第二章 入塾(ニュウジュク) 

第二章 入塾(ニュウジュク)  1 陽花

 正直、高校生になっても特段何も変わったことなどなかった。新鮮な気持ちなどない。

 中学三年生のころの担任の教師は、「義務教育はこの一年が最後だ。来年からは義務ではなく自分の意志で教育を受けるのだから、だらけていた人は心を入れ替えるように」と活を入れてくれたが、実際なってみたところでこうも環境が変化しないと、心を入れ替える方が無理な話だと思った。

 クラスメイトや担任の教師は変わるのだが、学校の敷地、制服、教育方針、学校の宗教、部活動は変わらない。クラスメイトだって一部は同じで、ひどいと担任の教師まで一緒だという人もいる。

 そう、ここは名古屋でも屈指の進学校と言われる、私立滄洋そうようじょ学園中学・高等学校、通称『滄女そうじょ』である。その名の通りの中高一貫校の女子校であり、通う生徒は中学、高校関係なく『滄女生そうじょせい』と呼ばれることがある。一学年に六クラスしかない。すでに三年間一緒に過ごしてきたわけだから、単純に全体の半数弱の人はどこかで同じクラスになったことになった者とまた同じクラスメイトなのだ。先生も中学と高校を行き来しているから、科目によっては中学と同じ先生が受け持ち、担任の先生も、生徒と同じくエレベーター式にそのまま中学から高校に上がってきたりする。

 はるの出席番号より一つ前の大城おおしろゆうに至っては、中学の三年間クラスが一緒であった。そして今年も同じクラスである。六クラスしかないとはいえ、四年連続で同じクラスになるのは確率的にさすがに珍しい。学年で優梨だけだ。しかも、出席番号が近いだけでなく、馬が合い、本校では珍しくオシャレにも積極的であり、ともに身長も高い。さらには、(自分たちのことながら)ともに美人である。極めつけは、二人とも理系志望であり、高校二年から文系/理系でクラス分けされるのだが、少数派の理系クラスはおそらくクラス数も少数であることが予想され、来年以降も同じクラスになる確率が高いのだ。

 気心の知れた友人と、偶然にもまた同じクラスメイトであることは喜ばしいが、環境の変化という観点では乏しいと言わざるを得ない。しかしながら、刺激に乏しいかと言われればそうではない。

 理由は明確だ。この四年間も一緒の大城優梨という級友が、他の同級生をいろいろな意味で軽々とりょうしているからだ。

 特筆すべきポイントはたくさんある。まずはたぐいまれなる頭脳だ。この学校ではテストごとに順位が掲示されるのだが、優梨が総合成績で五位より下回ったという記憶はない。しかも五位だったのは一回で、テスト前に熱が出てほとんど勉強をしていない時であり、大抵は一位で、稀に二位ということもあるくらいだ。殊に数学、理科系科目で九十五点以下の点数を取ったことはなかったように思う。しかし、授業中がむしゃらに板書をノートに写したり、テスト前に焦って一夜漬けしたり教科書を見返したりする様子はない。どうやら一度見たり聞いたりした内容は、ほとんど記憶してしまっているようだ。優梨は真の天才肌なのだ。いつしかの予備校の全国模試でも偏差値82という驚異的な数値を叩き出したことがある。親は名古屋で有名な総合病院の院長なので、血は争えないな、と陽花は思う。

 さらには、ひときわ目を引く美貌と、美意識の高さである。絵に描いたような美しい顔立ちとスタイルの良さ。陽花自身も容姿にはそれなりの自負はあったが、優梨には勝てないと思った。陽花が優梨に勝てるのは身長の高さと脚の長さくらいだろうか。街中に買い物に行くと、当時中学生離れした大人びたラグジュアリーな洋服でも、優梨が試着すれば見事に似合っていた。ちょっとオシャレして名駅めいえきさかえを歩けば、ナンパだけでなくスカウトの声もかかった。それでいて、今まで彼氏がいたことはなく貞操ていそうを守っているというのだからよく分からない。おそらく真面目なのか、理想が高いのか、興味がないのかのいずれかなのだろうが、きっと理想が高いのだろう。客観的にみて優梨に釣り合う男なんて、愛知県中探しても片手で数えるくらいしかいないのではないかと思う。

 それでいて、性格はどこか天然なところがあるからますますよく分からない。普通に会話すれば、明るくて気さくで、頭の良さをあまり感じさせない。ましてや、てんさいを鼻にかけたりすることもない。普段はどこにでもいる今どきの女子高生そのものである。一方で勉強のことを教えてもらったりするときには、非常にレベルの高い説明を披露してくれる。秀才と言われてきた陽花でもついていけなくなることがあった。そのギャップにはいつも驚かされるばかりであった。

 そんな、天才美女の優梨としくもクラスがまた同じになった。これはかなり誇れることなのではないかと陽花は思う。優梨に追いつくことはできなくても、少なからずそれが良い刺激となって、彼女の知識を享受して見識を深めたり、また美意識やファッションセンスも磨かれたりしたような気がする。将来、優梨が高名な大学に入学して、ミス・コンテストを総なめして話題になって芸能界入りでもし、クイズ番組等でその聡明な頭脳を披露することも、かなり現実的な話の気がしてならないほどだ。今からでもサインを頂いておこうか。合唱部で歌唱力も評価されているから、きっとCDの一枚も出してくれるのではないだろうか。そんなことを陽花は勝手に考えていた。


