四、魔女は空飛ぶ魚の夢を見るか
「もう……毎度毎度、生徒たちに変なこと吹き込まないで下さいよ。先生」
一緒に廊下を歩きながら、道家先生は開口一番あたしに苦情を漏らした。
「事実だから仕方があるまい。それより、無理に鼓舞して生徒が重圧で押し潰されたりしたら元も子もないでしょう」
「ゆとりの時代は終わったんですよ」
「ああ、あの偏った教育制度か……あれはそもそも根本的な誤りを正さずに上辺だけ欧米教育をなぞっただけという、島国特有の悪癖そのものが起因している。まったく、この国は大昔からちっとも変わらないな」
「いや、あの、私が言いたいのは……ゆとり教育のように生徒を甘やかし過ぎては学力に差が生まれるのではないかと……」
「差が出るのは、個々での性質の問題です。だが、科学が示す通り、同じ属性のものからは同じ結果が生じるものですよ。人間という大きな枠で考えれば、個人の格差など大した問題ではないでしょう」
「大した問題ですよ。それで将来が決まるといっても過言ではないんですよ?」
「それは大人が決めた格差でしょう。『個人の資質を伸ばそう』だの『子供の可能性を広げる教育』だのと謳いながら、大人の作り上げた価値観で彼らを仕分けして、朱に交わらなければ差別する。それが根本的なこの社会の問題なのだが、ゆとり教育とやらはその最たる例ではなかったでしょうか?」
「それは……だからこそ、これから未来を背負って立つ子供たちのために少しでも差を縮められるような教育方針に変えていかなければ……」
「それが結果として『未来を背負って立つ子供たち』とやらを惑わしているのではないでしょうか?」
「えっと、あなたも一応その『子供たち』の一人なんですけど……」
「あたしは一般の教育課程など、とうの昔に飛び越えてしまっていますが?」
そう、あたしは実はこの学校の生徒ではない。
ならば何者かと問われれば、ここで教鞭を振る科学教師だったりする。
「わずか十五歳で博士号を獲得した天才科学少女だからですか? でも、私から見ればまだまだ世間知らずな子供です。大人の世界はね、あなたが思うほど単純でもないんですよ」
嘆息交じりに彼女が何やら苦言を漏らす。
「別に単純とは思ってなどいませんよ。むしろ、大人たちが社会の仕組みを複雑にしすぎているようにすら見受けますが」
「どういうことです?」
「わざわざ不必要に法制度などを改正して、余計なしがらみを増やしているように思えて仕方がありません」
「時代が進み過ぎたんですよ。情報技術が発達したことで個人のプライバシーが脅かされるようになったりサイバー攻撃などのネット犯罪が数多く発生し、安心して暮らしていけない
そう答える道家先生の口調は、どこか嘆いているようにも聞こえた。
「それは面白くないですね」
「そうですね」
あたしのつぶやきに同意する彼女。恐らく彼女は「現代の社会」が面白くないと思っているのだろう。だが、あたしは仕方がないと言って簡単に諦める「大人たちの姿勢」が面白くないと言った心算だった。まあ、彼女の言うようにあたしが「子供」だからそう考えるのかも知れないが。
ふとそう思いながら、窓の外を見る。
校庭ではあたしと同年代の生徒たちが体操着を着て集合しようとしている。
もう一時限目が始まる頃だな。
空は澄み渡るような青で満たされ、薄ら雲ひとつない。
そんな青い空の海原を一匹の魚が泳いでいた。
ん? 魚?
そう、魚だった。
鯉くらいはあるだろうか、その魚がゆらゆらと風に舞うように空中遊泳をしている場面を幻視したようだ。
眼鏡を外して瞬きを繰り返してから、再度眼鏡をかけて外を見る。
しかし、探せど探せど、そいつの姿はどこにも見当たらなかった。
「ふーむ、少し寝不足が祟ったか?」
「どうかしましたか?」
「いや、一昨日ちょっと徹夜したもので、昨夜も二時間程度しか寝てなかったから変な幻覚でも見たのでしょう」
「一昨日と言えば、確か当直の日でしたか。土曜日なのにお仕事お疲れ様です」
まあ、実際のところ別の目的も兼ねてたので、むしろ好都合だったりする。
「取り敢えず、授業の前に少し保健室で休んでいかれた方がよろしいでしょう」
「そうだなあ……四時限目まではまだ時間があるし。では、少しだけ仮眠をとらせてもらうとしますか」
「お大事に」と笑顔で見送る道家先生に、あたしは軽く会釈して保健室へと足を向けた。
しかし、この時感じた奇妙な違和感を、あたしは軽く流すべきではなかったのかもしれない。
それこそが、「あの事件の些細な
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