第一章 入学(ニュウガク) 15 影浦
「お
「ほう。顔を見ただけで、察しがつくか」西本は挑発するように言う。
「あのチンピラのガキの……」
「チンピラじゃねぇ! お前に
「名前なんざ知ったこっちゃねぇ」
「貴様! よくも、俺の弟をやりやがって!」
「お前は、自分の弟をどんだけ色眼鏡で見てんだよ! どこからどう見たって悪党じゃねえか」
「貴様に言われる筋合いはない! 俺は弟とそのダチを袋叩きにする影浦と、俺をレギュラーから引きずり下ろそうとする風岡が許せねぇ。風岡は、影浦とタッグを組んで、きっと脅迫まがいに俺を貶めようとしたんだろう? そんなことされて
「妄想力だけはいっちょまえだな。小説家にでもなったらどうだ。そんくれぇお見事なお前の作り話だ!」
「うるせえよ! しかも今度は桃原にまで手を出すか!? 風岡に襲われて傷心の桃原をよ?」
「ああ、襲ってやったよ! バカ野郎が!」夕夜はしたり顔で嘲笑し、挑発した。
「なめやがって!」
西本は夕夜を睨みつけながら金属バットを振り上げ、一気に距離を詰める。その足は速かった。
しかし……
喧嘩で百戦錬磨の夕夜は、立ち位置を微動だにすることなく、左脚を素早く振り上げて金属バットを蹴り飛ばした。二十メートルほど先のコンクリートの上をからんからんとバットが音を立てて転がっていく。夕夜は左手で西本の襟首を掴み、西本の踵が地面から離れんばかりの力で持ち上げた。
「ラグビー部のレギュラーなら金属バットなんかに頼らずタックルで攻めてこいよ! このチキン野郎が! ああ!!?」
西本の表情筋は
そのときだった。
「影浦! もう離してやってくれ!」
鵜飼の声だった。
「何を邪魔してやがる、これからが面白いところなのよ!」夕夜は水を差されたかのように不機嫌な顔つきになるが、左手の力を緩めて西本を地面に下ろした。
「お前、本当にあの影浦なのか?」鵜飼の顔は、まだ信じられない様子だ。
夕夜は鵜飼を
「いるんだろ? 遠くで高みの見物決め込んでねえでさっさと出てこいよ!」
鵜飼の質問に夕夜は答えず、公園の中にいる誰かに話かけた。西本は、
公園の入り口付近の木陰から出てきたのは風岡だった。
「か、風岡!」西本は思わず声を出す。
「何で、俺がいるのが分かるんだよ?」風岡は驚きの表情で夕夜に質問した。
「バカタレが? 俺を誰だと思ってる? 風岡がそんな状況でじっとできる性格じゃねぇことくれぇ百も承知だ!」
「なるほど」風岡は少しだけ呆れたように笑った。
公園には、影浦『夕夜』、西本、鵜飼、風岡の四人が集っている状態だ。千里はまだ多目的トイレの中か。出てこない。
「夕夜、お前、西本さんのこと知ってるのか?」再び風岡は口を開いた。
「こいつはチンピラの兄貴だな。情けねえ顔がそっくりだ」
「ちっ! くそったれが!」西本は吐き捨てるように毒づく。
「どういうことなんだ? 夕夜」
「あ? ただの偶然だよ、こんなもん。こいつの弟たちはな、『しろとり学園』のガキどもを昔っから面白半分でリンチしていたんだよ!」
「え?」西本はビックリした表情を見せる。
「てめぇは、本当にバカ野郎だな。どんだけ弟のこと知らねえんだ! 俺はな、養護施設のガキを守るために、やられる度にチンピラどもをシバいてきたんだ」
「じゃあ、カラオケのときに見たのは……」風岡は口を開く。
「ああ、ちょうどガキの一人がチンピラどもに絡まれてたからな。そうしたら、チンピラの一人、そこにいる西本のおふくろが俺の隣の中学のPTAの役員らしいんだ、バカ野郎! 俺が中学校で出席停止処分喰らったのそういうことだ。マザコンの西本弟がおふくろに泣きついた結果だよ! そして今度はブラコンのアニキか! 笑わせんな! どんだけ家族愛決め込んでんだ! おめでてぇ一家だな。この俺にも分けて欲しいくれぇだ!」
