第26話

男の変死体の解剖報告書を受け取った捜査陣は、常識はずれの結果に愕然となった。


「おい、この報告書は本当に正しいのか?

これは誰かがおふざけでイタズラ書きしたものなんじゃないか?」


「いいえ、間違いなく正式な解剖報告書です。

そこに書かれている内容は紛れもなく、真実が書かれたものに相違ありません」


「勘弁してくれ」


報告書を読んだ捜査官は報告書を投げ出し、頭を抱える。


「そんなことがあるってのか。

こんなでたらめな死因、とてもじゃないが会見で発表なんか出来るか。

……勘弁してくれよ」




時刻は間もなく午後の11時を回ろうとしていた頃ー


一つの人影がそっと自宅から抜け出し、周囲を警戒しながら闇夜に紛れて走り出した。



同日同時刻ー


学校では宿直である麻美が1人職員室に残り、やりかけの雑務を黙々とこなしていた。


教師や生徒らが行き交う日中よりも、こうしてガランとした職員室で1人きりというシチュエーションが、麻美のお気に入りだった。

毎日のように何か小言を言ってくる年配教師も暑苦しい体育教師の姿もない。

今この瞬間、麻美が何をしようとも文句を言う人間はいない。


この開放感、麻美にはたまらなかった。

私は今、この学校で一番偉いのよ。

そんな子供染みた発想に苦笑いしながら、仕事のピッチを上げてゆく。


そんな麻美であるが、深夜1人で行わなければならない校舎の見回りだけは、どうしても苦手であった。

やりたくなければ適当にごまかしておけば出来る話なのだが、そんな真似だけはしたくない、根は真面目な麻美。


「……もう少し片付けてから行こうかな」




同日同時刻ー


麻美が受け持つクラスの教室で、不可解な出来事が起き始めていた。


しんと静まり返った教室。

当然ながら生徒の姿も、人がいる気配すらない。

全てのものが翌日の生徒達の登校に備えて、眠りについているような室内で、どこからか物音が聞こえて来る。


それは何か物を床に落としたような音であったり、ゆっくりと拍手を繰り返すような音であったり、誰かの足音にも聞こえれば、席を床にこすりながら動かす音も聞こえて来る。


この不可思議な現象が起きていることに、麻美を始め、まだ誰も気が付いてはいなかった……



同日同時刻ー


波留の自宅に一本の電話がもたらされた。

自分には関係のない電話だと気にしてはいなかったが、間もなく母親が波留の部屋のドアをノックし、顔を出して室内をキョロキョロ。


「何?

入って来るなり娘の部屋の物色?

男連れ込んでいかがわしいことなんかしてないから、安心なさいな」


「そんなのこれっぽっちも心配してないわよ。

……今、礼音ちゃんのお家から電話があったんだけどね。

そちらに礼音ちゃんが伺ってませんかって言うのよ」


「え?

礼音ちゃん、家にいないの?」


「そうみたいね。

うちには来てませんよって電話を切ったのだけど、あんたのことだからね。

1人くらい友達を連れ込んで軟禁している可能性に思い当たってね」


「それが実の娘に向かって母親が吐くセリフ?

哀しくなるわァ、うちの母と娘の信頼関係って、そんなものなの?

泣きたくなるわァ」


「それで礼音ちゃんは来てないわよね?」


「見たらわかるじゃないの。

どこにもいないっしょ?

何なら机の引き出しとか、私のパンツの中も見てゆく?」


「いないならいいわ。

でもこんな時間に礼音ちゃんたら、どこに行っちゃったのかしらねえ。

お母さんにあんなに心配かけて……あんたと違って真面目そうな子に見えたけどねえ」


「何て言いぐさよ。

いないとわかったらさっさと出てく。

私だって年頃の女よ、これからいけない遊びするつもりなんだから、キョッ、キョッ」


手で追い払う仕草をして退室を促す波留。


「何です、母親に向かってその態度は……今度きっちりお父さんに叱ってもらいますからね」


そう吐き捨てて娘の部屋から出て行く。


「怖くないもーんだ。

……いやあ、危なかったわね」


ドアの陰に隠れていた礼音に話しかけ、ニヤリと笑う波留と礼音。


「まだまだ甘いわね、ちょっと部屋に目を通しただけで探した気になっちゃったりして。

探すってのはとことんやってこそ意義があるってもんよね」


波留の前にちょこんと座り込んで、礼音は目を伏せる。


「……思ったよりも早くお母さんにばれちゃった。

ここでじっと隠れていたってどうにもならない、私、やっぱり学校に行く」


礼音の言葉に波留は頷いて見せる。


「そんなに気になるなら行くっきゃないわよね。

私も一緒に行きたいけど、お母さんと来たら、私が、ちゃんと寝静まったかどうか、毎晩見回りに来やがるのよ。

それだけはどうしてもやり過ごせないから、ちょっと遅れるけど」


「無理に来なくていいよ。

私が勝手に決めたことなんだし。

実際、行ってどうにかなるのかわからないんだから」


「いや、何としても行く。

そんな時間に学校で何をする気なのか、気になって仕方ないわよ。

博人の奴、私達を差し置いて……」


礼音は昼間、博人が意味ありげな言葉を繰り返し口にしていたことを、波留と礼音に話して聞かせたのだ。


それを聞いた2人の反応は好対照だった。

波留は意気揚々と目を輝かせて、こっそりと後を尾けて首根っこを押さえてやろうといきり立つ。


反対に麻里矢は乗り気ではなかった。

そんなものは当てにならず、わざわざ後を尾けてまで確かめようとする話ではないと。


礼音はどちらの言い分もわかっていたものの、その時刻にこっそりと学校に忍び寄るつもりでいた。

博人の最近の行動や言動はどこかおかしい。

一体今、博人に何が起きているのか。

確かめずにはいられなかった。


そうして礼音は少し前に自宅から抜け出し、一緒に行動すると言って聞かない波留の家に身を寄せていた。


「それにしても薄情なのはマリリンよ。

行く価値を見出せないとか言っちゃって、これだからクールガールは……」


波留は麻里矢の態度に今になってもなお、憤まんやる方ない様子。


「仕方ないよ、マリリンちゃんの態度も最もなんだから。

あらかじめ言っておくけど、私達が行って何か出来るとは限らないし。

無駄足に終わる可能性だってあるんだから」


「何言ってんの。

真夜中の学校に忍び込むってだけで、行く価値あるじゃない。

私はマリリンと違って、行く価値が身出せないとは考えない。

行くことに価値を見出す人間なの」


波留の言葉に思わず感慨を受ける礼音。


「波留ちゃん、何かかっこいい……」


「まあね。

何ならお姉様って呼んでもいいのよ、私って一人っ子だから、そう呼ばれるのにちょっと憧れがあってさ。

あ、今の話はマリリンには内緒だからね」


波留は自分の口元に指を立てる。


「かしこまりました、お姉様」


「うんうん、いい響きだわあ。

やっぱり妹が欲しいわあ、お母さん今からでも考えてくれないかな」


「波留、静かにしなさい。

声が大きいからこっちにまで聞こえて来るわよ」


部屋の外から母親が注意をして来たことに、波留と礼音は肝を冷やす。


「はいはい、静かにしますよー。

まあ、こんな感じだから礼音ちゃん、もう行って。

私も後から必ず行くから」


「うん。

匿ってくれてありがとう、波留ちゃん。

一足先に行ってるから」


波留の部屋は一階に面しているから、外側からでも容易に入れる。

物音に注意して窓ガラスを開け、部屋を出ようとする礼音に、波留が唐突の質問。


「ね、礼音ちゃん。

今聞くことじゃないのだろうけど、聞いておきたいんだけど」


「うん?」


「博人君に惚れた?」


波留の質問に礼音、目をパチクリ。


「だってさァ……いくら気になるからって言っても、実際に行動に起こすとなると、それなりの理由がある筈よね。

ましてや、礼音ちゃんのような、ちょっと奥手な子はさ」


「……正直、わかんない。

波留ちゃんの質問、今の私には答えるの難しいな。

親しくない友達以上、親しい友達未満、かな。

男としてどうかってなったら、どうなんだろ。

よくわかんないな。

ただね……」


「ただ?」


「……どうしてだろ、どこか私と似ているように思えるの。

頭の良さはまるで違うけど、それでいて懐かしさを感じるというか……何だかはっきりしないけど、そんなところかな。

それじゃ。もう行くね」


靴を突っかけ、足早に闇夜に姿を晦ました礼音をずっと見送っていた波留。


「……背伸びした口きいちゃって。

あの子も成長してるんだね」







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