜けたみたいに目の前に見知った風景が飛び込んできた。
「着いたぞ、諸君」
「ほろ?」と間の抜けた声を上げる
「着いたって、まだちょっとしか歩いてないような……」
そう言いながら、彼女は目先のプレートを確認すると、
「あ、ホントだ」と瞬きしながら、きょろりと首を左右に振る。
「気持ちの問題だと思いたまえ。普段はあっという間に着く距離でも、焦るとやたら長く感じることがあるだろう。なら、その逆も然りだ」
そう言いつつも、実は結構焦ってたんだけどね。あたしは。
「そんなもんかなあ」
「そんなモンさ」
嘯きながら、あたしは荷を降ろして白衣のポケットを弄ると、煤けた銅の鍵を取り出す。
そいつを入り口の鍵穴に挿し、カチャカチャと固い音を立てながら数回左へ回し続ける。キュッという滑りの悪そうな音が鳴るのを聴き、そこで鍵を引っこ抜く。
ガラガラとドアを開けると、見慣れた景色が視界に現われた。
ああ、やっぱりここが一番落ち着く。
あたしは再び機材を抱えながら、
教卓に機材を置き、ふと後ろを振り返る。
そこには、うっすらと消え残った数式の跡があった。
「白魔さん」
呼びかける勇者くんの表情は、遠いどこかへ想いを馳せているように見えた。
おそらく「彼」が「一緒に行きたい」と言った理由も、この場所にあったのかもしれない。
「彼」がこの世界に呼ばれて、始めて踏み入れた場所なのだから。
あたしは眼を瞑り、静かに深呼吸をしてから一言告げた。
「さて、他の生徒たちが来る前に、早いとこ準備を済ませようではないか」
「はーい」と二人は元気良く返事すると、真っ先にクーラーボックスを開けようとした。
「おっと、そいつは生徒たちが来てから自分たちで取りに来させるように」
「あ、そっか、氷が入ってるんだもんね」
安倍さんが言うのとほぼ同時に「彼」の宝玉が「白」く点灯する。
「まずはコイツからだ」
あたしは運んできたダンボールを開けると、中からタライを五杯分ずつ二回に分けて出した。
「さあ、これを各席一杯ずつ配置したまえ」
あたしの指示に従い、生徒二人は両端から手分けしてタライを置き始める。
「フラスコは席の右。で、ビーカーは左側にそれぞれ並べるように」
手際よく機材を並べる二人。
あたしはあたしで白いチョークを掴み取り、黒板にこう書き記した。
魔女のかがく講座13
今日から、あなたも一流パティシエ?
ちょーかんたん魔法のジェラートをつくろう(実習編)
~気になるアイツの唇を……ジェラートで埋め尽くしてやるんだから~
「…………白魔さんって、こういうタイトル付けるの好きだよねえ」
安倍さんがビーカーを並べながら、何か含むような言い方をする。
「何事にもこういった遊びを入れる余裕が必要なのさ。昔からよく言うだろう、ただ『知る』だけでは『好き』には敵わず、ただ『好き』なだけでは『楽しい』には敵わないってね。世の中楽しんだモン勝ちってワケだ」
「仔牛さんだっけ?」
「孔子だな。なんか君の呼び方だと、昼下がりに荷馬車に揺られて市場へ売られていく方を連想するが、気のせいか?」
言いながら、あたしは流れるような手つきでチョークを走らせる。
「あはは……えっとこれがレシピだね」
などと図星を付かれてか、笑って誤魔化す彼女。
「なになに、牛乳350グラム、砂糖200グラム………………ん? 高麗人参が二本と、アンモニア? 石灰1.5グラムとタウリン800ミリグラム、硫黄大さじ二杯に優しさ半分、塩を中さじ三杯…………って、これ本当にジェラートの材料? なんか変なの色々混じってない?」
「ああ、そいつはただの
「げっ、トラップとかアリなの?」
「もちろん」とニヤリ、あたしは戦慄する女生徒の反応を見て満足げに言う。
「ただ教えられた通りの
そこで粗方書き終えたので、あたしはチョークを置いて向き直る。
「人間は自律思考が出来る生き物だ。ロボットなんぞに成り下がってどうする? 最近は人工知能の開発も進んでいるから、人間が要らなくなる時代がすぐそこまで来てるかも知れないし、それに乗っ取られる可能性とて決して低くは無い。そんな結末を自分たちの手で無邪気に推し進めているのだから滑稽だろ? もう『SFの世界では済まされない
「それでトラップ?」という安倍さんの言葉に、あたしは「そう」とうなずく。
「どうせ科学を教わるなら、科学の使い方を学ぶべきだ。『自分の頭で考える』ことが科学の本質だからな。いや、これは科学に限らず学ぶこと全般に言えることかな」
「ふうん、ちゃんと考えてるんだね」
「どういう意味かね?」
「いや、てっきり単なる悪ノリかとばっかり」
「失礼だな君は」と言いつつも、あたしは笑う。
「まあ、準備を手伝ってもらったから不問にしといてやろう」
「もしかして、今のがボーナス?」
「いや、手伝ってもらった分のボーナスというなら
「トラップだったら、マリちゃんの実力でしょ?」
「もし、あたしが否定したら君はどう思ったかね?」
「う、なんか卑怯だそれ…………」
「卑怯も
「おっ、とても同い年と思えない発言ですなあ。流石は教師と言ったところか」
「君のそれは、尊敬しているのかバカにしているのか解り難いな」
などと話し込んでいるところへ、ざわざわと廊下側から別の話し声が近づいてきた。
ああ、そろそろ生徒達がぞろぞろ入って来るな。
あたしは、ちらりと黒板の上に架けられた丸時計に目をやる。
その時、季節から取り残された蛙が一匹、窓の外で小さく鳴いた。
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