第21話

学校は相次ぐトラブルに急遽臨時休校を決定し、全校生徒を帰宅させる処置をとり、緊急の保護者会が開催される運びとなった。


夕方近くの時間になってはいたが、会場となった体育館には大勢の保護者が集まり、校長をはじめとする学校側の代表者らに厳しい意見がぶつけられた。


行方不明事件に始まり、避難騒ぎ、そして全校生徒が目撃した状況下で起きた、生徒の飛び降り事件。

特に今回発生した飛び降り事件についての説明と生徒達の心のケアを求める意見が相次いだ。


目の前で生徒が3階の教室から飛び降りるという、あまりにもショッキングな事態を目撃してしまった生徒達である。

大人からしても大変な事態であるのに、子供からしたらどれだけのショックであったことか。


実際、生徒達の中には泣き出してパニックに陥る姿が多数見られ、連鎖するようにその数を増やしてしまっていた。

目に見えぬ心のダメージを心配する保護者の意見は、最もなものであった。


騒ぎを聞きつけてマスコミも学校に集結し、シャットアウトされた保護者会の様子を伺おうと、体育館を取り囲んでの聞き耳合戦が展開。


さらには会を終えた保護者らを直撃取材する姿があちこちで展開されることになる。

取材に応じる者の姿もあったものの、全体では何も答えず足早に立ち去る保護者の姿が多数であった。


この騒ぎは早々とニュースに取り上げられ、学校の威信に大きな亀裂が入れられる結果へとつながってしまった……




今回の騒ぎに大きなショックを受けたのは、生徒だけにとどまらない。

教師達にも騒ぎの波紋は広がり、中でも担任である麻美のショックはことの他、深刻なものであった。


クラスの中でも成績優秀で、学級委員を任せるほどに信頼していた生徒が、目の前で教室から飛び降りる姿を目の当たりにした麻美。


はじめは何が起きたのかわからなかった。

自分の中の常識を超える想定外の出来事に直面し、理解が追いつかずに混乱を来たしてしまった。


博人君が、私の受け持つクラスの生徒が飛び降りた。


現実を知った麻美は生徒達がパニックを起こす校庭の片隅で、静かに崩れ落ち、意識を失った。


目を覚ましたのは体育館で保護者会が開催されている最中のこと、保健室のベッドの上で麻美は意識を取り戻した。


ぼんやりと視点の定まらない瞳で天井を見つめる麻美の視界を塞ぐように、保険医の茶子の顔が現れる。


「気が付いたね、麻美君」


「茶子先生……私……」


「気分はどうよ?

まあ、爽快なわけはないだろうが、少しは休んだおかげで、落ち着いたんじゃないか?」


麻美と茶子は今年学校に配属された者同士である。

年齢は茶子の方が5才年上であり、教師と保険医の違いはあれど、先輩後輩の間柄。


共に配属されたこともあり、よく相談相手になってもらっている。


「喉が乾いたろう。

今、ギンギンに冷えたお茶を淹れて来てやる。

私としては、冷えたビールの方がいいんだけど、一応勤務中だからな」


「茶子先生、あれから……どうなりました?」


麻美の中では博人が飛び降りた箇所で、記憶が止まっている。

脳と心のショック防止のため、身体が一時的なフリーズモードをオンにした結果と思われる。


「今、体育館で緊急の保護者会が開かれてる。

余計な話を聞きつけてマスコミ連中もやって来てやがるよ。

奴等見ていて思ったけど、例えるならあいつらイナゴだな。

飯の種になりそうなものがあれば集団で押しかけて獲物を喰らい尽くす。

私の田舎でよく見られた光景に通じるものを感じたよ」


「保護者会……そう。

だったらこうしていられないわ……」


「おいおい、どうしようってんだ?

麻美君、もしかしたら今から保護者会に出席しようとか考えてないよな?」


起き上がろうと半身を起こした麻美に茶子の声が飛ぶ。


「保護者の方々が集まって、学校側と話し合っておられるのでしょう?

それならばいつまでも寝てなんていられません、担任教師としてこんな事態に陥った謝罪と説明を……」


「出来るってのか?」


ストレートに茶子に突っ込まれ、黙り込んでしまう麻美。


「君が行ったところで何が出来るんだ?

説明するも何も、詳しい経緯は何もわからないだろうに。

それに謝罪ってのは何だ?

君が生徒に飛び降りを強要したわけでもないのに、どうして謝罪の必要があるんだ?」


「私は担任教師です。

生徒の心の状態に気付いてあげられず、見殺しにしてしまった責任があります」


「責任?

君はそんなに自分を追い詰めて楽しいか?

もしもそうなら止めはしないが、その表情からするとそうではなさそうだ。

……ほれ」


淹れたお茶を麻美に渡し、自身も手にしたお茶を飲む茶子。

麻美は飲む気分でないのか、受け取ったお茶をじっと見下ろしている。


「いいか、麻美君。

1人の教師の力が及ぶ範囲なんて、ごく限られたものだぞ。

私はこれでも現代の教師がおかれた実情なんかは理解しているつもりだ。

君みたいな新任教師でも、膨大な量の仕事を任されている筈だ。

それに加えて30人からのクラスを受け持ち、1人1人のケアも心がけるか?

どこかでエア抜きしないと、君の方がどうにかなってしまうぞ」


「しかし私には責任があります。

このまま何もしないで放り投げるような真似をしたら、博人君に会わせる顔が……」


「死んでないよ」


茶子の言葉の意味を理解するのに、しばらく麻美は時間を要した。


「……ごめんなさい、茶子先生。

今、何ておっしゃったの?」


「だからね、君がさっきから話している博人君は、死んでないの。

生きてるよ、しっかりと」


……生きてる。

博人君が、生きてる……?


「……嘘。

だって……私、見てたんです。

博人君が、3階の教室から飛び降りる瞬間を。

いいえ、私だけではないわ。

全校生徒が、先生方が、その瞬間を目撃していた筈だわ」


「だろうね。

私もその中の1人だから」


「生きてるなんて……そんな気休めはよして下さい。

あんな高さから飛び降りてそんな……」


「そんなこと言われてもなあ、生きてるんだから死んだなんて嘘をつくのはちょいと憚られるんだけど。

そんなに私の言葉が信用出来ないなら、いっそ本人に会って確かめるか?」


「え……?」


茶子はそう言って意味深な笑顔を麻美に見せ、仕切りのカーテンに手をかける。

保健室には2つのベッドがあり、プライバシー保護の目的から、間に仕切りのカーテンがかけられているのだが……


「ごめんな、どうも私の言葉じゃ信じられないみたいだから、直に説明してやってくれ」


そう言って茶子は仕切りのカーテンをサアッとオープン。

片側のベッドに寝かされている小柄な生徒の姿が目に入る。

麻美は目を見張る。

今ほど自分が見ている光景が、現実のものに思えぬことはなかった。


博人の申し訳なさげな笑顔がそこにあった。







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