第二章 入塾(ニュウジュク) 3 陽花
最初の予備校の講義の後の最初のクラスミーティング。講義中はカメラマンが授業風景を撮りに来るなど、何かと気合いの入り具合を感じた。
千種進学ゼミの理系EHQクラスのリーダー、副リーダーが決まり、担任の宮田先生から簡単な任命式が行われた。
優梨は堂々たる所信表明演説を披露していたが、陽花は場慣れしておらず、すっかり舞い上がってしまった。緊張している様子がバレバレであったと思う。
実はもう一名、副リーダーに任命された生徒がいた。
優梨の通う滄女も、どちらかと言えば、恋愛感情をどこかに置いてきたような、地味な女子生徒が多い。成績が優秀な生徒ほどその傾向が強いかもしれない。眼鏡をかけている生徒の確率も高い。陽花や優梨がごくごく少数派であった。同級生はおろか他の学年を見ても、優梨ほど
日比野の所信表明、もとい自己紹介は、静かな挨拶でごく短く終わらせていた。リーダー、副リーダーを努める生徒は、もっとはきはきして社交的な人間の方が向いていると思うのだが、いったい宮田先生はどういう選考基準で任命したのだろうか。成績か。それとも陽花の気付かない魅力が彼にはぎっしり詰まっているのだろうか。陽花には謎であった。
リーダー、副リーダーの任命式が終わると、日比野は低い声で優梨と陽花に「よろしく」と一言言ってきた。陽花はちょっとした動揺を覚えたが、優梨はごく自然に「こちらこそよろしくね」と明るい声で応答した。陽花もそれにつられるように「よろしく」と言って小さく頭を下げた。
このクラスのリーダー、副リーダーというシステムは、陽花や優梨のような全科目受講の生徒が対象であった。全科目というのは、理数系の場合は数学、理科(物理、化学、生物、地学から選択)、英語の三科目を少なくとも受講している場合である。国語や社会は理数系の場合は必須ではないので、必ずしも受講しているとは限らない。
一方で、数学のみとか、数学と英語のみとか、強化したい科目のみを受講している生徒もいる。そのような生徒は選択科目受講で、クラスという概念からは外れる。あくまでもクラスは全科目受講の生徒のみが対象だ。
利点としてはクラスで動いているので、学校のクラスのような集団となり結束力が生まれることである。しかも、成績のより近い集団であるので、志望校も同じという生徒も大抵複数いる。当然志望校が一緒であればライバルとなるが、逆に親密に
理系EHQの講義日は、火曜日と水曜日である。火曜日は理科2科目、水曜日は英語と数学だ。EHQ以外のクラスではもっと人数が多いので、限定された曜日ではなく、複数の曜日から通塾する日を選択できるのだが、EHQは限られた上位の優秀な生徒たちで構成されており、理系と文系で一クラスずつしかないため選択の余地がないのだ。
優梨や陽花の通う滄洋女子高校は、県内でも有数の進学校であり、千種進学ゼミに限らず塾に通う日であれば生徒は部活動を免除される。あくまで学生の本分は大学受験勉強であるということだ。もともと少人数の高校である上に、上記の理由で部活動に入部しない、あるいは幽霊部員と化す生徒も多い。ゆえに滄女では部活動の種類は少なく、特に運動部は概して弱小である。
また千種進学ゼミは、EHQに限らず、土曜日もしくは日曜日に毎週テストが開催される。毎週土、日曜日の試験はその都度都合に合わせてどちらか好きな曜日を選択できる。また定期的に校内統一試験も行われる。正直非常にタイトなスケジュールだ。塾に通うことがもはや部活動であると言っても
陽花は決して楽天的な気持ちで入塾したわけではないが、受験勉強のなかった中学校時代とは一転して、日々勉強漬けとなる毎日が待っていると思うと、不安に駆られた。それに加えて、天才と秀才が集う理系EHQクラスの副リーダーの就任だ。どんなに宮田先生や優梨に説得されても、もっと適役がいただろうと気持ちは拭えない。正直、優梨がリーダーでなかったら自分は間違っても引き受けなかっただろう。
予備校が終わり、最寄りの千種駅から二人地下鉄に乗り込んだ。
「優梨、どうしてさっき宮田先生の前であんなこと言ったの!?」
「あんなことって?」
「私自身は変わり者ですとか、私の手綱を引いてくれてるのが河原さんだとか、しまいに適役だと思いますとか……」
「私は本心を言ったまでよ」
「嘘だぁ! 自分自身のこと変わり者だって認めたことないじゃん。むしろアタシが変わってるってさんざん言ってくるくせに!」
「私が何で滄女に入ったか知ってる?」
「滄女に入った理由? そりゃ、優梨の天才頭脳に見合うだけの学校が他になかったからでしょ」
「違うわよ。髪の毛を染めても良いとか多少ならネイルしても良いとか、自由な校風に憧れただけ。それがたまたま滄女だったってだけの話よ。私が束縛嫌いなの知ってるでしょ」
「え? そんな理由だったの!?」陽花ははじめて聞かされるとんでもない志望動機に愕然とした。
「ね、私変わってるでしょ。陽花も変わってる所あるけど、今まで黙ってたけど、私に比べたら序の口よ」
「何、そんなこと自慢してるのよ。やっぱり優梨は変わってるわ。でもそんな優梨がよくリーダーを引き受けたよね。却って束縛が増えるんじゃないの?」
「いや、逆でしょ? 先生や生徒たちの信頼が得られれば、ある程度融通が利かせられると思う。もし信頼を得られない生徒がいて風紀を乱す可能性のある生徒は、私の力で違うクラスに行ってもらうように進言する」
「なかなか優梨も腹黒いね」
「お人好しでは、受験戦争に勝てないわ」
優梨は不敵な笑みを浮かべた。
陽花は、ふと優梨が一瞬目を
「優梨、どうしたの?」
「いや、あの男子校生どっかで見たことある顔だなって思ったんだけど。えっと誰だっけな」
「あら珍しい。優梨が
「いや、そんなによく知ってる人ではないはず。だって男子だもん。
「優梨は、女優レベルの美人だから、どこかでナンパしてきた男かもしれないね」
「それはない。ないと思う……たぶん」
「たぶんって、さすがは優梨。よくナンパされてるんだね。でも優梨のお眼鏡に適う男なんて
「何言ってんの!? しかも車内でやめてよ!」
陽花の声はもともと大きく通るので、騒音で
「冗談よ。冗談! はい、
「もう! じゃあ、また明日ね!」
「はーい。じゃーね!」
陽花は栄駅で名城線に乗り換える優梨に手を振った。先ほどのブレザーの男子も同じく栄駅で降りていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます