第25話
「……ったく、秀才のくせして悪運はあるのね。
さすがに私も博人君、ジ・エンドかと思っちゃったわよ。
それが生きてやがるんだから、やんなっちゃうわよ、ねえ」
「何だか生きていたらまずかったように聞こえるね」
「気にしないで。
ハルルは口と性格が悪いだけだから」
「マリリンちゃん、言い方……」
「何をサラッと人の悪口言ってくれちゃってんのよ、マリリン。
別に博人君が生きてるのが気に食わないわけじゃないのよ、死んだと思ってたのがじつは生きてましたァって感覚がね、何だか騙し討ちにあったみたいで、悔しいだけなの」
「それはすまなかったね、変に波留さんを勘違いさせてしまったみたいで」
「そうよ、大体全校生徒が見ている前でヒモなしバンジーやらかすのが悪いのよ。
人のいい私をバカにした真似してくれちゃって。
どう落とし前つけてくれるわけ?」
「どうしてそんな話に……」
「いちいち真に受けてたらキリがないわよ。
この子は今、多感な年頃なんだから。
いちいち小さなことに過敏に反応する難しい時期に差し掛かってるだけ」
「だからマリリンちゃん、言い方……」
「そうやってバカにしてたらいいわ。
私はあんたと違って、感情が豊かなもので。
こんな話に遭遇したら、世間の大多数が私と同じ意見を持つに決まってるじゃないのよ。
ねえ、礼音ちゃん」
「そ、そだね……」
昨日の騒ぎから一夜明けた学校での会話、である。
校内の生徒の大半が昨日の学校での出来事について、このような会話を交わしていたものと推察出来る。
幻の蛇騒動に始まり避難騒ぎ、最後は秀才の公開飛び降りシヨーと、話に上らない筈がない。
生徒諸君にはそれでよかったが、頭が痛いのは教師達の方であろう。
次から次に発生するトラブルに対処しきれず、皆疲れた表情を隠しきれていない。
そんな中、ホッとした表情をしていたのが問題のクラスの担任、麻美だ。
受け持つクラスの生徒の自殺に気を失ってしまうショックを受けた麻美だったが、運ばれた保健室で、生きていた博人と衝撃の面会を果たし、地獄から天国へ救われたように思えた。
よかった、生きていて本当によかったと泣きじゃくりながら博人を抱き締め、感激し過ぎて首を絞めあげたとかどうとか……
「……んで?
結局は何が不満であんなことになっちゃったわけ?
よくやるわよね、3階から飛び降りるなんてさ。
高所恐怖症の私からしたら、考えられない暴挙だわ」
「あら、ハルルって高いところ苦手なの?
それは意外ね」
「何よそれ。
何か引っかかる言い方ね」
「だって何とかと煙は高いところにのぼるって……ねえ礼音ちゃん、私間違ってないわよね?」
「そ、そうだっけ?
私、ことわざって苦手だし……」
「それってことわざだったっけ?」
「うるさい!
まだ私の話の途中、私語は慎む。
あのね、博人君。
そんなに悩んでいることがあるなら、私に相談するとか考えられたでしょうに。
水臭いんだからあんたは」
「だからしなかったんでしょ。
ハルルに相談なんかしたら、話が一気に拡散されちゃうから」
「そうよォ、だってお口ってお話するためにあるんだから……それじゃ私が口の軽いスピーカーみたいじゃないのよ」
「間違ってないでしょ?」
「まあね。
とか言うと思ってんのか、あんたって女は」
「博人君、本当にどうして……昨日みたいなことに……」
「いやあ……そんなに心配されることではないんだ。
そうは言っても説得力ないだろうけど……実はあの時、教室にネズミが現れてね。
僕、ネズミは苦手だから、驚いてベランダへ逃げ出したのだけど、それでもこちらへ向かって来るものだから、思い切ってベランダの手すりにね。
そしたらバランスを崩しちゃって、後は知っての通り……」
息を詰めて話を聞いていた3にんであったが、やがて波留がププッと吹き出し、ついには大笑いし始めた。
「ね、ネズミって……クク、あのチューチュー鳴くアレでしょ?
イ、イヒヒヒヒ……よくテーマパークで見かけるあのネズミでしょ?
