第22話
「そう、色々大変だったのよ。
避難騒ぎはあったし、クラスメートは教室から飛び降りちゃうし……見ていて思ったもん、ああ、博人君が死んじゃったって。
でも、そうじゃなかったんだよね」
蛇丸神社の本殿床下での礼音の独白。
傍らで話を聞いているのはヌシだ。
「非常ベルの発動に従って、消防車が学校に駆けつけてたの。
結局火事ではなかったのだけど、レスキューの隊員さんがベランダに足をかけている博人君に気が付いて、救助用マットを地上に配備してたの。
博人君はそのマットに落下して衝撃を吸収されたから、無事に一命をとりとめたわけ。
もうダメかと思っていたところ、助かったってわかった時は、全校生徒が大騒ぎ。
ねえ、あんなこと実際にあるんだね。
テレビとかでしか見たことなかったから、私感激しちゃった。
ヌシさんはそういうの、見たことある?」
シャアアアア………
「あまり興味はないか。
人間には人間、蛇には蛇の生き方が尊重されるもんね。
……でも、博人君はどうしてあんなことを仕出かしたんだろ。
危険とは一番縁がなさそうな子なのに、飛び降りるなんて……ん?」
シャアアアア………
「……色々考えられるって?
例えばどんなの?
……魔が差した?
うん……ちょっと違うように思えるなあ。
……誤って落ちた。
うん、まだその理由の方が納得出来るかな。
それにはまず、ベランダの手すりに上った理由が必要なんだけど。
うん………え……誰かに襲われて、飛び降りなくてはならない状況に追い詰められた?」
今まで考えてもみなかった案を提示され、目から鱗が落ちた礼音。
「……それってどういうこと?
すごい理由のように聞こえるのだけど、今ひとつよくわからないよ。
殺されそうになったという理由とは違うの?」
シャアアアア………
「うん……間違いではないけど、正しくはない?
誰かが教室で博人君を狙って襲撃し、ベランダへと追い詰める。
退路をなくしてとどめをさそうとしたところ、そうはさせずにベランダから飛び降りた……」
礼音はその状況を頭の中で再現し、違和感なく受け入れられることを確認した。
「すごいよヌシさん、これよこれ。
正に私が求めてた理由にピタリハマるわ。
でも、誰が博人君を……ん……今日、学校で何があったか?
何がって避難騒ぎとそして……」
蛇にまつわる噂話。
礼音の中で、博人の飛び降り騒ぎと飛び交う噂話がつながる。
「……蛇が博人君をそんな風に追い詰めた?」
そうか。
襲うのが人間だけとは限らない。
蛇に襲われ、それも一度に複数の蛇に襲われて、逃げ道を塞がれてしまった。
そんな状況下で博人が考えたのが、これから自分の身に起きるであろう、人生のピリオドの瞬間だ。
蛇の餌食にされ、腹の中で消化されての最後なんて、考えただけでゾッとする。
そんな最後を迎えるために生きているのではない、それならばいっそ……
「うわ、辻褄が合っちゃう……
合っちゃうけど……やっぱり現実的でないな。
広まっている噂話って、博人君が飛び降りたって話以上に信じられない代物よ。
給食袋やら便器から次々と蛇が飛び出して来たなんて、誰が信じてくれるの。
……ねえ、ヌシさん。
念のために聞くのだけどいい?
怒らせちゃう質問なんだけどね……ヌシさんじゃないよね、これ?」
シャアアアア……
プライドを傷つけてしまったらしく、礼音の服の中に頭から突っ込んで、身体中を這い回るヌシ。
「キャッ、ごめんなさいヌシさん。
今の質問取り消し、取り消させて!
悪気があって聞いたのではないの、本当にごめんなさい。
そうだよね、誇り高いヌシさんが、安っぽい給食袋やら便器から出て来る筈がないもんね。
ちょっと考えたらわかりそうなものなのに、私ったら……ハアッ……」
ひとしきり身体中を這い回って抗議を終え、礼音の襟元から頭を覗かせて、細い首筋に絡みつく。
「本当にごめんね、バカみたいな質問した私を許して。
……私って、やっぱり変わっているのかな。
蛇さん達が苦手じゃないと、友達って寄って来ないのかな。
あの時だって私は……」
春先に開かれたオリエンテーリングは、礼音にとって楽しいイベントというわけではなかった。
この当時はまだクラスに馴染めず、仲のよい友達もいなかった礼音は、半ば強引に寧々とケイと一緒の班に組み込まれた。
どうも2人とはソリが合わず、礼音は一定の距離を保っての付き合いを心がけていた。
原因は一つではなかったが、最も大きな要因は、次のような会話が交わされた経緯がある。
「ねえ、礼音ちゃんは嫌いなものとかある?」
「嫌いなもの……これといったものはないけど」
「ノリが悪いわねえ、何でもいいのよ。
私とケイはねえ、嫌いなものって一致してるの。
この世から最も消えて欲しいもの、それはね……蛇」
「え……」
「ねえ、あんな手も足もなくて、ニョロニョロ動く生き物、絶対に嫌よ。
中には好きで好きでたまらないって人もいるみたいだけど、私から言わせてもらえば狂気の沙汰。
はっきり言って人間失格だわね、蛇と一緒に絶滅しちゃって下さい〜みたいな」
「そうよねえ、蛇が好きだなんて、私知能指数が足りない不良品なんです〜って公言してるみたいなものよねえ。
バカのくせして人間に生まれてきてるんじゃねえよってね、アハハ」
「蛇が好きなどこがいけないの」
よほど聞いてやりたい礼音であったが、胸の内にしまうことにした。
世の中、何でもかんでも感情をさらけ出すのがいいことではない。
妥協点を見出しながら生活するのが無難な生き方だと、子供心に理解していたから。
こんな2人と同じ班のオリエンテーリング、なるべくなら行きたくはなかったが、後々の人間関係に必要以上の亀裂が生じるのを危惧し、渋々ながら参加した礼音。
予想した通り、2人が引っ張る班は息苦しさを覚えたが、それは予想出来たこと。
適当に合わせていたから大きなトラブルもなく、あとわずかでゴールというところまでこぎつけ、いささかホッと気の緩みが垣間見えた頃、トラブルは起きた。
「ごめん、私ちょっと……」
足をもじもじさせながら話すケイの様子で、班のメンバーは事情を承知。
「ええっ……我慢出来ないの?
