第9話

翌日ー


麻美が朝のホームルームを行うために教室へ向かっているところで、自分のクラスの周辺に人だかりが出来ているのに気付いた。


「あら……どうしたのかしら?

みなさん、もうホームルームの時間だから、自分のクラスへ戻りなさい」


麻美の号令に、集まっていた人だかりが崩れ、ゾロゾロと自分達のクラスに戻る様子を確認し、教室に入る。


「おはようございま……」


挨拶の途中で麻美の言葉が途切れる。

何やらクラスの生徒が一カ所に集まり、こちらでも人だかりが出来ていた。


「みんな、ホームルームの時間になりましたよ。

すぐに席に着きなさい」


麻美の言葉に数人の生徒が反応し、困った表情で見返してくる。


「どうしたの?

これじゃいつまでたっても始まらないわよ、遊ぶのは休み時間中に……」


「先生、これ……」


1人の生徒が声を上げたのを合図にしたかのように、人だかりが崩れてゆく。


「何?どうしたって言うの……」


何事かと様子を見に近寄った麻美、予想だにしない光景に愕然とする。


生徒達の人だかりの中心には、行方不明である寧々とケイの席がある。


その2人の席の机上に、花が活けられた花瓶が置かれていた。

さらに机には小刀で彫ったと思われる、「祝」の文字……


「それと先生、あれ……」


さらなる追い打ちをかけるように、男子生徒が麻美の背後に注意をうながす。


麻美は唇を震わせながら振り返る。

使い慣れた黒板に、何やら赤色のチョークで文章が書かれている。


「白岡寧々、ならびに蓮田ケイのご冥福、心よりお祝い申し上げます」


その文字の特徴に、麻美は覚えがある。

独特の曲がりくねった安定感のない書き方は、昨日の紙片に書かれた文字と同じ……


「……これはどういうことなの?

先生にわかるように誰か説明しなさい」


強張った表情で生徒達に問い質す麻美ね強い口調に、誰もが顔を見合わせて言い淀んでいた。


「今日は僕が1番早く教室に登校しました」


手を挙げて口を開いたのは、クラス一の秀才こと北川辺博人。

麻美をはじめ、場にいる生徒達の視線が博人に集中する。


「誰もいない教室に入った僕は、違和感を感じました。

何だかいつもの教室と違っているような……ぐるりと教室を見回して、すぐに気がつきました。

寧々さんとケイさんの机の上に、このような花瓶があって、そして……ご覧の通りです」


「……つまり、博人君が教室に入った時から、この状態であったわけね?」


「そうです。

僕は2人の机にも花瓶にも触れてはいません。

それはここにいるみんなも同じで、誰にも指一本触れさせてはいません」


博人の言葉に数人の生徒が頷く。


「この黒板も博人君が入ってきた時のまま?」


「はい。

黒板についても今と同じことが言えます」


そうなると、こんな真似をやらかした何者かは、昨日の放課後から博人が登校してくる時間までに、犯行に及んだことになる。


「……先生は、僕達の中に犯人がいるのではないかと考えてますね」


「え」


博人に指摘を受け、咄嗟に返答出来ない麻美。

博人の言葉に生徒達からも驚きの声が上がり、動揺が拡散する。


「そうではありませんか。

この状況下で真っ先に疑いの矛先を向けられるのは、このクラスの生徒である僕達であることは、容易に想像がつきます。

僕達の誰かが犯人であるなら、こういう悪質なイタズラも簡単に出来ます。

警察なら僕達を犯人の有力候補に考えて当然だと思うのですが、違いますか?」


「そんな……そんなことで俺達疑わられなくちゃならないのか?」


「先生、私達は何もしていません!

本当です!」


「そうだよ!

これはあれだよ、ほら……布きれってやつだよ先生!」


「それ言うなら濡れ衣だバカ!」


「先生は私達を疑ってるんですか?

犯人はこの中にいると思われますか?」


一斉に生徒達から詰め寄られてしまい、返答に窮する麻美。

私は自分の生徒達を疑っているのか?

そんな筈ない、と断言出来ないことが、答えそのものであった。


「ちょっと……みんな、落ち着いて!

静かに、静かにしなさい!」


麻美の声にしんと静まる生徒達。

生徒達と教師の無言の見つめ合い。


「……まずはみんな、自分の席に戻って」


号令に従い、ゾロゾロと自分達の席に戻る生徒達。

全員が席に着いたのを教壇から確かめ、麻美はどう切り出したものかと言葉を選んでいた。

生徒達の心情を傷つけないで済ますベストな言葉はないものか……


「先生、ちょっといいですか」


発言を求めたのはまたも博人。


「何?博人君」


「どうか先生の正直な気持ちを僕達に伝えて欲しいんです。

変にオブラートて包み込んだ作り物の言葉でなく、苦味の強い受け入れ難いであっても、うそ偽りのない真実の言葉を希望します」


自分の心の内を見透かされたようで、思わず博人を凝視してしまう麻美。

プッと息を吹いて肩の力が抜ける。

それで無意識に身体が強張っていたことに気付かされた。


「……そうね。

わかりました、それでは先生の正直な言葉を、今からみんなに伝えたいと思います。

まずは、この悪質なイタズラを行った犯人が、みんなの中にいるのではないかと先生が疑っているのかということですが……正直疑いは持っています」


麻美の言葉に生徒達からどよめきが起きる。


「どうか静かに!