「そういうことだったのか」口を開いたのは鵜飼だ。
「なるほど、影浦が理不尽に暴力振るうわけないもんな」風岡も納得したよう頷いている。
「そういうことだ、分かったか!? 西本!」
「……」
「分かったかと訊いているんだ! 俺は!!」
「……分かった」
「分かったならとっととここから去って影浦の疑惑を解いてこいや! 西本がバットで俺を殴り殺そうとしたと、言ってやってもいいなら話は別だけどな!」
「分かったよ! しつこいなお前も!」
「風岡がシロだって証明するなら、俺は何だってやる! それが瑛の野郎のためになるからだ!」
無言で西本は立ち上がり、公園を去っていく。
「鵜飼も西本を見張ってろ!」
「お、おう」
鵜飼も西本に付いていった。
「影浦、ありがとうな!」
風岡は感謝の言葉をかけるが、夕夜はそれには応答せずに、もう一人の傍観者に向かって声を上げる。
「いつまでも、そこにいてどうする!?」そう言うと、夕夜はガシャンと大きな音を立てて勢い良く多目的トイレの引き戸を開けた。そして、続けざまに言った。「桃原! すべてはお前の計算した上の行動だったな?」
千里は怯えるどころか、その表情はほくそ笑んでいた。
「ご名答。あなたにすべて読まれていたのは誤算だったけど、それ以外のぼんくらどもは、私の手中に落ちてくれたようね」
「じゃあ、俺と仲良くなったのも、西本を巻き込んだのも……」風岡は驚きの表情とともに、表情を強張らせながら言うと、千里は不敵な笑みで説明を始める。
「そう。私は、あなたたちが河川敷で西本弟たちとやり合っていたのを目撃した。それが偶然にも、よく似たお兄さんが
「貴様は、いっぺん地獄へ
後日、件の動画について、千里の口から狂言であったことが明かされたようだ。
また、女子更衣室を覗き見したことも、監督の財布からお金を盗ったのも、証拠不十分ということで、それ以上罪に問われることはなかった。もともと、どの部活の女子更衣室なのかがはっきりしなかったこと、運動部の女子から被害報告がなかったことから、誰かが風岡を犯人にでっち上げるための工作だったという結論に至ったようだ。ラグビー部監督の財布についても、財布の中身に無頓着な監督の性格を利用して、本当は盗まれていないのだが、風岡が盗んだのを目撃したという曖昧な話を捏造することによって風岡の名誉を毀損する行為であった、ということで落ち着いた。
その計画を作り上げた犯人たちは分かっているのだが、その主犯も共犯もお咎めなしだそうだ。共犯の高校二年生の男子学生の親が、PTAで幅を利かせているらしい。一方の主犯の女子学生は、学年での成績がトップだからか分からないが、庇ってもらったのだろう。一部の真相は公には明かされず、有耶無耶にされて事態は収拾した。鵜飼から後で聞いたのだが、西本の居場所を尋ねてきたという黒髪の女性が誰なのかも分からない。事を荒立てたくない学校側とすれば、おそらく非常に
一方、唯一明らかなのは、風岡が先輩を殴ったことであり、校内に多数の目撃者がいる。これだけは捏造しようのない明確な事実であり、残念ながら五日間の停学処分が減じられることはなかった。影浦や風岡にとっては、腑に落ちない結果になった。
しかし、鵜飼がそんな風岡の名誉を挽回させるために、話題に出る度に風岡の疑惑を否定し続けてくれたらしい。ただ、鵜飼は先輩の西本の名誉を傷付けまいと、真相については口を
影浦はそれまで鵜飼のことはよく知らなかったが、今回協力してくれた鵜飼の行動を見て、風岡にはきっと仁の心が厚い仲間が大勢いるのだなと感心させられた。
