四、ジェラートと校長とスパルタカス


 職員室へ入ると、人工的な冷風が身体を通り抜けた。

 体感で二十四度くらいか。

「少し、冷やし過ぎではないですかね?」

「ええ、カーディガン着とかないと風邪ひいちゃいそうですね」

 あたしの漏らした一言に、道家みちいえ先生もうなずく。

「ただ、男の先生もいらっしゃるから、仕方無いのかも知れませんけど」

「いや、極度な温度変化は身体に悪いですよ。いくら人間が恒温動物だからって、体温調節機能にも限界値がありますから」

「まあ、そうですね」と、半分聞き流すように返す彼女。

「特に高齢者のいる職場では……」

「先生」と、そこで後ろから声をかけられた。

「あ、校長……先生。お、おはようございます」

 高齢者代表の校長が入ってきた。御年六十歳。いわゆる、還暦というやつだ。

 隣で、道家先生も軽く会釈する。

「はっはっは、もうお昼前ですよ。それより、高齢者がどうかしましたか?」

「いえ、ただ空調を少し弱めた方が良いと思ったもので」

「ああ、それでですか」

 校長は、その一言だけであたしの言わんとすることを汲み取ってくれた。

「たしかに、少し肌寒いですねえ」

「校長先生!」

 話しこんでいるところへ、野太い声が横手から割って入る。

「ああ、高鷲たかす先生」

「わざわざ職員室に来られなくても、こちらから伺いましたのに」

 少し慌てた様子で寄ってきたのは、高鷲昴たかすすばるという体育教師。

 スポ根漫画の影響なのか、やたらと熱血指導をしたがる彼に、付いたあだ名はスパルタ教師高鷲――通称『スパルタカス』などと呼ばれている。

 端で見ている分には面白い先生だが、実際に指導を受けるのはウザそうだ。

 体格のせいも相まって、普段は職員室でもかなりの威圧感を放っている。

 そんな彼も普段の雰囲気はどこへやら、校長の前では終始低姿勢である。


 ああいう大人には、なってはいけないな……のいい見本かも。


「校内を散歩したついでに寄ったまでですよ。それに、職員室の様子もたまには見ておかないと」

「では、あちらへ」と、がっちりした体格の高鷲先生が校長を会議卓のある方へと案内しようとして、

「ところで、ここの空調少し低過ぎやしませんかね?」

 校長がさらりと告げた。

「あ、申し訳ありません。すぐ上げてきます」

 注文を受けて、大柄な体育教師は急ぐようにエアコンへと向かう。

「では、校長先生。私たちも授業がありますので」

 言って、朗らかに笑う道家先生。

 相手が校長であろうとなんだろうと、その身にまとう柔らかな雰囲気オーラが崩れることなどは一切ない。

 先刻さっきのスパルタカスとはえらい違いだ。

「はい、頑張ってくださいね」

「はい」と、あたし達は一礼して席に向かった。




「おや?」と、あたしは自分の席の前に立つ二人を見て、声をかける。

「どうかしたかね、安倍さん……と、勇者くん?」

 三時限目終了のチャイムと共に、早速駆けつけてきたのだろう。

 どうやら、次のジェラート実験が待ち遠し過ぎて仕方がない安倍万理子あべまりこと一緒に、なぜか「彼」も付いてきたようだ。

 ああ、確か「彼」も一応興味を持っていたっけ。

 頭に乗せた冠に埋め込まれた宝玉は「黄」、つまり今の「彼」は「好奇心」に満ちている。

「白魔さん遅ーい、マリちゃん待ちくたびれたよ」

「こら、先生でしょ?」と、可愛い口調でたしなめる道家先生。

「はあい、先生」

「それはともかく、先回りしてここに来たということはかな?」

「いいよ。ジェラートのためなら、たとえこの身が……いや世界が滅びようとも悔いは無いっ!」

 ぐっと胸の前で拳を握りしめる女子校生に、世界の滅亡と天秤にかけられるジェラート様。


 スイーツ、恐るべし。


「では、そこのクーラーボックスを運んでもらおうか」

 あたしは中にパック氷がたんまり入った横幅1メートルの青い長方形の箱を指差し、ふと、

「……本当は、男手も欲しいところだが…………」

 あたしはちらりと目端で「彼」の方に視線を送る。

 おそらく「彼」なら、この程度は楽に持てそうな気がする。なんとなくだが。


 見た目は細身の女の子みたいな「彼」だが、背中に差した剣は別に伊達なんかじゃないだろうし、あんな大物振り回す腕力から考えればむしろ軽い方じゃないだろうか。夢で見ただけだけど……