……今、先生は疑いを持っていると言いました。

みんなの中に犯人がいると決めつけているわけではありません。

この話を聞いた人ならまず誰しもが、先生と似通った疑惑を抱くのは当然です。

実際、こんな疑いをかけられて気分を害している人もいることでしょう。

それも当然です。

先生だって同じように覚えのない疑いをかけられたら、腹が立って怒ります。

……ちょっと話は逸れますが、世の中というのは理不尽に満ち溢れてます。

今回のように、身に覚えのない疑いや言いがかりをつけられて追い詰められるケースが幾らもあることでしょう。

反論も許されず、自分が嫌になって、自暴自棄に陥ることもあるかもわからない。

けれども、ヤケを起こす必要などないの。

みんなは自分達が潔白だって1番わかっているんだから。

そうであれば卑屈になることなどないの。

今までと同様、変わらぬ生活をしている姿を見せていればいい。

疑惑は考えられる全ての物事を対象に向けられるもの。

みんなに向けられた疑惑はあくまで数多い選択肢の一つに過ぎません。

必要以上に怖れたりしないで、あなた達らしさを失わずにいて欲しい。

みんなならばそれが出来ると先生は信じています」


麻美の言葉を聞き終えた生徒達の反応は様々。

睨みつけるようにして見つめてくる生徒。

うつむいてじっと言葉を反芻する生徒や何事かをブツブツ呟く生徒。

周囲をキョロキョロして、落ち着きなくみんなの反応を確かめている生徒。

重苦しい雰囲気から気を紛らわすためか、手にしたペンをクルクル回す生徒……


「みんな、ちょっといいかな」


博人が教室の沈黙を破るように声を上げ、みんなの視線を集める。


「……要するにだ、僕達が疑いをかけられるのは至極当然な流れなんだ。

普段から毎日、教室を使って過ごしている場所で、手の込んだふざけた行為が行われた。

まずは先生に限らず、誰だって僕達を疑うのは仕方ないことさ。

僕が部外者であったとしても、まずはクラスのみんなに疑いをかけるね」


「おい博人!

お前もこのクラスにやったヤツがいると思ってるのかよ?」


「それってちょっと薄情じゃね?」


一部の生徒から博人を非難する声がかけられるも、博人は意にかえさない。


「それは違う。

この段階では誰が犯人なのかわからないんだぞ。

私がやりましたと名乗り出てくれるなら即解決だけど、そうじゃないだろ?

だとしたら考えられる容疑者、僕達も含めてだ、全ての人間に疑いをかけるのは当たり前さ。

警察の捜査だってそうやって可能性を一つ一つ潰してゆく手法なんだ、そうして容疑者を振り絞り、1人残った犯人をあぶり出す。

これは現段階で深刻になるようなものじゃない。

普段は静かな水面に多少の波風が立ったくらいのものだよ。

犯人が部外者である可能性だって実はかなり高いんだ。

ちょっと考えてくれたらわかることだけど、このクラスの生徒がいなくなった事件を知っているなら、このイタズラを行うことは出来るんだ。

誰であるかはわからないけど、そいつは事件に興味を持っていて、さらに注目を集めたいと思っている。

そこでこの教室なこっそり忍び込んで、発覚したようなイタズラをやらかす。

行方不明となっている生徒がいる教室で、そんなことがあったとすれば、またテレビやら新聞が騒ぐのではないか。

そう考える人間がいてもおかしくないと僕は思うのだが」


博人の指摘を受けて、ハッとさせられる生徒達。


「そっか、そういう可能性もあるんだな……」


「そりゃあ考えなかったな、どうしてそんなことに気が付かなかったんだ……」


「それはこの教室が現場となって、真っ先に僕達が容疑者候補に加わってしまったからさ。

朝、いつものように学校に登校してくると、おかしなことが起きていて、いきなり容疑者候補に加わってしまった。

そのことでみんな一時的に考えの視野が狭まってしまったんだ。

普段のみんななら冷静に、今僕が話した可能性くらいのことは思い至っている筈だよ。

勘繰るなら、それも犯人の狙いの内かな。

疑心暗鬼になってお互いを疑い合う様子を見て、悦に入る……それでいいのか?

今この瞬間、僕達は犯人の手のひらで、実に下衆でつまらない踊りをさせられているかもしれないんだぜ?

それでみんなは満足か?」


「満足なわけないだろ!」


「そうよ!

あまりにもバカにした話だわ!」


「もしそうなら絶対許せねえ、一発ガツンとお見舞いしてやらなきゃ気が済まねえ……」


次々と上がる生徒達の声に、教室内の士気がにわかに高まる。


「そうだろ?

それならばまずは、僕達が疑いをかけられていることに動揺を見せないことだ。

慌てふためいて騒ぎ立てる僕達の姿は、さぞ遠くから眺めている犯人にしたら、愉快でたまらないだろうからね。

このイタズラをやらかしたのは、これくらいのことしか出来ない、野次馬根性丸出しのお子様だ。

僕達はそんな人間の思惑に踊らされないよう、せいぜい大人の対応をしようじゃないか」


博人の言葉に、クラスから大きな拍手が巻き起こる。

博人は照れ臭げに軽く頭を下げ、みんなの拍手に応える。


成り行きを見守っていた麻美はひとまずホッと胸を撫で下ろす。

とりあえずはクラスのみんなに亀裂が入るような事態は避けられたが……


誰の仕業なのだろう?

肝心なことがわからぬまま、時間は静かに過ぎ去ってゆく……












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