「実はな、俺ラグビー部を辞めようかなって思ってるんだ」発言の内容に比して風岡の表情は明るい。影浦瑛は解せなかった。思わず問うた。
「嘘? 何で? 風岡くんには非がないじゃない」
「いや、非はあるさ。西本さんを殴ったっていう罪が……」
「それは、僕が侮辱されたからでしょ? 先輩の売り言葉に対して取った行動でしょ?」瑛にしては珍しく何度も問う。
「そうなんだけどさ。やっぱり暴力はいけないからな。いくら親友の影浦がバカにされたって、俺の取った行動は軽率だった。反省している。特にラグビーはチームプレイだ。いくら表面上は仲良くなっても、先輩を殴ってしまったという心の傷はなかなか消えるもんじゃない。心の奥底ではどこかで皆は俺のことを暴力で停学に処された男、と思ってしまうんだ。そんなチームの風紀を乱した人間が一人でもいると、結局上手くいかないんだ。愛する強豪ラグビー部だからこそ、俺がいることによって傷を付けたくないんだ」
「それは一理あるかもしれないけど……でも殴った原因に僕の話題が絡んでいる以上、僕は後ろめたい」風岡よりも瑛の方が肩を落としている。
「それは、影浦に申し訳ないって思っている。影浦こそ非がないのにな。でも、実は真相が分かって、西本さんにも同情するところがないわけでもないんだ」
「そうなの?」
「だってさ、事情を知らなければ、夕夜にボコられた弟を心配しないわけがない。影浦を逆恨みしても、事情が分からない以上仕方ない。そして、そんな影浦と俺が仲良くつるんでいる。さらにはその俺にレギュラーの座を脅かされているかもしれない。西本さんからすれば、俺と影浦にいい印象を持つわけがない。その心につけ込んだのが桃原だろう? 西本さんも無知が祟ったとはいえ、桃原に利用されたという点で、被害者でもあるんだ。影浦を侮辱されたのはムカついたけど、気持ちが分からんでもないんだ」
「すごいな。風岡くんは紳士だね。まぁ、夕夜を受け入れられる時点で大人だよ。
「弥勒? 何だよそれ。どっからそんな例えを持ってくるかなぁ?」先ほどまでさっぱりした表情だった風岡が、瑛のおかしな発言に顔を
「あははは……」瑛は自らの発言に失笑した。
「でもさ、何で、桃原はあそこまで自分の頭脳にこだわるんだろうな。人を
「あ、それは、何か憧れの頭の良い同学年の女子生徒がいるって聞いたような……いや、あれ、目標だったっけな? ライバルだったっけな……?」
「そーいや、桃原そんなこと言ってたな」
「誰か知ってるの?」
「いや、俺の知らない人だって言ってたよ。他校の生徒だって」
「そっか、そんな憧れるくらいすごい人がいるんだ。何か桃原さんの学習欲を引き立てるくらいのパワーを持った人なのかな。それとも因縁があるのかな」
「ある意味、羨ましいよな。俺は、そーゆー出会いがなくて、結局成績落ちぶれちゃったから。影浦と桃原が、俺の出会った中でいちばん頭の良い奴だよ」風岡は、どこか諦めたような顔つきで頭を掻いている。
「僕も羨ましいよ。そんな人、なかなか近くにいないよね」
「あ、いや待て、中学校の友達に一人優秀な奴と、あと小学校時代、クラスメイトに一人天才がいたな。女の子でな。何十年に一人の逸材とか、神童って言われてたような」
「あ、じゃあきっとその人だよ!」瑛は根拠もないのに、何となくそんな感じがした。
「うっそー! まさか? この広い名古屋でそんな偶然はないだろう」
風岡が笑うと、つられるように瑛も「それもそうだね」と笑った。
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