第二章 入塾(ニュウジュク)  12 優梨

「えっ!? 私が問題を作って、大城さんと桃原ももはらさんに一対一の勝負をさせるって!?」

「はい」

 数学のテスト解説を終えた宮田先生は、驚いたように目を丸くして答える。そして先生のその反応に今度は周りの生徒たちがこちらを振り向いていた。ざわつきかけていた教室内が静かになる。

「試験終わってそうそう大城さんと桃原さんが出て行って、いつまで経っても帰ってこないから気になっていたけど、そんな話をしていたの!?」

「はい。話すと長くなるのですが、どうしてもお願いしたいんです。決着を付けないといけないんです」千里の目は本気だ。

「でも、問題を作るって、どんな問題? 数学がいいの?」

「それは先生にお任せしたいです」

「えぇ? それは私、困るなぁ。二人の高校の授業進度がかなり離れている中で、公平を期することができて、さらに点数の差が出るような問題を作るの結構大変だと思う。だって大城さんの成績は数学オリンピックレベルだし、桃原さんも大城さんに負けず劣らずのレベルだわ。ちょっと一週間くらい時間をもらえないかしら?」

「分かりました。待ちます」と千里が了承しかけたところに、宮田先生が言い直すように再度口を開いた。

「あ、ちょっと待って。一問、とびっきり難しい問題がある。でも複雑な公式も計算も必要としない問題」

「へぇ!? そんな問題があるんですか!?」驚いたように反応したのは陽花だった。

「まぁ、数学というかパズルよね。でも論理的思考によって解答を導き出さなければならない問題。入社試験とかにもこの手の問題を出すところも多いって聞くわ」

「そうなんですか」

「ええ。でもこの問題は超難問。私は、大学時代、当時お世話になっていた先生に出題されて、三日三晩考えたけどギブアップしたわ」

「先生がそれだけ考えて解けなかった問題……」陽花は思わず黙ってしまった。

「当時はまだ先生じゃなくて学生の身分だけどね。でもこれによって私の闘争心に火がき、論理的思考を養うきっかけにもなって、今の数学講師という道に繋がってきているわけ」

 そういうことなのか。優梨は納得した。

 優梨は、宮田先生にはじめて呼ばれて教職員室で会ったとき、いきなり問題を出された。王様の毒入りワインを特定させる論理パズルであった。

 ここ千種進学ゼミは、解答を教えるだけでなく、それを導くための論理的な筋道やひらめきをも重視する。ゆえに、特に理系進学志望者に絶大の評価を得ている予備校なのだ。よって、生徒の柔軟な思考力を競わせるというのは、この予備校のコンセプトに非常に合致しているのかもしれない。

「なるほど」優梨は思わず嘆息していた。

「もしその問題でも良いと言うのなら、今日のテスト後に時間作っても良いけど?」

「私はそれで構いません」優梨は二つ返事で快諾した。

「私もその問題で良いです。大城さんと同じ土俵で勝負できるのなら……」千里も承諾した。

「その代わり、本当に難しいから。私は三日考えて解けなかった。でも当時の私はあなたたちよりもずっと優秀じゃなかったけどね。ここでは三日も猶予はないから、部分点もありにしようと思うけど……」

「そういう問題で大城さんに勝ってこそ、意味があるというものです」千里は毅然とした態度で言った。先ほど妨害工作を駆使して勝とうとした人間とは思えないほど、意識の変化があったのか。しかし、この態度は相当自信があるのだろう。彼女には何かを見通すような慧眼けいがんが備わっているようだ。優梨といえども侮ることは禁物である。


 三科目目のテストの英語は、ぶっちゃけてしまうともうやっつけ仕事であった。幸いにして、今週の試験はさほど難問ではなかった。あまりの難問揃いだとそこで思考能力が消費されてしまい、その後の千里との勝負に影響が出るかもしれないと心配はしたが、取り越し苦労に終わったようだ。しかし千里にとっても同じ条件なのだ。気を抜けない状況には変わりはなかった。

