第一章 入学(ニュウガク) 6 風岡
足達医師と影浦と風岡は近くのファミリーレストランに入った。
風岡だけは制服姿だったので、ちょっと後ろめたい気でいたが、それを見透かしたように足達医師は言った。
「大丈夫、せいぜい三、四十分くらいだし、ましてや補導時間まで引っ張るつもりはないわよ。あなたのお母さんに怒られちゃうでしょ」
「うちは、ほったらかしなので、門限についてとやかく言われないんですけど」
「でも、大丈夫。本当に遅くならないようにするから。でも、この三人組って他人の目から見てどう写るかしらね。親子? 母親と、男二人兄弟かな」
男二人兄弟と聞いて、どちらが兄なんだろうと思った。この場合、制服を着ていなくて風岡よりも高身長の影浦が兄だろうか。そんなどうでも良いことを考えるついでに、足達医師が母親というのに風岡は違和感を感じる。
「足達先生、お母さんだなんて、そんな風には見えませんよ。お姉さんなら分かるけど」これは決してお世辞ではなくて本音だった。
「まぁ、嬉しいこと言ってくれるじゃないの!」
「え、だって、先生若いんでしょう?」
「あら、私、今年で四十三よ! こう見えてバリバリの既婚者ですけど?」
「どひぇー!!?」
風岡は驚愕した。思わず
「だって、私、影浦くんが五歳か六歳くらいから診てるから」
「え、でも、それでも四十三って! 二十代に見えました!」
「ほんとに? 嬉しいこと言ってくれるじゃないの! まだまだ私もいけるかしら!?」足達医師は得意げに髪をかきあげてポーズを取って見せた。
料理が運ばれてきた。
影浦は目玉焼きハンバーグ、風岡はビーフカレー、足達医師はペペロンチーノを注文していた。
「そう、本題に入りたいんだけど、風岡くん、だっけ? あなたは影浦くんのお友達なのよね? こうやって怪我を心配して病院に連れて行こうとしてくれるくらいだから」
足達医師はやや神妙な面持ちで尋ねてきた。何を今更かと思ったが、こちらもまだ知り合ってから一週間だし、一緒に遊んだのは昨日がはじめてだ。
「はい。影浦の友達です」風岡も足達医師の目を見て答えた。
「あの、影浦くんがどうして私に診てもらっているかは知ってるかな?」
微妙な質問だ。どう答えようか。中学校時代に影浦が問題を起こしたらしいことは鵜飼から聞いていたが、影浦からは聞いていない。でも多重人格障害のことは聞いている。そのことだろうか。でも何となくそれを他人に言う、しかもこんな不特定多数の人が出入りする空間では気が引ける思いがする。
「ある病気については、聞いています」
「そう、その病気ね。さすがにこの近くに医療従事者はいないと思うけど」と言って、足達医師は周りを見回してみる。
「大丈夫そうね、精神科の世界ではその病気をDIDと呼んでいるんだけど」
「DID?」
「そう。
「分かりました」
「彼にはDIDがあって、今まで友達付き合いに苦労してきたの。だからここ最近は、友達も作らずに極力他人と話すことを避けてきたきらいがあるの。特にあまり親しくない人とはね。だけど、あなたには心を開いているようね。あなたは夕夜くんに会ったかしら?」
夕夜。昨日のこととはいえ、あれは忘れることはないだろう。それくらい鮮烈な印象を風岡に植え付けた。
「会いました。なかなか彼は激しいですね」
なかなか激しいという程度では済まされないのだが、敢えてマイルドな表現にした。
「なら話は早いわね。夕夜くんはとても気性は荒いし口も悪いけど実は良い子だから」
「へぇ、そうなんですね。どんな風にですか?」
昨日、風岡に攻撃をしてきたように見せかけて、実は当たらないように敢えて外していたのを思い出した。しかし、今はじめて知ったようなリアクションを取った。
「夕夜くんの取ってる行動は、すべて瑛くんのための行動なのよ。一見、感情むき出しに見えるけど、ちゃんと瑛くんを守るために理に適っているの」
「そ、そうなんですか!?」
そこまでとは意外だった。その証拠に風岡のリアクションからわざとらしさが抜けていたと思う。夕夜の言動そのものは威圧的で不良青年そのものに見えるが、悪人ではないことは察しがついていた。しかし第三者、しかも長年診ている心療科の先生からのお墨付きを頂くと、一段と信憑性が高まる。
「通常DIDの治療は一般的に、統合っていって人格をひとまとめにすることが一般的だったけど、最近は違うし彼には必要ないと思うわ。だって、瑛くんにとって夕夜くんは有益な存在だわ。まず瑛くんと夕夜くんは会話ができるし、一部で意識を共有できるレベルなのよ」
「昨日、影浦そう言ってたな?」風岡は確認するように影浦の方を向く。
「ま、まぁね。これも足達先生のおかげだと思うんだけど」
風岡は信じられなかった。想像の域を超えていた。人格間でコミュニケーションを図れるとは一体どういう状態なのだろうか。
「瑛くんも褒め上手ね。でも、人格の統合を無理に図るんじゃなくて、それぞれの人格を橋渡しすることがドクターである私に求められることなの。それでそれぞれの人格が同じ方向を向けば良い。でも、それは私だけじゃなくて、それを理解してくれる友達も必要なのよ。例えば風岡くん、あなたとかね」
「お、俺にできるかな」風岡は頭を掻いた。
「できると思うわ。私の勘だけどね」
足達医師は『私の勘』と表現したが、心療科の医師ならかなり強いお墨付きのような気がした。なおも足達医師は続ける。
「大事なのは、どの人格も愛情をもって接すること。気持ちを受け止めてあげること。異常扱いしないことよ」
「風岡くんは、夕夜がいることを病気ではなくて個性と言ってくれました」と、影浦も付け加える。
「そういう気持ちが大切なのよ。彼には心を打ち明けられる身内が少ないから、そういう友達が必要なの。あなたにその役割、お願いしてもいいかな? あ、いや役割だなんて仰々しいね。今まで通り影浦くんと友達付き合いをしてくれれば良いから」
「わかりました」風岡は足達医師の目をしっかり見て答えた。
一同は食事を終えて店を出る。もちろん約束どおり足達医師が支払ってくれた。
「今日はごちそうさまでした」
「こちらこそいきなり引き止めてごめんね」
「先生、また外来でよろしくお願いします」
「こちらこそ! 夕夜くんにもよろしく伝えといてね」
そう言って、足達医師は手を振って去っていった。時間は午後八時半前くらいか。
「よし、帰ろう! 影浦」風岡は自転車の後ろに乗るよう合図をした。
「だから歩けるって。すぐそこだし」
「いいんだよ。取りあえず乗りな」
「風岡くん、優しいね」
「これくらい普通だろ。よし門限に間に合わせるぞ」
風岡は影浦を後ろに乗せて走り出す。ものの数分で、しろとり学園に到着した。
「ありがとう」
「夕夜によろしく伝えといてくれよな」
風岡はそう言って別れを告げると、影浦は右手で頭を抱えだした。
「影浦? どうした?」
「う……う……」と呻き声をあげた後、影浦の形相が変わった。それが夕夜であることに驚き、風岡は心の中で一瞬
「このくそったれが! 補導されてぇのか! 早く帰りやがれや!」
「言われんでも帰るわぁ! またな! 夕夜」
風岡もつられるようにニヤリと口角を挙げて、激しくハイタッチを交わし辞去した。自転車のハンドルを握る左手がじりじり痛むのを感じながらようやく家路についた。
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