第二章 入塾(ニュウジュク)  5 陽花

 教職員室では、宮田先生が若干忙しそうに他の講師と話をしていた。陽花たちを見ると、話を切り上げこちらに向かってきた。

「ごめんね。みんな呼び出しちゃって。ちょっとだけ時間大丈夫かな?」

「いえいえ。私たちは大丈夫です」三人を代表するかのように優梨が返答した。

「ありがとう。あ、まずみんな試験お疲れ様でした。成績はみんな見たかな?」

「掲示板に貼り出されているものは確認しました」と、優梨が言う。

「大城さん、日比野くん、河原さん、三人ともさすが理系EHQだけあって素晴らしい成績ね。大城さんは一位、日比野くんは二位で、どこでも好きなところに合格できるレベルだし、河原さんも入学試験や毎週の定期テストよりも成績が格段に上がっているわね。みんな危なげない成績で、来週からも理系EHQクラスのリーダーとして引っ張って欲しいわ」

「はい、ありがとうございます!」優梨がそう言って頭を下げると、つられるように陽花も頭を下げた。日比野は無表情だ。

「で、本題に入るけど……一人あまり見覚えのない生徒がいたと思うけど。気付いたかな?」

「総合成績三位の子ですか?」

「そうそう! 桃原さんって言って彼女、理系NHQの所属なんだけど」

「それは私も気になりました」

「実は彼女、四月の終わり頃に入校してきた生徒なの。理系クラス志望だけど、入校時の振り分けテストはもう終わってしまっていたから、とりあえず便宜的に標準クラスの理系NHQに入ってもらったの。そしたら、見た目によらずって言ったら失礼だけど、彼女めちゃめちゃ切れ者で、NHQながら三位を取っちゃったわけ。これは誰が見てもEHQに入ってもらわないといけないくらいの学力だわ」

「なるほど。途中で入校したからNHQなんですね。納得です」

「そう。そうなんだけど、彼女、驚くことに平均よりちょっと上くらいのレベルの公立高校の生徒なのよね。偏差値で言うと55〜60くらいかな。だから無難にNHQを勧めたのよ。もし中途入校の生徒が滄女や日比野くんの銅海どうかい高校のような進学校の生徒ならNHQは勧めないわ。SHQあたりを勧めています。でもいきなり三クラスも上に上がるケースは千種進学ゼミ史上初なのよ」

「そういうことだったんですね」

「その三位の桃原さんは、公立高校で、おそらく学校の授業と理系EHQの授業内容にかなりの開きがあると思うわ。だから、もちろん私たち講師も彼女の学力を見極めながら補講を進めていくけど、あなたたちリーダー、副リーダーにも彼女が困ってあげたらサポートをお願いしたいわけ」

「分かりました。でも、総合三位を取るような生徒を、私たちが教えられますかね」

 それは同意見だ。陽花はその桃原という生徒よりも下位だ。むしろ自分がサポートされる立場ではないか。

「サポートって言っても、勉強を直接教えるのは私たちの仕事だから、生徒であるあなたたちにそこまで求められないわ。もし学校の授業の内容の差に戸惑っているようなことがあれば、声をかけてあげたいわけ。もちろん特に困っている様子がなくて本人が望まなければ、別にいいかもしれないけど」

「なるほど」優梨は落ち着いた声で返答した。

「あ、そういうことなら」と、陽花は明るい声を出す。

「ありがとう。次週からよろしくね」宮田先生も、一つの懸案事項が片付いたかのような安堵の表情を見せていた。


 今日は月曜日なので理科二科目の講義だ。これから化学の講義が始まる。理系EHQの人は全員、一科目は化学を選択しているので、三人とも同じ教室だ。なお、もう一科目を物理、生物、地学のどれにするかは、人によってまちまちだ。地学は非常に少ないらしい。それゆえ、千種進学ゼミでは地学専門の先生はおらず、生物の先生が地学の講師も兼任して教えているらしい。

 教室に向かっていると、珍しく日比野が口を開いた。

「あの、さっき宮田先生が言っていた桃原さんという人だけど……」

「えっ?」陽花は、日比野が話しかけてきたことに驚いて頓狂な声をあげた。

「実はその桃原さんが統一試験のとき席が俺の隣だったみたいで、見たんだ。答案用紙回収のときに名前に『桃原』って書いてあったから名前を覚えていたんだけど」

「そうなの」

 陽花は、頭脳は優秀だが、地味な風体で寡黙でいかにも生真面目そうな日比野の一人称が『俺』だということを意外に思った。そんなどうでもいいことを頭によぎらせながら、話を聞く。

「さっき、宮田先生が『見た目によらず』って言ってたよね。本当にそうなんだ。髪の毛は赤いし、ギャルとまでいかないんだけど、今どきのちょっとチャラい感じ、よくいえばオシャレな女子高生だった」

 ギャルとかチャラいとかオシャレとか、どれも日比野には似合わないフレーズで、陽花は思わず噴き出しそうになってしまったが何とかこらえる。しかし、オシャレな女子高校生って、陽花も優梨もたぶんそれに当てはまるから、世間的には自分たちも『見た目によらず』なのかもしれない。

 日比野は続けた。

「で、ちょっとだけ、お、大城さんに似てる気がする」

「その子と優梨が?」意外な発言に陽花は驚く。

「ええっ?」静かに聞いていた優梨も反応を見せた。「ギャルっぽいところが?」

「ち、違うよ。ファッションや雰囲気じゃなくて、顔の造形がだよ。何かどことなく似てる気がするんだよね。ひょっとして身内じゃないかと思ったくらい」

「いやいや、本当に聞いたことない名前だし。少なくとも従姉妹いとこ以内の親等にはいないはず」

「そっか。俺の思い過ごしか」

 日比野は、真面目に見えて、たまたま隣になった女子の顔をまじまじと観察していたのか。彼の行為を非難するつもりはないが、成績二位でありながら結構美人好きなのだろうか。これはもちろん、優梨に似ているという日比野の発言が正しいという前提で、見たことのない人物を『美人』と評しているだけのことだが。日比野も面食いで美女好きかもしれないことこそ、『見た目によらず』ではないか。

 日比野の見た目はお世辞にも良いとはいえないが、これらの発言で若干ながら親しみを感じたのも事実ではあった。

 しかし、次に発せられた日比野の言葉は、別の意味で不似合いで意外なフレーズだった。

「桃原さんだけど、何と言ったらいいか分からないけどただ者ではないオーラを感じる。隙がないと言うか、油断ならないと言うか……どちらかと言うとネガティブな意味でね」

「どういうこと?」

「上手くは言えないし、論理的な回答じゃないから申し訳ないけど、何と言うか裏がありそうな……」

「日比野くんのその勘は信じていい?」

「そう念を押されちゃうと、非常に困るけどな」

 日比野はそう言うと苦笑いの表情を見せた。苦笑いとは言え、日比野が笑顔を見せたのはおそらくはじめてで、陽花はそちらのほうが驚いた。


 翌週の月曜日、理系EHQにくだんのニューカマーが加わった。

桃原ももはらさとです」

 その少女は、最優秀クラスの生徒らしからぬ蘇芳色の髪を揺らしながら、にっこりと笑顔を浮かべて挨拶した。

 確かに彼女の美しく整った顔立ちは優梨に共通するものを感じさせた。

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