第20話
警報はずっと鳴り響いたままであり、一向に鳴り止む気配はなし。
耳障りなベルを聞いていた生徒は皆一様に動揺と不安を揺さぶられ、逃げた方がよいか相談している。
「みんな、すぐに避難するわよ!
廊下に一列に整列して!」
担任の麻美が教室に飛び込んで来て、緊張した面持ちで生徒らに避難命令を下す。
「先生、これって避難訓練とは違うのですか?」
生徒の1人が呑気な質問を発したことが、麻美の焦りに火を点けた。
「本番よ!
わかったら早く避難する!
急いで!」
麻美の指示を受け、生徒達は緊張から廊下に出て男女各一列ごとに並び、出席番号順の点呼を取る。
「全員いるわね?
それでは今から安全を確保しながら校庭に避難します。
落ち着いて先生の後について来て下さい」
麻美の後に続き、ゾロゾロとついてゆく生徒達。
皆緊張感や不安を感じてはいるものの、同等に戸惑いを感じる生徒の姿が少なくなかった。
無理もなかろう。
非常ベルは鳴り続けているのであるが、火災が発生している様子はなく、至って日常と変わらぬ校舎の中を避難する格好であるからだ。
「あの先生、一体どこが火事なんですか?
どうもそんな雰囲気は見られないみたいですが」
クラスの学級委員として、列の先頭を歩いていた博人が、前を進む麻美の背中に話しかける。
「先生もよくわからないの。
職員室から教室に向かうまでに目視はしてみたのだけど、これといって非常事態が発生している様子がどこにもなくて……とにかく非常ベルがこのような状態であることを考慮して、全校生徒の避難が決定されたの。
何もなければそれでよし、みんなしっかりとついてくるのよ!」
麻美の先導に従い、機敏な動作で効率よく移動したのが功を奏し、3階の教室から校庭に無事避難をし、生徒達から安堵の表情が浮かぶ。
「やれやれ、とんだ騒ぎになったもんだね」
「結局、どこが火事だったの?
炎も煙も全然見えないじゃないの」
「私は男子トイレだって聞いた。
生徒の誰かが隠れてタバコを吸ってたことによる、火の不始末だって」
「あら、私は理科室からって聞いたわ。
実験中に大きな事故が起こって、部屋中に火が燃え広がったって」
「ああ、もう。
上履きで出て来ちまったから土だらけじゃんか。
土落とすの面倒だなァ」
「今、先生達が集まって話してるの聞いたけど、やっぱり火事なんか起きてないらしいんだ。
こりゃあ大変だ、火災報知器を取り付けた業者に賠償請求しなきゃな」
「お、5円玉見っけ」
みんなにも余裕が出来たからか、そこいら中で始まる会話の数々。
突然の出来事に当初は驚いていた生徒達であるが、こうして無事に避難が終了すれば、イベントの一つくらいに思えて来るもの。
「やーねー、どうも報知器の誤作動が原因みたいよ。
そんなことってあるもんなのねえ」
「そうかしら。
火災報知器がいちいち誤作動起こすようなら、大問題だと思うけど。
火事ではないけど、実はボヤ程度のもので、その煙を感知したとは考えられないかしら?」
「大したことなくてよかったね。
本当に火事だったらどうしようかと思ってたから……」
「平気よ平気。
学校で火事になったとか、滅多にありゃしないから。
今日はこの学校の厄日かしらね、変な噂話は広まるわ、避難騒ぎはあるわ、散々じゃないのよ」
「付け足せば、行方不明者が2人も発生している学校よね」
「本当、一度お祓いみたいのしてもらった方がよくない?
呪われてるって、相当強力な地縛霊に」
「やだ、波留ちゃん。
そんな話しないでよ、私幽霊の類い苦手なのに……」
「あら」
麻里矢が何かに気が付いた声を上げ、振り向く波留と礼音。
「どした?」
「……今、博人君がすごい勢いで走って行ったの」
麻里矢に指摘されて博人の姿を探してみるも、全校生徒が集まっている校庭から見つけるのは容易ではない。
「これじゃ見つからないよ、子供が多くてさ」
「自分だって子供じゃない。
どうしたんだろ、博人君。
こんな状況下で勝手に行動したりして」
「トイレとかじゃないの?
