第24話
礼音がグッスリと眠り込んでいる様子を確かめ、狛江はそっとドアを閉める。
1人リビングに戻り、テーブルに手をかけて座り込む。
そのテーブルには今朝の朝刊から切り抜いた新聞記事が置かれていた。
その傍らには一枚の古ぼけた写真。
写っているのは若き日の狛江と、その横に肩を並べる男の姿。
その写真は礼音も存在を知らない、狛江の秘密。
本来ならば礼音にも写真の存在を知る権利があるが、どうしても狛江は踏ん切りがつかぬまま、秘匿したままの生活を送って来た。
新聞記事には蛇丸神社境内から発見された、身元不明の成人男性の似顔絵が掲載されていた。
テレビでも報道されていたが、新聞でも似顔絵を掲載して情報を求めることにしたらしい。
じっと狛江は似顔絵を見つめる。
同時に写真にも目を向けて、男の顔と幾つか特徴が似ているのを確かめる。
正直、わざわざそんなことをしなくとも、狛江にはわかっていた。
長い年月を経てそれなりに老け込んではいたが、顔の特徴はそうは変わらない。
「……こんな形で再会するなんてね」
狛江は似顔絵の男が誰であるかを知っていた。
男はかつての狛江の彼氏、礼音の父親だった。
男との出会いはろくなものではなかった。
当時の狛江は外回りの営業をしており、四六時中与えられたノルマ達成を目指して歩き回る毎日を過ごしていた。
ある雨の日、狛江は追突事故に遭った。
そこは入り組んだ住宅街の一角、狭い路地で車がやっと通れるほどの道幅しかない一方通行路。
その季節には珍しい土砂降りとなり、各地で天候によると思われる事故や災害が頻発していた。
時刻はまだ日中であったがあいにくの天候でどんよりと暗く、豪雨で視界が悪い状況下。
加えて狭い路地である。
危険な条件がそろっていたことなど、狛江は気が付いてはいなかった。
仕事の帰り道、会社に戻ろうと歩いていた狛江の後方から、一筋の眩しいライトの点灯が浴びせられる。
少し振り返ると、一台のバイクがこちらに向かって走行してくる姿。
こんな道でも結構なスピードを出しており、車輪が道に溜まった雨水を激しく巻き上げている。
水をかけられたら嫌だな。
そう狛江が思って身体を避けようとした時、雨水に車輪をとられたのか、突然バランスを崩したバイクが、狛江目がけて突っ込んで来た。
幸いにも狛江は大事には至らなかったが、事故で足をくじいてしまい、しばらく入院を余儀なくされてしまった。
そのバイクを走行していたのが、後の礼音の父親であった。
謝罪とお見舞いを兼ねて狛江の元に現れた男の印象は、悪いものではなかった。
こんな目に遭わされたのだから、文句の一つも言える立場ではあったが、狛江は何も非難めいたセリフは口にしなかった。
不思議と男を見ていると、文句を言う気力が霧散するというのか……例えるならば怯えた小動物を見ている気になって来るのだ。
連絡先を交換し合い、それっきりと思われた男との接触も退院後も続き、何度か連絡を取って顔を会わせる内に、交際が始まった。
追突事故が縁になったことを思い、2人は苦笑い。
私はこの人とこれからの人生を共に過ごすのだろうか。
そんな期待と不安に胸を膨らませていた狛江はまだ知る由もなかった。
自分が好きになった男に、隠された一面があることに。
「君は何が好きなんだい?」
男が唐突に狛江に質問して来た。
「どうしたの、いきなりそんなこと言い出して」
「いや、僕達付き合い始めてしばらく経つけど、改まって聞いてはなかったからさ。
僕は映画と動物になるかな。
本当はここにバイクのツーリングも入っていたのだけれど、さすがに懲りたから」
「そうね、私もバイクだけはちょっと……でも動物?
イメージないわね、どちらかと言えば好きでないように勝手に思ってた」
「君もそうか。
僕がこの話をすると、大概の人が動物嫌いだと思ってたと話すんだよな。
自分じゃ意識したことないけど、僕はそんなに軽薄なイメージかな」
「別に人の意見なんかどうだっていいじゃないの、私は今のあなたが一番魅力的だと思うけど。
……そうね、私が好きなのは、読書にお料理、適度な運動かな。
頭と身体を動かすのが好きね、そんなに自分をアクティブな性格だとは思ってないのだけど。
逆に嫌いなものだと……やっぱり断トツで蛇になるかな」
「蛇?」
男が狛江の顔を強い眼で見る。
「あれだけはどうもね、お友達になりたいとは思えないわね。
見た目も独特であの目つき……ああ、考えただけで背筋が寒くなるわ」
「まあ、女性は大抵は苦手なものに入るのかな」
「私は特によ。
あんなのが自分の部屋にいたりしたら、恐怖で発狂しちゃうわ。
もしかしたらショックで心臓が止まってしまうかも」
「そんな話は聞いたことないがね。
……しかしそうか、君はそんなに蛇が苦手か」
「無理無理、どう考えてもあり得ないわ。
それだけは私、何としても断固拒否の姿勢を崩すつもりはないから。
……こんな話してると気分が滅入って来ちゃうから、他の話しましょう。
今度の連休だけど……」
それからしばらくしたある夜、デートを終えて何か話を切り出そうともじもじしている男に、狛江の方からきっかけを出す。
「どうしたの?
さっきから落ち着かないみたいだけど。
何か言いたいこと、あるんじゃないの?」
「ああ……その、アレだ。
今夜は月が綺麗だなって……」
「雲に隠れて見えないけど」
「そ、そうか。
ならアレだ、近頃は物騒な事件が多いから、怪しい男には気を付けないとダメだ」
「あなたとかね」
「そう、僕みたいなのは特に……って、何を言わすんだ。
僕は今、真剣に……」
「何も用がないなら、そろそろ帰るわ。
ここからなら1人で大丈夫だから。
それじゃあね、あなたも気を付けて帰りなさい」
「え……あ、ああ……」
あえて突き放してさっさと帰る狛江。
男は何か言いたげにその後ろ姿を見送っていたのだがー
「今度、一緒に旅行に行かないか」
狛江の足がピタリと止まる。
「旅行?」
「いい場所を知っていてね、是非君と一緒に行ってみたいと思っている。
……泊まりでだ」
「ふうん、お泊まりか……そういえば私達、まだ遠出の旅行はしたことないわね」
「そうだろ?
そろそろそういう話もしていい頃だと思って……ま、まあ、あくまでも例えばの話だが」
狛江だって大人である。
それがどんな意味をもたらすのか、容易に想像がつく。
男は奥手なのか意気地がないのか、狛江とはまだキス以上のことは求めて来ない。
狛江からしたら求められたら拒みはしないつもりでいたが、自分から求めるのもはしたない女だと思われるかもと、あえて触れずにいた。
ここに来て男が仕掛けて来たのを狛江は悟った。
口では上手いことを言ったところで、本心は手に取るようにわかる。
「……まあ、別に急ぐ話でもないんだ。
すぐでなくとも僕は一向に構わな……」
「いいわよ」
「そう、いいんだ。
それじゃあまた今度……今、いいって言った?」
「そうよ。
泊りがけの旅行でも何でも、やってみましょうよ。
それでいつにする?」
「そ、そうだな。
それじゃあ今度のシュウマイ、いや、週末とか……あ、でもまだ何の準備もしてない……いや、する!」
さすがに狛江も考えに及ばなかった。
この旅行が男の本性を知らされる、地獄になることに………
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