第一章 入学(ニュウガク) 11 影浦
「納得がいかない」
瑛はそう独りごちながら右手で頭を抱えて考え込んでいた。
持病のごとく頭痛は襲ってくる。その正体は自分でも分かっている。そのときに決まって内なる声が聞こえてくるのだ。
『風岡の野郎はシロだ』
夕夜だ。夕夜は断定的な悪態口で、『〜の野郎』と呼称するのが特徴だ。
「そ、そうだよね?」
『お
「んなわけないでしょう?」
この夕夜との会話は
風岡には五日間の停学処分が下された。理由は不純異性交遊ではない。先輩を殴ったことによって、風岡は処されたのだ。
学内で噂されている、不純異性交遊、窃盗、
瑛は、昼休みの時間に風岡に電話をかけた。もちろん皆に見付からないよう校舎裏でだ。繋がらないような予感がしたが、意外にも風岡はすぐに電話に出てくれた。学校と部活動に明け暮れていた人間が、それをごっそりと奪われてしまって、相当手持ち無沙汰だったかもしれない。
「もしもし、風岡くん?」
『おう! 影浦か!』風岡は予想に反して口調は明るかった。自分の
『もう。参っちゃうよな。中学校時代の影浦と同じになっちゃったぜ』自嘲気味に風岡は話す。
「一体何があったの?」
『どこまで聞いている?』
「桃原さんとの動画がアップされたのは聞いた。観てはいないけどね。僕はガラケーだから観られないんだよね。あとは、覗き見だとか、お金を盗んだとか」
『結構噂広まってるんだな』受話器越しに溜息が聞こえた。
「誰かが吹聴してるのかもしれない」
『そっか。参ったな。まぁ、話すと長くなるんだが、誰かが俺を陥れようとしているらしい。俺は無実だ。悪意が働いているのは間違いない』
「そうだよね。風岡くんがそんな過ちをしでかすとは思えない」
『あいつを殴ったのは事実だけどな』
「そうなんだ。でも、殴らないといけない状況を作ったのはその先輩なんでしょ? 余程の理由なく風岡くんが暴力を振るうなんて考えられない」
『ありがとう。影浦は数少ない味方だな』
「夕夜も風岡はシロだって言っているさ。ところで何があったの」
『分からんが、おそらくチー……あ、いや桃原は、俺を
「じゃあ、あの動画はもしかして……」
『桃原が俺を陥れるために、あらかじめ誰かに頼んじゃないのかな』
「ひょっとして風岡くんが殴った先輩?」
『たぶんそんな気がする。さすが影浦、察しがいいな。それとも、それも噂になってるのか?』
「いや、僕の想像だよ。何となくそう思っただけ。殴られた先輩には同情の声がちらほら聞こえてくるけど」
『そうか。西本は
「何で殴ったの?」
『恥ずかしい話だけどな……』そう前置きしてから再び風岡は口を開いた。『俺だけじゃなくて、影浦まで中傷されたからだ』
「えっ?」
『笑っちゃうよな、まったくもう!』風岡の声からは無念さが伝わってきた。『影浦が俺を突き動かしたんだ。影浦じゃなかったら俺は笑って済ませられたのに』
「……」
『俺は、無実の罪が捏造されて、このまま退学になっちまうかもしれんな……せっかく影浦と仲良くなれたと思ったのに!』
そのとき、内なる声が具現化した。
「風岡ぁ! 何、情けねぇ声を出してやがんだ!?」
『ゆ、夕夜!?』電話越しの風岡はひどく驚いた口調で応答する。
「てめぇがそんな態度でどうする!? バカ野郎が! 復学の意志を強く見せてもらわんと、俺だって湿っぽくなるじゃねぇか!」
『夕夜……』
「まぁ、右向け右で風岡を貶すアホンダラどもは、その腐った
『本当に叩きのめしたら、影浦まで停学だな』
「望むところだ! そんときは非行青年同士、カラオケで歌い潰そうや」
『はっは、冗談でも勘弁だな』
「じゃあ冗談でも自分が退学だなんてほざくな! 任せとけ。てめぇはいい結果だけ待っとけ!」
『分かった。頼んだぞ! 親友』
そう言って、夕夜は携帯電話を切った。
「さぁ、どっから切り口を見つけて行こうか」
表出していた人格は『瑛』に切り替わっていた。最近では『夕夜』はあまり表に出てこない。どうしても夕夜が必要とされた時か、心を許したときにしか現れない。基本的には瑛なのだ。
とは言え、
ひとまず影浦は、風岡と千里に関する会話内容や出来事を頭の中でまとめようとした。
とは言っても、風岡はあまり自分に関する出来事をべらべら喋るタイプではない。聞き役に回ることが多い。さらに、瑛も夕夜も相手のことあれこれ詮索する人間ではない。