 そして、英語のテスト後の解説はあまり頭に入ってこなかった。宮田先生が数学ではなく論理パズルを出題すると言った以上、はっきり言って対策の練りようなどない。しかし、優梨は絶対に負けたくなかった。千里に負けると、自分が負けたことを吹聴されて、名誉やきょうに傷がつくとか、そんなレベルでの悩みではない。今まで十六年もの間に培ってきた大城優梨という存在意義そのものを失ってしまうような、そんな大袈裟に聞こえるかもしれないレベルの不安があった。


 英語の解説も終了すると教室内に宮田先生が入ってきた。また宮田先生に連れられるようにして、後輩の講師と思われる若い男性講師が二人ほど入ってきた。宮田先生はA4大の白紙を数枚と一枚の大きな丸めた模造紙の他に、『A』『B』『C』というパネルを用意している。一体何だろうか。慌ただしくしながら、優梨と千里に話しかけた。

「隣にも教室を確保したわ。テストはここと隣の二つの教室でやりましょう」

「分かりました。具体的にはどのようにやるんですか?」と、優梨は問う。

 すると、状況を察知したのか、その他の生徒たちがざわつき始めた。

「え? 今から何か始まるの?」

「大城さんと桃原さんが、何かやり合うらしいよ?」

「マジで!? 才色兼備対決か! すげー! 女の戦い! おもしろそぉ! 見てみよう!」

 つい先ほどの話し合いで急遽決定されたことなのに、一体どこでその噂を聞きつけたのか。他の生徒たちも違う意味で油断ならない。まさか彼らはギャラリーとして参加するつもりなのか。衆人環視の状況はさすがに緊張するが、優梨のやることには変わりはない。

 宮田先生は、優梨と千里と隣にいた陽花に話し始める。

「まず、あなたたちにはこの部屋で問題を解いてもらいます。まずそんなことしないと思うけど、あなたたち二人の不正行為防止目的で、私たち講師三人と日比野くんと河原さんには試験監督をしてもらいます。制限時間は一時間。そしてどちらでもいいから順番に隣の部屋で解答してもらいます。先に解答をした人の内容を、後に解答する人が聞いてしまうと、公平にはならないからね」

「分かりました」優梨は表情を変えずに答えた。

「宮田先生! どうやら他の生徒たちも、二人の対決を見届けたいそうです」そう言ってきたのは、副リーダーの日比野だ。

「もう! 何だか騒ぎが大きくなっているわね! 当人たちがどう思うかだけど」

「私は構いません」と、優梨はきっぱり言った。

「私が勝ったとき、証人が一人でも多くいた方が良いですから」千里も動揺することなく、むしろこれが自信の現れかと示すように承諾した。

 宮田先生は大きな声でアナウンスする。

「では、みなさん。テストはこれで終わりなので、もちろん帰って結構です。これから補講というか、エキストラのテストをします。大城さんと桃原さんがそれにチャレンジしますが、興味があれば一緒に考えてみて下さい。ただし、この問題は大学受験にもでませんし、かなりの難問です。解けなくて落ち込む必要はありませんが、本気で解きたいなら頭を悩ませる覚悟で来て下さい」

 そのように言うと、理系EHQの生徒がほとんど居残って、戦況を見守る事態となった。


 教室の机を二つだけ残して、他を端へ移動させた。

 その机に座るのはもちろん解答者である優梨と千里だ。

 これだけのギャラリーが見ている中では、不正行為などできようはずもない。

 ここまで大仰にこのテストを行う必要があるのかは甚だ疑問だが、とにもかくにもお膳立ては整ったようだ。

 宮田先生が、開会の辞とも取れるような挨拶をする。

「今日は急遽、二人のためにエキストラのテストとします。別にこれができたからと言って、今後の予備校生活に有利に働くということはないのだけれど、言うなればお互いの名誉をかけてやりたいということなので、開催します。まず、このテストは数学でも理科でもありません。もちろんセンター試験や二次試験に出るような問題でもありません。でも非常に難問です。恥ずかしながら私自身はこれを出題されて解けませんでした。ただ、論理的思考を養うという意味では良問だと思います。できないからと言って、まったく恥ずかしがる必要はありません。今回チャレンジするのが、他ならぬ大城さんと桃原さんということで、敢えてこれを出しています。もちろん二人とも解くことができず引き分けということもあり得ます。どちらが勝っても負けても、恨みっこなしです。なるべく公平を期する努力はしているつもりなので、他のみんなも協力をしてくださいね」