ゴール地点にトイレあると思うけど」
「……ゴメン、マジやばいから。
……ちょっとその辺りで済ませて来る」
そう早口でまくし立て、走って近くの茂みに飛び込むケイの様子に苦笑いの寧々。
「野ションだなんて品がないことして。
さっきのチェックポイントにトイレがあったんだから、その時行っとけばよかったのに。
頭ないわね」
寧々の言い方に、それ友達に向かって吐くセリフかと思う礼音。
それとも仲が知れた間柄なら、こんなやり取りは当たり前だろうか。
「もうほとんどどこの班の姿が見えなくなってるじゃない。
まさか私達が最後ってことないでしょうね?
ドンケツなんて恥ずかしくて真っ平御免よ。
その時は礼音ちゃん、わかってるわね」
「何が?」
いきなりそんな風に言われても、礼音は何の話かさっぱり。
「鈍いわねえ。
途中で気分が悪くなって班のみんなに看病してもらってたとか言えばいいのよ。
そうすればドンケツの汚名くらいは払拭出来て、評価も上がるってもんよ」
聞いていて礼音はあまりの身勝手さに呆れたが、反論はしなかった。
このタイプに抗議しようものなら、数倍になって返ってきてしまい、損を被るのは目に見えている。
早くこんなの終わらないかな。
「キャアァァァァッッッ!!!!!」
つんざく悲鳴が聞こえて来たのはそんな時だった。
班のメンバーらは顔を見合わせる。
「ケイ……?ケイ!」
ケイが消えた茂みに向かって走り出し、一斉に飛び込む。
思っていたよりも深い茂みに逡巡しながらも、みんな声を上げてケイに呼びかける。
「ケイ!どこなの!」
「ケイちゃん、聞こえたら返事して!」
「ケイちゃーん!」
茂みは奥まるほどに緑が濃くなり、メンバーらはたちまち離れ離れとなってしまい、そこかしこから声が響く。
「キャアアアア!!!」
またしても響くケイの悲鳴に声が止まる。
礼音は聞こえて来た方角に見当をつけ、茂みをガサゴソ音を立てながら掻き分けながら突き進む。
しばらくして深い茂みを抜け、開けた場所に飛び出した。
そこにケイはいた。
まだ下着を下ろしたままの格好で地面に突っ伏し、青ざめた表情でガタガタ震えて固まっている。
「ケイちゃん……?」
「あ、あれ、あれ…‥‥」
まるで力の抜けた声で何事かを訴えるケイの横をすり抜け、確かめる礼音。
一匹の蛇が地面を這いずっていた。
中々に太く長い胴体をゆっくりとくねらせながら、ズルリズルリと動いてゆく。
やけに重たそうに動いているなと感じた礼音、蛇に近寄ってよく観察にかかる。
胴体の一部が大きく膨らんでいるのを見つけた。
どうやら獲物を仕留めて来た帰りであるらしく、それで動きにムラが見られるのだ。
「は、早く、早くそれを始末して……」
情けない格好で情けない声を上げてわめくケイを振り返る礼音。
「始末って……それは言い過ぎだよ。
ちょっとどいてもらえば済む話なんだから。
ごめんね、悪いけどほんの少し進路を変えてくれる?」
礼音の声に一寸動きが止まる蛇。
何事かを考えてる風であったが、間もなく方向を変えて動き始めた。
「ありがとう、蛇さん。
たくさん子供を産んでね」
軽く手を振って蛇を見送り、振り返ると呆然とした体で見つめる寧々とケイの姿。
「大丈夫だよ、もう行っちゃったから」
「……今のって何」
「ん……今の蛇、妊娠してたみたいだから。
産卵はもっと先になるだろうけど、妊婦さんには優しくしなくちゃ」
「そうじゃなくて!
……あなた、蛇を何とも思わないの」
「……そんなに嫌う必要ないんじゃ。
こちらから何もしなければ大概通り過ぎちゃうだけだし」
「私……私、今襲われかけたんだよ!
咬まれたりしたら毒が回って危うく死ぬとこだったのよ!」
「毒って……今のは毒なんて持ってない種類の蛇だよ。
そんなに凶暴な性格でもないし、ヒステリックに騒ぐことないと思うけど」
「……行こ」
寧々に促され、立ち上がって下着を履くケイ。
2人の礼音を見つめる目から友好色が消えた。
それは子供とは思えない、暗く沈んだ冷たい目。
礼音はこの瞬間から、異分子扱いされることになった。
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