あんなのにビビッてベランダから……アッハハハハ……」
「下品な笑い方しないの。
人の不幸をあからさまに笑ったりして……育ちの悪さがばれちゃうわよ」
「だって……イヒヒヒ……普通そんなんでベランダから落ちちゃう?
なりませんて、絶対。
それなのに……そうっすか。
秀才はネズミちゃんが苦手ですか。
ヒ、ヒ、ヒヒヒヒ……」
「ごめんなさいね、決して悪気があるわけではないのよ。
ただ少しだけ、頭の使い方に支障が生じているだけで……」
「マリリンちゃん……」
「いや、いいんだ。
確かにこんな話、笑われて当然だからね。
全く自分でも嫌になるよ、冷静になれば小さな小動物、落ち着いて逃げればよかったのに、僕ときたらあんな……ハハハ、これは確かに笑い話だよね」
「ほらァ、本人が笑っていいって言ってるんだから、笑ってあげなくちゃ。
そうよねえ、秀才君にだって一つくらいは弱味がなくちゃねえ」
「本当、人の悪口になるとハルルってイキイキするわね」
「マリリンちゃん……!
……それで落ちちゃった理由はわかったけど、まだわからないことがあるよね」
「他に何かあったかな?」
「どうしてあの時、教室に戻ったの?
私は見てなかったんだけど、博人君がすごい勢いでどこかへ走って行く姿をマリリンちゃんが見てたの。
教室に戻らなければあんなことにならなかった筈なのに……何か急いで戻る理由があったの?」
礼音の質問に一瞬、口をつぐむ博人。
「それは私も不思議に思ってたの。
あの時そんなに急ぐ理由は何なのだろうって」
「私が思うに……トイレのデカイ方とか?」
波留の意見は完全に黙殺された。
「……実はこの話をすると笑われると思って、誰にも話してないのだけど、聞いてもらえるかい?」
「もちのろん」
「……昨日の避難騒ぎの時、僕見ちゃったんだ。
この教室から外の様子を眺める人影を」
「人影……」
「そして、その、はっきりと断言は出来ないのだけど、その人影……その……………………と思うんだ」
「はい?
あの、ちょっと聞き取れなかったんだけど。
もう一度お願い出来る?」
「……寧々ちゃんに見えたんだ」
博人の言葉に3人共に口をつぐむ。
さすがの波留も想定外の名前に、軽口を叩けない。
「わかってる。
そんなのどう考えたっておかしいだろって……でも、その、寧々ちゃんもケイちゃんもまだ……発見されてないだろ?
ひょっとしたらひょっとして……そう考えたら居ても立っても居られなくなってしまって……」
「……それでどうなったの?」
礼音の質問に力なく首を横に振る博人。
「誰もいなかった。
よほど自分がおかしくなったかと落ち込んだけど、何か寧々ちゃんがいた証拠でもないかと思って教室中を探し回っていたところに……」
「ネズミちゃんと鉢合わせしたわけね」
「……なあ、やっぱり僕は疲れているのかな?
今までこんなことなかったのに、一体なぜ……」
落ち込む博人の姿に、3人はどうしようかという視線を交わす。
「そうねえ……君が嘘をつく理由もないし、困っちゃったわねえ。
ここは一つ、大人の意見を取り入れるためにトロちゃん辺りに」
「信用しないわよ、こんな話。
私達だってそうなのに、常識に凝り固まった大人がどんな反応を示すか」
「……だよね」
麻里矢の意見に、今度ばかりは茶々を入れない波留。
「いいんだ、君達。
これは僕の見間違い、早合点して勝手に騒いで転んだだけのこと。
それで全ての説明が成り立つよ。
おそらくはそんなところなんだろう」
「……博人君はそれで納得出来る?」
「納得も何も、証拠がないんだ。
僕の話を裏打ちする物的証拠がね。
これ以上騒いだところで、誰も得をしない。
どうかこの話もここだけのことにして、忘れてくれ。
じゃあ、僕は用があるから……」
弱々しい笑みでその場から去る博人の後ろ姿が、やけに縮んで見えた。
「私、ちょっと…‥」
礼音が博人の後を追い、前をゆく背中に呼びかけようとしたところで、博人が何事かを呟いているのに気が付く。
「…‥今夜0時、教室、今夜0時、教室……」
呪文のように同じ言葉を繰り返す博人に驚いて話しかけるタイミングを失い、立ち止まって見送る礼音。
「…‥今夜0時、教室……何のことだろ?」
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