 教室内は静まり返っていた。ギャラリーは三十人ほどか。ほぼ理系EHQクラスの生徒のようだ。

 宮田先生が丸めていた模造紙を広げ、黒板にマグネットで止めた。

 手書きだ。英語のテストを受けている間に作ったのだろう。そして問題が長々と書かれていた。

 宮田先生ははきはきとした口調で問題文を読み始める。

「では、さっそくですが、問題です──三人の神様A、B、Cがいます。彼らには『シン』、『ギ』、『ラン』という名前がありますが、A、B、Cの誰がどの名前を持つかあなたは分かりません。ただし、神様どうしはお互いの名前を知っているものとします。『シン』は常に正しいことを話し、『ギ』は常に嘘を話しますが、『ラン』が正しいことを話すか嘘を話すかは完全にランダムです。大城さん、桃原さんに課せられた課題は、『YES』または『NO』で答えられる質問を三回することによって、A、B、Cの正体を特定することです。ただし各質問は、ただ一人の神様に向けて行うものとします。神様は人間の言葉を理解しますが、回答は彼ら独自の言語で行われます。その言語では『YES』と『NO』に相当する言葉は『ダ』と『ジャ』ですが、どっちがどっちを意味するのかをあなたは知りません。注意点その一、ある神様が複数回の質問を受けることもあり得ます。したがって、その場合には質問を全くされない神様がいます。注意点その二、次の質問内容およびそれを誰に回答してもらうかは、前の質問に対する回答に依存しても良いです。注意点その三、『ラン』が本当のことを話すかどうかは、彼の頭の中で秘密裏に行われるコイントスによって次のように決定されると考えてください:コインの表が出れば本当のことを話し、裏が出れば嘘を話す──これは、『The Hardest Logic Puzzle Ever』、つまり『史上最も難しい論理パズル』と名付けられた問題です。制限時間は先ほども言ったとおり一時間。正直この問題を一時間で解ける人は天才じゃないかと思います。だから二人とも百点満点は難しいので、正解とまではいかなくても、私たち講師の判断で論理的な説明が正しければ部分点もありとします。では今からA4の白紙を配りますので、それに書きながら考えて下さい。もちろん紙が足りなければ追加の用紙も差し上げますので言って下さい。解けたら挙手して、隣の部屋で実演して頂きます。A、B、Cの神様役は私たち講師が担います。いいですか。ではー、はじめ!」

 宮田先生の号令とともに、一時間の苛酷な頭脳戦が幕開けされた。


 教室内がざわついている。

「何? この問題?」

「難しすぎるでしょ? コレ!? あり得ないよ!」

「ランダムで回答する神様とか意地悪いな!」

「本当に、たったの三回で特定できるのかよ!?」

「『YES』と『NO』に該当する回答も明かされてないんだぜ」

 理系EHQという最上級クラスの生徒たちであっても、あちらこちらから早くも音を上げている。

「皆さん、お静かに! 一応テスト中ですので、教室にいるなら彼女たちの邪魔にならないようにして下さい」と、すかさず宮田先生がギャラリーへ注意をする。


 確かにこの問題は難問過ぎる。

 この問題は至ってシンプル。確かに複雑な計算式は一切必要としなさそうだ。しかし問題を聞いただけで難問であることが分かる。解答者を苦しめる要素は二つ。まず、『YES』と『NO』をランダムに回答する神がいること。二つ目は『YES』と『NO』に該当する回答がこちらには分からないこと。その二つの障壁を、たった三つの質問で解決しつつ三人の神様を特定しなければならない。

 ぱっと見た感じで、この問題は解のない問題とも取れる。しかし、そうではないのだ、おそらく。どこかに解決の糸口があるはずだ。シャープペンシルを手に取りさっそく白紙のA4紙に書きはじめる。優梨はありったけの思考回路をフル回転させ、様々な仮定の下に三人の神を特定する方策について検証した。

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