第二章 入塾(ニュウジュク)  14 日比野

 日比野は一抹の不安を感じていた。しかしその不安は決して無視できないほどの質量を感じている。

 千里は何かしらの精神疾患を患っている。そして、本人はその自覚がないのかもしれない。日比野はそう推測していた。

 日比野がそう推測できていたのは他でもない。中学校時代のとある友人と電話した時だ。たまたまその友人が通う高校で精神疾患を持っている男友達ができた、などと話していた。一応プライバシーの配慮で名前までは明かしていなかったが、その男は、とてもその友達を評価していた。そのときに、今までまったく知らなかった精神疾患について調べるようになったのがきっかけで、日比野は図書館で関連書籍を興味本位で読み耽るようになっていた。そして千里という人物に、それらの中のいずれかが該当するのではないかと考えていた。


 千里は優梨に勝つことだけを目標にしている。それだけが生き甲斐であり、彼女の生きる原動力になっていると言っても過言ではないかもしれない。そしてそれを達成するチャンスが目前に到来しているのだ。

 ただし、そのチャンスは容易なものではない。宮田先生に出題された問題を解くというものだ。

 その内容は非常にシンプルであり難問である。シンプルだからこそ難問なのかもしれない。この問題はどれだけ数式を理解していても複雑な化学反応式を知っていたとしても解けるものではない。一方でひらめき一つで小学生にも解けてしまうかもしれない問題でもあるのだ。

 日比野は目の前の二人の天才少女を見守りながら、同時に頭を働かせていた。但し書きの最後の意図が気になる。

『注意点その三、「ラン」が本当のことを話すかどうかは、彼の頭の中で秘密裏に行われるコイントスによって決定される』。これは一体何を意味しているのだろうか。単に、『彼の発言はランダムである』というだけでは足りない情報なのか。しかしわざわざそのように言及しているということには何かしら意図するものがあるのだろう。校内統一試験第二位の日比野も、解答の糸口がなかなか掴めないでいた。


 仮に、その問題を千里が解けなかったときが気になる。彼女は一体どのような行動に出るだろうか。また頭を切り替えて、次回以降のチャンスに望むのであればいちばんそれが良い。しかしどうも千里はそこまですんなりと状況を受け入れられないと思う。優梨が負けることは本望ではないのだが、千里が負けたときが心配だ。どちらも不正解で、引き分けで喧嘩両成敗という結果もあるかもしれないが、それも何の解決には至らない。なぜなら千里は優梨に勝つことが人生の目標なのだ。それに天才の優梨が、間違っても白紙の解答を提出するとは思えないのだ。

 何か波乱が起こるのではないか。そんな不安が日比野の中では払拭できないでいた。ゆうであってくれと心の中で呟いてみたが、心配を消し去ることはできなかった。

 日比野は静かに宮田先生に耳打ちする。

 試験監督を任命されていたが、一時的に教室の外に出たいと申し出た。もちろんこれは日比野の中での不安に対する保険であった。


 日比野は会場となっている教室からは聞こえないところまで離れて、ある人物に連絡を取った。携帯電話を取って履歴から名前を呼び出す。

 そして電話をかけた。

「あ、もしもし? 久しぶりだな?」

 良かった繋がった。しかも幸い、電話の相手は暇だと言っている。てっきり部活で忙しいかと思っていたが、今日は予定もないようだ。

 もし杞憂に終われば、彼に申し訳ないなと思いながらも、電話を切る。

 どうさいが転がるかは分からない。それこそ『ラン』の脳内でトスされるコインの表か裏かに委ねられているような気がしていた。

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