緊張が解けたらもよおして来たとか。
いずれにせよ困ったものね、学級委員て立場の人間が、クラスのみんなほっぽり出して、どこ行っちゃったのやらね」
「どうしたんだろ。
やっぱり今日の博人君、おかしいよね……」
博人は先生達の目を盗んで校庭から抜け、教室を目指して全速力で走っている最中だった。
博人の顔は完全に青ざめていた。
そんな筈はない、そんなバカなことが……
つい今しがた目撃した光景が忘れられず、何度も脳裏をフラッシュバックする……
無事にクラス全員を校庭に避難させたことで、他の生徒同様、ホッと息をつく。
突然のことで緊張が走ったが、そこは学級委員として慌てず騒がずを心がけて行動出来た自分に胸を張ってのグッジョブ。
まあ、僕にかかればこんなものだろうさ。ハハハハ。
1人よろしく鼻高々になって自画自賛の博人、何気なく見上げた3階にあるクラスの教室。
誰かいる。
クラスだけではない、全校生徒が避難してもぬけの殻である筈の教室から、人影が校庭の様子を見下ろしていた。
博人が気付いたのを知ってか知らずか、一瞬にして視界から消えてしまったために、男か女の子かの判別は難しいが、人の姿をしていたと思う。
考えるよりも早く、身体が行動を起こしていた。
校舎に向かって走り出している自分に、自分自身がびっくりしている。
ああ、僕は今教室へ向かうために走っているんだな。
でもなぜ?
わかっているだろ。
今しがた目撃した人影の正体を確かめるためさ。
どうして?
それも想像ついてるだろ。
人影に心当たりがあるからさ。
知るか、そんなの。
いや、それは嘘だね。
お前が校庭から教室を見上げたのは偶然じゃない。
秀才である自分のことだ、もちろんまだ覚えているだろ?
校庭に避難してお前の頭に、どこからか聞き覚えある声が聞こえてきただろ?
こっちを見て。
その声に従い、教室を見上げて人影に気が付いたんだろ。
誰であるかも予想はついているくせに、知らないふりなどして……
校舎に飛び込み、無人の廊下を一気に突き抜ける。
非常ベルはまだ鳴りっぱなしであったが、今の博人にはどうでもよいことであった。
3階の教室を視界に捉えて、スパートをかける。
隠れるような真似はせず、教室の出入口まで走り込み、室内を睨みつける。
誰もいない。
その予想はついていた。
それを承知でここまでやって来たのだから。
弾む息を整え、緊張した面持ちで教室に入る。
毎日過ごしている場所であるのに、息苦しさを感じるのはなぜか。
周囲に目を配りながら窓側に近寄り人影を見たと思しき辺りを注意深く観察。
…………特に変わった形跡はなし。
いささか拍子抜けする博人だが、それで終了にはならない。
何か残ってないか、僕に残されたメッセージのような何か……
動きが止まる。
蛇が博人をじっと見つめているのに出くわす。
それはまさに大蛇。
体長はゆうに博人の上背を上回り、縁起でもない例えだが、簡単に子供くらいは飲み込んでしまいそうな大物が、感情の読めない目で獲物を物色していた。
後ずさる。
そうする博人の動きに合わせるみたいに、蛇もゆったりとした動きで距離を調整する。
こいつはいつからここにいたのだろう?
こんなのがこんな身近に潜んでいたのに、僕は気が付かなかったのか?
窓の外には校庭に集まる生徒達の姿。
滑稽だ。
ほんの数分前はあの場所にいたのに、数分後には教室で蛇の獲物になってしまっているとは。
シャアアアア…………
威嚇の声を上げながら口を開けて捕食準備に入る。
鋭く怪しく光る牙。
あれが喉元に突き立てられて絶命したところをひと飲みされるわけか。
蛇の腹の中が人生の終着点だなんて、真っ平御免だ。
どうする?
考えあぐねているところ、蛇がわずかに頭を低くしたように見えー
「シャアアアアア!!!!!」
目前に迫る牙。
ものすごい力で吹き飛ばされ、窓を突き破ってベランダに叩きつけられる博人。
「…‥‥!」
あまりの痛みに顔をしかめ、全身をもんどり打つ。
ケガは……大したことない。
割れたガラスの破片が飛び散り、何カ所に傷をつけていたが、それほどの深手にはなってない。
蛇を睨みつけながら博人は立ち上がる。
そんな様子を威嚇をしながら攻撃の機会を伺っている。
ここはベランダ、教室同士の行き来を遮断するための仕切りはなされておらず、各階全ての教室がつながっている。
何も教室から逃げることはない。
スキを伺ってベランダ伝いに逃げられれば………
「………!」
隣の教室から、大きな蛇が姿を現した。
何ということだろう、退路をふさがれてしまい、まさかの挟み撃ちの格好を受け、万事休す。
「マジかよ……」
2匹の蛇に身体を千切られるイメージが先行し、追い詰められた博人。
極限状態に陥った恐怖から逃れようと、ベランダの手すりに脚をかける。
2匹の蛇は容赦なく距離を狭めて近寄り、獲物の仕留めにかかりに来る。
そんなハンター達に向かい、博人は笑った。
「僕はお前らのエサになんかならない」
次の瞬間、博人はベランダから飛び降りた。
校庭から一斉に上がる生徒達の悲鳴が、博人にはレクイエムのように感じられた……
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