第一章 入学(ニュウガク)

第一章 入学(ニュウガク)  1 風岡

 入学式。

 自分も含め他の生徒の顔も皆、やや緊張気味の面持ちであった。

 真新しいブレザーがまだ身体に馴染なじんでいない。着心地のまだ良くない服に肩を凝らせながら、校長先生の挨拶に耳を傾けていた。

 風岡かざおかひさしは、この春、名古屋市の県立とめやしろ高校の普通科に進学した。

 同じ中学校から同じ高校に進学した生徒はどうやらあまり多くなさそうだ。偏差値も50より若干上くらいのレベルで、特筆すべき高校ではない。しかしながら、野球、バスケットボール、ラグビーなど、一部の部活動は県内の公立高校としては、かなり強い部類であった。

 風岡は、恵まれた体格を生かして中学一年生からラグビーを始め、高校でも継続したいと思っていた。花園はなぞのラグビー場への出場経験のある止社高校への入学は、願ったり叶ったりであった。

 風岡のすぐ前に、風岡よりも背の高い男子生徒が立っていた。風岡の身長は175センチで高い方であったが、その男子は180センチ近くもあった。痩せ形であるが、背中にはどこかたくましさも感じられた。

 新入生が体育館から退場となり、それぞれ新しいクラスごとに教室へ案内されていく。ちなみに、保護者たちはそのまま引き続き体育館で説明を受けるという。

 風岡は一年G組だった。全校生徒は一千人強。新入生は三百五十人ほどいるということなので、一年生は九クラス、つまりA組からI組まで存在していた。

 座席表のとおりに座ると、風岡の後ろの席に先ほど前に立っていた高身長の男子が座っていた。どうやらこの席の並びは五十音順らしい。座席表の風岡の後ろの席には『影浦』と書かれていた。なるほど、影浦というのか。この四十人足らずのクラスメイトで影浦と風岡では十中八九、五十音順で隣になることであろう。『鹿しま』姓や『西さい』姓でもいれば別だが。

 よく見ると影浦は、かなり整った顔立ちをしていた。と言っても、男らしく精悍せいかんな顔立ちではなく、中性的で柔らかい印象を与える顔だ。それでも、美少年あるいは美青年といってまったく差し支えないだろう。だが、どこか物寂しげな表情をしていた。他のクラスメイトは、新しく学校生活をともにする仲間との始まりに心躍らせるように、やや緊張しながらも晴れやかな表情をしていたのとは対照的であった。隣の座席の生徒に話しかける様子もなかった。

 取りあえず、風岡は両隣の座席の生徒、前の座席の生徒にそれぞれ名乗り、簡単に「はじめまして、ヨロシク」と挨拶をする。

 同様に後ろの影浦にも笑顔で話しかけた。

「はじめまして。俺、風岡悠といいます。ヨロシク!」

「あ、は、はい、よろしくお願いします」影浦は風岡の突然の話しかけに少しだけ辟易へきえきしたような表情を見せた。

「名前は?」風岡は名前を知らない素振りで尋ねた。

「か、影浦かげうらあきら……です」影浦はどもりながら答える。

「影浦くん? あまり聞き慣れない名前だね」と、率直な感想を述べた。

「はあ」影浦の応答は素っ気ない。

「家はどこなの?」

「名古屋です」

 名古屋も十六個の区から成り立つ大都市だから、もうちょっと言い様があるのにと思った。外国人に出身国を聞いたら、「日本以外」と返事されたような気分である。でも気にしないことにした。

「俺はあつ神宮じんぐうの近くのてんちょうってところに住んでるよ。完全に名古屋の地元っ子だよ。君とは出席番号も隣みたいだし、長い付き合いになるだろうからヨロシクな」

 風岡がそう言うと、影浦は作り笑いのような微笑みを一瞬だけ浮かべて、「はい」と短く答えた。


 教室でのガイダンスを終え、生徒手帳用の写真撮影、体操服や教科書などの受け取りを待つ。三百人以上もいる生徒がすべてのスケジュールをこなすのには、どんなに効率よくスケジュールを立てても待ち時間は発生する。とても時間がかかった。写真撮影では、やはりここでも五十音順に整列され順番に撮影となった。ぐるっとクラスメイトを見回しても、どうやら風岡の知っている生徒はいない。中学時代のラグビー部で見覚えのある人でもいるかな、と期待はしてみたが、やはりいなかったのでちょっとだけ残念な気持ちになった。

 風岡は、自分は決して友達を作るのは苦手ではない方だと思っている。ただ、中学校は近所だったので、同じ小学校の生徒も多かった。さかのぼって小学校入学時は、お互いが六、七歳で、まだ全員が仲良しという感覚でいられるような無邪気なお年頃だったので、いつの間にか友達ができていたというような記憶でしかない。