 それでも、面と向かって頼めないのには理由がある。

 それは、今の「彼」が一応「女生徒」ってことになっているからだ。


 あたしが悩ましげに思考を巡らせていると、視線の先で「彼」の頭上に輝く宝玉が「白」に変わった。

 どうやら、何かを「理解」したらしい。

「じゃあ、ワタシが運びますよ」

「え、カムイちゃん持てるの?」

神依かむいさん、無理しない方が良いですよ」

「彼」の正体を知らない二人が止めに入る。が、

「平気です。こう見えてもワタシ、鍛えてますから」

 そう言うと、親指を立ててウィンクする勇者くん。

 馴染んでるなあ、まるで元々この世界にいた人間みたいだ。

「じゃあ、お願いしても良いかね?」

 あたしは、少し白々しいと思いつつも頼んでみる。

「はい、任せてください!」

 張り切って答える勇者くん。

「いい子だねえ、マリちゃんますます好きになっちゃうよお」

「神依さん、重かったら言って下さいね?」

「大丈夫ですよっと」

 言いながら「彼」はベルトを掴むと、クーラーボックスを軽々と持ち上げて肩にかける。

「すっごい、カムイちゃん! もしかして実家はラーメン屋か何か?」

「えっと、実家は酒場ですけど」

「酒場って、ゲームとかで序盤に仲間を探すトコ?」

「居酒屋さんでしょう。まあ、高校生はまだ知らなくて良い場所ですけど」

 訂正しつつも、教科書通りのコメントを漏らす高校教師せいしょくしゃ


 でも多分、だと思う…………ていうか、酒場の子だったんだ…………勇者くん。

「そっか、じゃあカムイちゃんお酒強いの?」

「こら、安倍さん。未成年がそういう話をしてはいけません!」

「いえ、良くわからないですけど……ワタシは年に一度しか飲みませんから」

「あ、それお神酒みきとかお屠蘇とそってヤツでしょ? マリちゃんもそれくらいなら飲んだことあるよ」

 自慢げに言うが、そんなモンあたしでも飲んだことあるから。

 ちなみに、あたしは本場のシャンパンも体験している。どうだ、あたしの方が経験値高いぞ……いや、不毛過ぎるな、この争い。

「お神酒といえば安倍さんのお宅は、確か有名な陰陽師の家系でしたよね」

 おそらく、京都にある有名な神社をイメージしてだろう。道家先生がたずねた。

「――の、傍系の末席の家系だから、ぜんぜん大したトコじゃないけどねえ」

「オンミョウジ?」と、その言葉を知らない「彼」が小首をかしげる。

「陰陽師というのは、大昔の易者だ。もっと正確に言えば科学者かな」

「え、魔法使いでしょ?」と、あたしの言葉にその末裔が疑問を投げる。

「魔法使いだよ。そして科学者だ」

「言ってる意味がわかりませんが……」

 道家先生が困った顔で返す。

「魔法使いってのは、昔の科学者の蔑称みたいなモンさ。彼らはあくまでこの世界の謎を科学的に解明しようとしただけだからね。宗教がそれを忌み嫌ってそう呼んだのさ」

「なんか、白魔さんみたいだねえ」

「何が?」と、あたし。安倍さんのつぶやきに反射的に問いを返す。

「科学者なのに魔法使いってトコが、なんか白魔さんっぽい」

 実にスイーツらしい回答をありがとう。

「さて、そろそろ時間ですよ」

 道家先生が促すと、直後に予鈴がなった。

「お、いかんいかん、つい話し込んでしまったな。二人とも、科学室までダッシュ!」

「ダメですよ、廊下は走らない!」

「はーい」と、道家先生に注意されて返事する未成年三人。

 あたし達はぞれぞれに機材を抱えて、席を発った。そこへ、

「あ、白魔くん!」と、野太い声に呼び止められる。

「あの、何でしょう高鷲たかす先生」

「ウチの生徒から訊いたぞ。今、ジェラート実験やってるんだってね?」

「ええ、まあ」

「余ったら、僕と校長の分もお願いね」

「…………………………ええ、じゃあ余ったら」

 ジェラート様、大人気だな。おい。

「ああ、これ以上注文増える前にとっとと行くか」

 そうぼやくあたしのことを不思議そうに見る「女生徒」二人。


 すまん布良芽ふらめ、君の分なくなるかも……


 あたしは優先順位が最も低い友人に、心の中で謝罪した。

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