 このように劇的な変化をもたらさなかった陽花の高校生活の中で、一つ大きく変わったものと言えば、予備校だろうか。予備校と言えば中学受験のために小学校五〜六年生のときには通っていたが、無事に中高一貫校に進学したために中学校では通わなかった。それが、高校に入ればさすがに大学受験を意識しなければならないと、平和ボケした頭にむちを打つ意味でも予備校に入り直すことを決意したのだ。とは言え、別に口裏を合わせたわけではないのだが、名古屋に大学進学予備校/塾は多数あるにも関わらず優梨と同じ予備校であった。『千種進学ゼミナール』という。そして、優梨と同じ理数系学部コースである。

 この予備校は知識をただ単に教えるのではなく、それを導くための論理や筋道の立て方を教えることを得意としているようだ。はじめて見る難解な問題も、習った公式を駆使して推測し、自力で解答へと導かせて、解く喜びを分かってもらうのが狙いだ。知識量や記憶力などよりも、生徒の柔軟な思考力やひらめきを大切にし、臨機応変に問題に対処できる能力をつちかっていくことをモットーとしているようだ。「知識を点とするならば、我々の使命はそれを結びつける線を教えることです」と、『千種進学ゼミ』の講師が、確かそんなことをテレビの特集で言っていたことを思い出す。

 実際、有名な予備校だ。大学進学の実績も確かである。

 また、学校と陽花の家の間の地下鉄の駅で降りれば良く、定期券だけで通えるのも、二の次の話とはいえ嬉しい。これは優梨もそうだった。

 予備校の理数系学部コースとは言っても、学力に応じて教材が異なる。滄洋女子のように頭に超がつくほどの進学校の生徒が集まるクラスがある一方で、偏差値50を割るようなレベルのクラスもある。同じ授業内容というわけにはなかなかいかない。

 そこでクラス分けのための試験があった。

 さすがに自分と天才の優梨とは、成績の差は歴然であったので、そこではじめてクラスが別れるかと思ったが、やはりそこは運命だろうか。『Extreme High Qualityクラス』略して『EHQ』と呼ばれる、最優秀クラスに二人揃って入り込むことができた。もっとも、優梨は最高のクラス以外はあり得ないのであるが。きっとここには、国公立大学の医歯薬系学部志望が軒並み名を連ねているのだろう。多くの滄女の生徒は志望校、志望学部を決めている中で、陽花はまだ、理数系とだけで、まだ具体的にどの大学のどの学部にするかは決めていなかった。このようなモチベーションの差が、成績の差を生んでしまわないか懸念されたが、とにかく置いていかれないように気をつけようと陽花は思った。


 EHQクラスに陽花も一緒に入れたことを、優梨はとても喜んでくれた。

「良かった! 陽花もまた一緒のクラスになれて!」

「え、でも。学校でもいつも同じクラスじゃない!」

「だから嬉しいんじゃない! 予備校で周りが仲良くない人ばかりだったら嫌でしょ!?」

「そ、そうだけど。アタシも優梨と一緒だから嬉しいんだけどね」

「ね、一緒に頑張ろうね! 大学受験に向けて」

「でも、アタシついていけるかな? 滄女生も何人かEHQにいるみたいだけど、優梨もそうだけどほとんど成績優秀者ランキングの常連ばっかりじゃない?」滄女に通う生徒のことを『滄女生そうじょせい』と言ったりする。

「大丈夫だって! 陽花だって頭めっちゃいいじゃん」

「それはお世辞だよ。優梨の方がずっと優秀だし」

「私は、成績は良い方かもしれないけど、陽花だって授業中先生の質問に、そつなく答えられてるじゃん」


 すると、向こうから優梨と陽花を呼ぶ声がした。同じ滄女生の吉村よしむらあいだ。彼女もまた滄女で成績上位にいつも名を連ねている優秀な生徒だ。

「優梨、陽花。数学のみや先生が呼んでるって」

「アタシたちを呼んでる?」

「そう。用件は分からないけど、とにかく行ってあげて」

「分かったよ」

 そう言って、すぐさま二人は教職員室に向かう。

 この千種進学ゼミは、クラスの担任の講師がいる。一つは生徒と講師との垣根を低くして、気軽に質問できるようにする配慮らしい。また、授業についていけなくなった生徒に対して手を差し伸べて補講を行ったり、場合によってはクラスの変更を提案したりする。もちろん、成績が伸びてきた生徒には上のクラスに上げるようにサジェスチョンすることもある。上のクラスに上がった際にも補講を行って、講義内容のしんちょく状況の差の埋め合わせをすることもある。宮田先生というのは、千種進学ゼミの数学の女性講師で、この高校一年生の理数系EHQクラスの担任でもあった。数学の講師が女性というのはちょっと珍しい気もする。

 そんな担任講師に呼び出された陽花は不安があった。

「ひょっとして、アタシは学力が足りないからEHQのクラスを諦めるように勧められちゃうのかな」

 EHQクラスに入るためのボーダーラインは偏差値70らしい。

「だから大丈夫だって! だって私だって一緒に呼び出されてるわけだし。そんなことあるわけないって」

「そ、そうかな……」陽花は心配そうに答えた。

 教職員室の扉をノックして中に入り、秘書に声をかけ宮田先生に取り次いでもらう。

「宮田先生、失礼します」

「どうぞ。急に呼び出して悪かったわね」

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