 まったく周りに知っている者がいない集団での学校生活のスタートというのは、ちょっとだけ自分をドキドキさせていた。

 写真撮影を待ちながら、きょろきょろと見回していると、ひとりの女子生徒がとある女性教諭とおぼしき人物から、詰問きつもんされているのを目撃した。どうやら頭髪の色が明るいと指摘されているようだ。校則は、入学したばかりなのでしっかり把握していないが、おそらくここもごぶんれずで、染髪禁止なのであろう。その女子生徒は赤毛であった。具体的には茶色ないしえんいろに見える。いや、この写真撮影会場が窓から射し込む自然光で明るい場所であったから、ただ単に髪の毛も明るく見えただけかもしれないが、それでも隣の学生と比べてもあまりに明るかった。その瞬間、風岡は入学試験の日のことを思い出す。あの女子生徒は、自分の受験番号の一つ前の番号の生徒であった。

 受験の日、風岡は教室のいちばん前の席であった。いちばん前は、試験監督の目の前であり、別に不正行為を働く気などはなかったが、いちばん近くで監視されているようで、何となく嫌な気分になったものだ。そのときは気が付かなかったが、面接待ちのときに自分の前にその赤毛の女子生徒がいたのだ。気付かなかったのは、受験番号が風岡とその女子との間でちょうど列が離れてしまったものだと思われる。

 赤毛の女子生徒は、面接のときに自分の幼少期の写真を所持していた。普通はそのようなものを受験会場に持ち込まないだろうし、持ち込んで良いものなのかも分からないが、とにかくその幼少期の写真でも頭髪は赤みがかっていた。つまり、面接官に髪の毛を染めているわけでなく地毛がもともとこういう色であると弁明するためのものであろうことは、そのとき容易に察しがついた。

 風岡は、写真撮影待ちの列を一人離れて、その赤毛の女子生徒と女性教諭のもとに歩み寄った。風岡は元来、困っている人がいると助けたくなる性分である。

「すみませんが、あのー、この人、生まれつきこの髪の色ですよ」

 赤毛の女子生徒は瞠目どうもくして風岡を見る。驚いた様子であった。それも無理もない。おそらく女子生徒は風岡のことを知らない。

「あなたは誰ですか? 桃原ももはらさんの知り合い?」女性教諭はげんそうな顔つきでこちらを見る。

「ええ、まあ、そんな感じです」

 本当は、彼女の幼少期の写真を所持していて、すでに赤毛であったことを女性教諭に伝えたかったが、女子生徒がどういう性格か分からないのに不必要な情報まで流す必要はない。何よりも、面接待ちのときに偶然写真が見えただけであるが、覗いたように勘繰られるのも本意ではなかった。ここは、よくある人助けのシーンで使い古されているかもしれないが、適当な嘘で誤魔化してその場を乗り切る。まさしく嘘も方便というやつだ。

 すると男性教諭と思われる声が聞こえてきた。

市川いちかわ先生、桃原さんは髪を染めていなくて、もともとこの色みたいですよ。さっき通達があったようです」

「そうなの? ごめんなさいね。あまりに明るい色だから疑ってしまって」

「ええ、大丈夫です」桃原と呼ばれた女子生徒はにこやかに答えた。

「疑いが晴れて良かったです」風岡は自分の嘘が、この疑いを晴らすのに貢献したかは分からないがそう言ってみせた。

「ありがとうございます」桃原は風岡に礼を言った。

 風岡は、別にこの女子生徒が見た目で好みのタイプというわけではなかったが、美形だと思った。どうしても髪の色に目がいきがちなので、顔の造形にはあまり注意を払っていなかったが、瞳はつぶらで大きく、顔の輪郭はシャープで無駄がなく、赤毛のポニーテールがよく似合っていた。風岡は、誰も知り合いがいない環境で、誰か何か一つ話すきっかけにでもなれば、と思った。かと言って、その下心(と呼ばれるのははなはだ心外だが)があったから助け舟を出したわけでもなかった。もちろん、困っているのが男子生徒でも助けに行っていただろう。

「ごめんね、嘘ついて。実は受験番号が後ろだったから、君が持っていた小さい頃の写真が見えちゃったんだ」と、はじめて種明かしをする。

「そうなんですね。あなたのお名前は?」

「風岡悠だよ。そちらは?」

桃原ももはらさとと言います」

「あ、そろそろ撮影の順番が回ってきそうだから、元に戻るね」

 軽く頭を下げて、風岡は元の列に戻った。

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