第二項 真理と物理の袂が別れしワケ

一、遠き世界のプロローグ




 朝の保健室は冷たい静寂に満ちていた。

 薬品にまみれた室内へ入ると、その狭さのせいもあり科学室とは比べ物にもならない刺激が鼻先をぎる。

 ああ、なんとかぐわしき匂いなんだろう。

「やー、白魔はくまちゃん。早速、今日も仮眠サボリに来たのかい?」

 あたしと同じく白衣を着た女が、足を組んだ姿勢で椅子に腰を掛けたまま声をかけてきた。

「おはよう、布良芽ふらめ。悪いが二時間ほど使わせてもらうよ」

「おー、今日は四時限目からかー」

「まあ、月曜の朝から科学の講義などやっても頭には入らないだろう?」

「相変わらず、ストレートな物言いが出来ないね。きみは」

「布良芽よ、あたしがそういう性質たちなのは君も知っているハズだろう」

 彼女にそう答えると、あたしはふらりと歩きながらベッドを目指す。

「それはどうでも良いけど未成年、同期とはいえ仮にも年上なんだぞー。職場では一応、敬語を使いな。それが大人の作法ってもんだよ、白魔ちゃん」

「ふぁ~い、分りました。他の先生方の前ではちゃんと使いますよ、二戸にのへ先生」

 後ろ手に手を振りながら、あたしは白衣を脱いでそのままベッドの中にもぐりこんだ。

 しばらくして心地よい電子の波が脳漿のうしょうを駆け巡り、あたしの意識はまどろみの中へといざなわれていった。




 光が幾重にも重なり、まばゆくも透き通るような白へと収束していく。

 無限に等しい時を流れる精神こころは、やがて一つの世界へと辿り着く。


 そして、視界に現れたのは「彼」だった。


 いつもの丈の少し短めな紫の法衣の上に真紅のマントを羽織り、その背に長剣を差した格好で「彼」はそこにいた。


 周りにいるのは、おそらく「彼」の仲間だろうか?


 屈強の戦士というフレーズが似合いそうな筋骨隆々な大男。

 肩に担いでいる巨大な刀は一振りで軽く2メートルくらいは薙ぎ払えそうだ。


「彼」の隣で腕を掴んでいる少女は、おそらく巫女か神官だろうか。

 純白の法衣に身を包み、その豊満な胸元には五芒星と思しき星型のペンダントをぶら下げたロザリオが輝いていた。


 そのほかに、杖を突いた賢者と呼ばれていそうな老人や妖艶な美女などの姿もあった。


 そして「彼」らの正面に座する強大な闇の巨人シルエット――――

 それは、中心にあかい光を一つ妖しく瞬かせ、「彼」とその仲間に何かを語っているようだった。


『よくぞ参った、脆き存在いのちあるものよ。我が座にまで辿り着くとは……よもや思いもよらなんだ。これは、ささやかな褒美ぞ。受け取るが良い……』


 そうのたまった「それ」は、彼らの前にその手をかざした。

 その指先から紅き閃光が放たれた刹那、「彼」を除く

 その欠片すら遺すことなく。


『…………な…………にを……し…………た………………?』


 一瞬の出来事に「彼」は戸惑いを隠せずにいた。その証拠と言わんばかりに、頭上の宝玉が「紫」に点滅している。

 だが、それが「赤」に変わった途端、「彼」は背中の剣を抜き放った。

 その様子を見てか、「闇」はわらう。


『汝も、後を追わせてやろうか? ………………追えるならばな…………』


 月並みな台詞だが、目の前で仲間を消された「彼」に取ってはその言葉だけでも十分な力を持っていた。

 しかし、「彼」は地を蹴った。

 長剣を振りかぶり、眼前の「闇」を討ち払おうと飛び掛る。

 閃く白刃が、その頭上から振り下ろされた。

 一瞬、時が止まって見えた気がした。

「闇」の指先から紅い妖光が膨張し、「彼」の全身を飲み込もうとする。


 やめ――――――――――――――――――――――――――――――


 その瞬間、あたしの意識が弾けた。

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