第二章 入塾(ニュウジュク)  2 陽花

「さて、いきなりですがここで問題です!」

「えっ?」

 教職員室内に招かれた優梨と陽花は、宮田先生から突然問題を突き付けられた。陽花は思わず動揺してしまった。

「王様の前に千本のワインがあって、そのうち一本だけは毒入りだということが分かっています。今から24時間以内にどれが毒入りのワインなのかを特定するためには、最低何人の奴隷が必要でしょうか? ただし、毒入りのワインを一滴でも飲むと、10〜20時間で死にます。毒入りのワインは見た目も重さも香りも他のワインと全く一緒です」

 いきなりの問いに、陽花は驚かざるを得なかった。この問題が解けないと、ひょっとして下位のクラスに落とされるのだろうか。

「はい」横にいる優梨が手を挙げた。

「はい。質問ですか?」

「いえ、答えが出ました」

「え、嘘!?」陽花は驚いた。挙手までにかかった時間は五秒ほどだろうか。宮田先生も目を丸くしている。

「あ、待って大城さん、まだ言わないで。河原かわはらさんは?」

 河原というのは陽花の苗字である。

「いえ、まだまだ考え中です」

 陽花は焦ってきた。優梨の出した解答が分からないが、そんなに数秒で導き出せるものだろうか。いや、しかし優梨は名門滄女でトップを争う超天才だ。自分と比較してはならない。比較してはいけないと分かりつつも焦ってしまう。

「えっと、千本のワインがあって、それを飲んで死ぬかどうかが分かるのは10時間ないし20時間。うまく10時間で効果が出れば、24時間中に一人当たり二本まで飲める計算になるけど」

「あ、ちなみに、毒入りワインを飲んで死ぬまでの時間では、飲む人によって異なるものとします」宮田先生から条件が追加された。優梨は表情を変えない。

 ということは、最長20時間かかる場合もあるかもしれない。遅い時間に飲むと24時間経過後に死んでしまう可能性もある。だから一人当たり一本までしか飲めないということになるのか。それではどうやっても1000人必要になるではないか。

「えっと、奴隷一人当たり24時間中に一本しか飲めないので1000人必要になってしまうと思います」自信なさげに陽花は答えた。

「分かりました。大城さんの答えは?」

「最低10人いれば特定できると思います」言下に優梨は答えた。

「10人!? 何で? 一人当たり一日に百本のワインを飲むの? その日のうちに結果出るわけないじゃん!?」陽花は優梨の出した解答の理屈がまったく分からず、思わず疑問の声を上げてしまった。その声が思いのほか大きかったらしく、他の教職員がこちらを見る。

「す、すみません」陽花は恥ずかしくなり頭を下げる。

「まぁ陽花、聞いて。理屈はとっても簡単だから」優梨は言いながら紙とボールペンを先生に借りて説明する。「例えば、ワインが四本の場合。それぞれのワインにA、B、C、Dとマークをつける。その場合は二人で大丈夫なの。奴隷XがAとBのワインを、YがA、Cのワインを飲むことによって特定できるわけ。つまり、X、Yが両方死ねばAに、Xのみ死ねばB、Yのみ死ねばC、両方生きていればDに毒が入っていることになる。要するにワインの本数が、奴隷の人数分の桁数で表される二進法の数以内であれば良いの。千本のワインの場合は最低10人で足りるというのは、二進法で1111111111というのは2の10乗で1024を表すから、1024本のワインまで特定可能なの」

「あー、あーあー、なるほどね!」ちょっとの間を置いて、陽花は納得した。

「さすがね、大城さん」宮田先生は感心した様子で言う。「初等部でかつて名をとどろかせた大城さんの天才頭脳は今も健在のようね」

「初等部?」

「あ、うちの予備校は初等部、中等部、そしてあなたたちのいる高等部とあるのよ。大城さんは中学受験のときにうちの初等部に通ってくれていたんだけど、テストはほとんど百点満点だったのよ。間違いなく当時学年でトップの成績で、職員の間でも神童と話題になったわ。中学入ってからは予備校をいったん辞めたから分からなかったけど、高等部の今年の入塾者の一覧にあなたの名前を見たから、呼び出したのよ。ちなみに大城さんの入塾テストの成績は全体でトップでした」

 優梨が中学受験のために千種進学ゼミに通っていたことは知らなかった。陽花は、小学校時代は違う学習塾に通っていた。

「そうなんですね。アタシが呼ばれたのは何故ですか?」

「あ、ちょっと待ってね。順に説明するから」そう言って、宮田先生は一旦陽花の話をさえぎって続けた。「えっと、うちの予備校の各クラスにリーダーがいるの知ってる?」

「いいえ、知らないです」と、陽花が言うと同調したように優梨も首を振る。

「各クラス、大体30〜40人くらいのクラス編成になっているんだけど、うちではその中から一人ずつリーダーを任命して、生徒の統率と先生と生徒との架け橋役をお願いしているわ。志望校は違えど、大学受験という大きな夢に向かっている同志だから。できることなら誰一人取りこぼしなく合格へ導いてあげたいの。でもマンツーマンの体制ではないから、中には講義の内容についていけない人たちもいると思うし、質問しづらい生徒もいる。クラスメイト同士のコミュニケーションが図れずに孤立してしまう生徒もいるから、そういう人たちへの架け橋役になってもらうのがリーダーよ」

「そうなんですか。知らなかったです」

「そして、そのリーダーの役を大城さん、副リーダー役を河原さんにお願いしたいわけ!」

「ちょっと!?」陽花は待ったを掛ける。

「どうしたの? 河原さん」

「優梨は……いや、大城さんは学校でも常に一位か悪くても二位をキープしている天才だから間違いなく適役だと思うんですけど、アタシはEHQクラスに入れたのはまぐれで、どっちかというとむしろ講義についていけなくて孤立してしまう生徒の最有力候補ですよ! アタシでは務まりません!」陽花は驚きのあまり若干感情的に主張した。

「大城さんはどう思う?」

「私にできることなら精一杯リーダーを頑張ってみようと思います。私に務まるかはやってみないともちろん分かりませんが。ただ、河原さん本人はそのように感じていないと思いますが、河原さんのリーダーの適性は私以上に高いのではないかと思っています」

「ええっ!? 優梨っ、何言ってんのよ!」

「だって、私は確かに成績の良い方かもしれませんが、それだけで人間として優れているとは言えません。正直、先人たちの伝記を読んでみても、天才と呼ばれている偉人は得てして変わり者であると思います。私自身も自他ともに認める変わり者です。そんな私のづなを引いてコントロールしてくれているのが、他でもない河原陽花さんだと思っています。河原さんは声がでかいし感情的になることもありますが、裏を返せば嘘がつけず素直で裏表のない性格です。明るくて友達も多いし、もちろん頭脳明晰だし適役だと思います。そして、私がリーダーを引き受ける条件として、河原さんが副リーダーであることを望みます」

「ということだけど、どうかしら? 河原さん」

「せ、先生も、本当にアタシが適役だと思ってるのですか?」

「もちろん。これがドッキリだと思う?」宮田先生はにこりと微笑んだ。

「陽花! おねがい!」優梨は両手のてのひらを合わせた。

「分かりました。引き受けます。でも、本当にアタシ、みんなについていけるか不安だし、ついていけないときは助けて下さい!」

「助けるに決まってるじゃん」

「もちろん、私も担任講師の立場から精一杯バックアップさせて頂くわ」

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