風岡と千里とのやりとりで思い出されるのは、最近では成績発表後か。あのとき千里は、なぜか風岡ではなく自分に話しかけてきた。それまで親密にしていた風岡を差し置いて自分に声をかけてきたのか。それは単純に影浦の成績が良かったこと以外に考えられない。対照的に風岡は三百位以下だったと落ち込んでいたのだ。
普通に考えれば、自分に勉強を教えてもらうためだろう。ただ、千里は学年一位だ。つまり、風岡では成績の格差でおのれの学習レベルが下がることを懸念したのかもしれない。成績上位の者と知識を研鑽し合い、そして
まとめると、千里は影浦をどうしても勉強仲間に引き込みたいが、条件として二人きりではダメだということだ。風岡が居ることが条件であるが、その理由は風岡に対する好意では決してないのだ。何か戦略的に風岡をその場に居させるのだ。ただ、その意図は分からない。
ここは千里に直接訊いてみるしかないかもしれない。さっそく行動を起こさなければ。知らない間に話が捏造されたまま確定されて、風岡の停学期間が伸びてしまってはならない。そのような使命感に影浦瑛は突き動かされていた。
さっそく五時限目の終了後の『放課』に、瑛は千里に声をかける。
「桃原さん」
千里は思わぬ人物に自分の名前を呼ばれたことに驚いた様子だ。しかしその呼ばれた相手を確認して、少し顔を赤らめた。
「影浦くん。あ、何かな? あ、そうだ! ここではなくて違うところで話しましょ?」
どこか千里は浮ついた様子である。彼女の左手首の内側の古い切り傷が痛々しい。そんな千里に瑛は若干の違和感を感じながらも千里の提案に従って、屋上の入り口付近の階段についていった。
到着するなり、瑛はさっそく口を開いた。何となく、先に口火を切られると千里のペースに巻き込まれ、自分の知りたい話題を展開できないような気がしたからだ。
「あの、単刀直入に訊くけど、風岡くんとの間に何があったの?」
前回千里と話した時は敬語を用いていたのに、自然とタメ口になっていた。
「あれ? 動画は観てないのかな?」
「僕はガラケーだし、パソコンも持ってないから観られないんだ」
「じゃあ見せたげる」
そう言って千里はスマートフォンを取り出す。
おかしい。瑛はそう思った。通常、自分が被害者である動画を、率先して他人に見せるだろうか。性的行為の被害者なら尚更だ。通常であれば、
動画の内容は、確かにこれを観る限りでは、風岡に肉体的に迫られてどこか迷惑そうな表情の千里が映っている。つまり風岡が潔白であることを信じている瑛からすれば、風岡が加害者になるように仕組まれていたのだ。
「これ、誰が撮った動画なの?」瑛が再び問うた。
「え? 知らないよ。でも正義感のある人が私を助けるために撮ったんじゃないかな?」と、千里の表情はどこか白々しい。そう見えるのは、無論、風岡が西本という名の先輩が撮影したのではないかと疑っており、かつ瑛が風岡のことを信じているから、だが。
「それじゃあ変だよ。何で、その撮影者は助けなかったの?」
「知らないよ、そんなの! だって私、誰が撮ったかなんて知らないんだもん」千里は主張した。そして続けざまに不敵な笑みを交えながら千里は呟いた。「でも、風岡くんとの間に何があったかは、影浦くんだけには教えてあげても良いかな……」
千里の、風岡の呼び方は『ヒーくん』ではなく『風岡くん』になっていたが、これは話し相手が瑛だからだろうか。いや、そうではなくて、単に愛想を尽かして他人行儀になっているからだろう。以前、瑛も交えて話していたとき、千里は瑛の前で風岡を『ヒーくん』と呼びかけていた。
「え? 何があったの?」
「待って、ここで話せない。ほら、あそこに生徒がいるし聞かれちゃうかもしれないじゃない。それにもうすぐ授業始まっちゃうでしょ」
「じゃあ、いつ教えてくれる?」瑛は若干苛立っていた。
「授業後なら良いよ。でも条件がある……」
「何?」
瑛が問うと、千里は階段を一段上り背伸びして瑛の耳元に口を近付けて
「あなたにははっきりとした二面性があると思ってるの。とても逞しくて聡明で魅力的な一面がね。その一面を私に見せて欲しいの」
その言葉を聞いて、瑛は言い知れぬ憎悪と戦慄を覚えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます